ハロー、ムーンライト
体から逃げていた重力はいつの間にか戻っていた。
どうやら少しばかり眠りすぎたようだ。二度寝をする気にもならない。
堅い寝台の上に寝かされた俺は、目覚めてからしばらくの間、横になって呆けていた。
「──テンシン起きた?」
どこからかやってきたリリーファは、俺が目覚めたのを確認すると安堵の表情を見せた。
「よかった…。このまま起きなかったらどうしようかと…」
涙を浮かべるリリーファの頭に手を乗せる。
「ごめんな。今回ばかりは俺も死んだかと思ったよ」
「バカッ! 笑えない冗談を言うのは悪い癖だよ!」
目を赤くしてリリーファが怒った。案外マジなやつだ。
女がこうなったときは、すぐに謝るに尽きる。
「悪かったよ。俺の言い方が悪かったな」
しかしリリーファはそっぽを向いたまま返事をしてくれない。
「それと…、まぁなんだ。…ありがとな」
照れ臭いが、今回ばかりは本音も言っておこう。
すると機嫌を直したリリーファ。
「とりあえず手当てするね。起きれる?」
そして体を支えられながら上体を起こす。
体を見ると不格好ではあるものの、心のこもった手当てが施してあった。そういえば華さんに教わったとか何だか言ってたな。
「ところでここは?」
「……円盤の中だよ」
傷口に巻き付けた包帯をほどきながらリリーファは答えた。
「敵は大丈夫だったのか!? どういう手を使って長居が出来たんだ!?」
やや語調が強くなったが、言い終わると一抹の不安が過った。
「まさか軍団に戻って──!」
ガタッと体が動き、痛みが駆け抜ける。
「テンシン落ち着いてよ~。大丈夫、そんなことはしてないから」
手早く次の箇所の手当てをするリリーファが俺を宥める。慣れた手付きだ。
「そうか…。それならどうやって…?」
気を取り直して再度問いかける。
「まー…、色々あってね…。話すと長いから割愛を──」
「するなよ。何だ? さっきからまともに答えようともせずに、怪しいな…」
「な、何を隠すの? 私がテンシンに隠し事をしたことがあった?」
「あっただろ。程度の低いボケをするなよ」
「あはは。そうだね」
リリーファは笑顔を作るが、顔がひきつっている。
「……何を隠している?」
「……」
「おい、目を逸らすな」
それでもリリーファは答えない。
無言がしばらく続き、手当てが終わる。その間リリーファは俺と目を合わそうとしなかった。
リリーファは医療用具一式を片付ける。
その隣に俺は立ち、体の感覚を確かめる。
軽く飛んで跳ね(両方同じ意味か)、駆け抜ける若干の痛みを認識する。そして「行ける」という確信を得た。
「テンシン、どこ行くの?」
一式を小脇に抱えたリリーファが怪訝な面持ちで問うてくる。
「どこって、外の様子を見てくるんだよ。お前が何も教えてくれないから」
「それなら私が行くよ。テンシンは休んでて」
早口で返された。
「いや、俺もう動けるし自分で行くよ」
「大丈夫、私が行くから」
「…、いやだから俺が──」
「大丈夫私が行くから」
どうしても見せたくないものがあるようだ。どんな言葉を返しても早口で黙殺される。
埒が開かないと悟った俺は、半ば強引に行くことにした。
金属製の扉に手をかけると、パシュッと心地いい空気の抜ける音を鳴らして上下に割れた。
「ダ~メ~~! テンシンはや~す~ん~で~て~~!」
するとリリーファが後ろから羽交い締めをしてきた。意地でも外の様子を見せないつもりだ。
──まさか。
とある予感が頭を駆けた。しかし思考を走らせる前に、羽交い締めが強くなる。
「痛い痛い痛い!! 一応怪我人!!」
ついでに言うと当たってる。これは言えない。本人はもう少し女性としての自覚を持つべきだ。
俺の抗議で、締める力は弱まったがリリーファは密着したままだ。
こうなれば力押しだ。相手は少女。単純な力業なら負けるはずもない。
ズルズルとリリーファを引きずりながら扉を潜った。
出た部屋は見慣れない、そしてゴチャゴチャとした機器が並んだ部屋。何かの装置であろう機器はピコピコと赤青黄色緑のライトが点灯していた。
「何だここ…」
部屋に入るや否や呆然と立ち尽くしてしまう。
「あー…、もう気が済んだでしょ? 気が済んだよね?」
未だ抱き着いたままのリリーファが戻ろように急かしてくる。
その言葉は片耳から逆の耳へ流される。
ぐるっと部屋を見渡すと黒い穴を見つけた。
「何だあれ…?」
その穴に吸い込まれるように近付く。
さっきと比べると、俺を引き留めようとするリリーファの力が強い。…本気か。だがそんなことどうでもよかった。
穴に手が着く距離まで近付いて、それが窓であることがようやく分かった。
窓を覗き込む。
その向こうに広がるのは無限の暗黒だけだった。一切の生命の存在を赦さない沈黙の空間に、ビー玉のような点がポツリポツリ…。それぞれの光は「見逃すな」と言わんばかりの主張をする。俺の眼は釘付けだった。
そして他の光よりも大きなもの。青が一面に広がろが、緑の模様が何とも親近感を与える。…そう。まるでテレビや本でで何度も見た写真のアレだ。
──地球は青かった。
「ガガーーーリーーン!!!!」
そして俺は吠えた。狭い部屋に轟く声にリリーファはようやく離れて耳を塞ぐ。
「おい、どうなってんだよ……。いや待て、何も言うな。先に現実を受け止めさせろ。……どうなってんだぁぁ!」
リリーファは縮こまりながら俺を上目で伺う。
俺は必死に状況の整理をする。端から見れば鬼のような形相をしているかも知れない。
そして一つの仮説が立てられた。
「……まさか、この円盤は……」
「……月に向かってます」
やっぱりだ。
俺はがくりと肩を落とした。リリーファは申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん、シュナウザがやられると出発するプログラムだったみたいなの」
俺と向き合ったリリーファは頭を下げた。
「お前が謝ることじゃない。プログラムがそうならまだ手はある。例えばここからUターンするとか──」
「月まで自動操縦っぽいの…。動かし方も分からないし」
ゴチャゴチャした機器のあるこの部屋が操縦室のようだ。
「じゃあ、月に着いてすぐに出発するとかは──」
「残りの燃料が片道分だけらしくて…」
リリーファはパネルを指差して答えた。パネルには“ONLY A ONE WAY”とご丁寧にも表示されている。
「私が出発するとき、すぐに気付けていれば…」
リリーファは落ち込んでいる。
月の軍団を裏切った身分である彼女は、月に戻るのに抵抗があるのだろう。その分気持ちもブルーになる。
「だったらこうしよう。月に着いてすぐだと、この広い円盤の中に潜んでおけば見つからないはずだ。隙を見て抜け出して他の宇宙船でもUFOでも、何でもいいから掻っ払って帰ろうぜ。地球に」
気持ちを切り替えてリリーファに提案する。それを承諾したリリーファは、それでも申し訳なさそうな顔をしていた。
「…実はあと2、3時間」
……何が。
「えっ!?」
リリーファはライフルの感触を確かめ、いつの日かコーディネートした白いレースのブラウスを整える。
俺は片手にブートバスターを握り、再三気合いを入れる。しかしどうも締まらない。俺の服装は一見するとラフなシャツにチノパンではあるが、中にあるものを着ていた。
例のダイバースーツだ。
「本当に着なきゃ駄目かこれ」
円盤から持ってきたスーツをリリーファに無理やり着るよう勧められた。体にフィットする感覚が気持ち悪い。
「言ったでしょ。それはいわゆる宇宙服。地球の6分の1しかない重力で耐えられるなら脱いでもいいよ?」
悪戯な笑みでからかわれる。
「ちなみにヘルメットもちゃんと着けてね。もちろん、空気内の気体含有量がハチャメチャな空間で呼吸が出来──」
「ないから着けるよ。もう勘弁してくれ」
諦めてリリーファに従うことにした。
この一時間ほどで、リリーファに月の環境についてのざっくりとした説明を受けた。
要約すると、重力は地球の6分の1、空気はあるものの地球よりも薄い(山の頂上付近と同じような感じらしい)、そして月の人間が活動できるのは“コロニー”と呼ばれる施設内だけ、ということだ。
「そろそろ到着するよ。出口付近に隠れよう」
俺が寝ている間に構造を把握したらしいリリーファは、快調に歩を進める。
そして出口に着いた。
深呼吸。
出口の窓から外が見える。そこはもう月だった。
円形の建物が大小合わせて八つ。それぞれが廊下で繋がれて、中心部のコロニーの大きさは目を引くほどであった。
コロニーが近づいていく。
窓の下に見えるコロニーの天井が開いた。お迎え体勢だ。
出口付近の柱の影にリリーファと共に身を潜める。
高まる緊張感。
──ドスン!!
着陸に成功した円盤はエンジンを停止させ、オートパイロットを終了した。最後に全ての扉を開け放つ。
出口から月光が流れ込んだ。
沈黙を確認した俺たちは、期を逃すまいと円盤を出た。
人気のないコロニーを走る。
「こうなったら最後まで相乗りしてやる。行くぞ!」
「うん! テンシン、カッコいいよ!」
これが最後で、最後が始まるということは、今は知らぬ話──。
平和を保つコロニーに侵入するイレギュラー。それを見つめる一つの影。
「リリーファ……。この時が来てしまったか……」
大きな影。人間離れした大きな物の影。ポツリ呟いた小言は虚しくコロニーに木霊する。
答える者は誰もいない。
「もう止めてくれ」
悲劇を知るその男は悲壮な顔をする。涙は枯れた。
彼の背景は透明の壁。背にする月面は光を飲み込み、命を創る。
そして終わりを誘う。




