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ある職業人の恋愛事情  作者: 蛍灯 もゆる
2/2

part02 宇田さんの場合

「と、いう訳なんスよねー」

困ったようにジョッキを持ち上げて、芳賀夜君は一息にビールを飲み干す。

仕事終わりに「飲みに行きましょう!」と芳賀夜君に誘われて、大枝さんと僕の三人は夜の街に繰り出した。

大枝さんの行きつけの飲み屋は、それなりに混んでいたが、ざわめきがうるさいほどでもない。

向かいに座った大枝さんが芳賀夜君の言葉に、カクテルを置くと首を振った。

「私も彼女さんの云いたいことは解るけど、この仕事してると甘い言葉って解らなくなりません?」

「あー、それは解るかも」

「だって明らかに、キャラクターの方がべたべたな台詞ですもん。何云われても、比べちゃって」

くすくすと笑って、大枝さんはツマミの枝豆に手を伸ばす。

「今日の顕人君の台詞も結構べたべたでしたよね」

「はは。大枝さんの桜子ちゃんは、淡白な設定だからね」

今日の役の名前を上げられて苦笑して頬をかくと、大枝さんはふふふと楽しそうに笑う。

「宇田さんはそういうことないんですか?」

「え? うーん」

「そう言えば朝岡さんが、宇田さん最近女子大生と仲良くなってるって云ってましたけど」

どうなんスか?-ビール追加と手を上げてから、気付いたように芳賀夜君がこちらを振り向いた。

「え、ちょっと朝岡、そんなこと云ってたの?」

「言ってましたよ。違うんスか?」

「いや、知り合ったのは本当だけど…誤解を生みそうな発言だなぁ」

溜息を零して日本酒を煽る。朝岡、波多野、日之影の辺りの仕事仲間は、どちらかといえば悪友に近くて気が置けない。

だから、ついつい口が軽くなってしまう。

酒が入ると余計にだ。

「どうやって知り合ったんスか?」

「私も気になります」

瞳を輝かせる芳賀夜君と大枝さんに、困ったなと頬をかく。

僕自身33歳にもなって、まさか大学生のしかも異性の友人ができるとは思ってもいなかった。

「ええと、日之影の彼女って知ってる?」

「あ、知ってます。会ったことないスけど」

「確か、ピアニストさんですよね?」

「そう、そのコンサートで知り合ったんだ」



変な娘に出会ってしまった。

僕の第一印象はそれだった。



元来僕はクラシックに特別の興味を持っていないのだけれど、数日前に打診を受けた役柄が音楽学校の教師役ということもあって、同じく生徒役で打診を受けたらしい日之影に、彼女の出演するコンサートに誘われたのだ。

半額で譲り受けたチケットを持ってホールに向かった僕は、座席の右側に記された座席番号を見ながら席を探して、該当する席に座る少女を見つけた。

「あの、」

ちょこんと借りてきた猫のように座る少女と半券を見比べて声をかけると、少女はきょとんと顔を上げる。

「君の席、8-10?」

「あ、ええと」

慌ててポケットから半券らしきものを取り出した少女は左右の席番を見てから、はっと気付いたように僕をみた。

「もしかして、8-10は」

「うん、ひとつ隣だね」

「すみませんっ」

ぺこんと大袈裟に頭をさげて、わたわたと荷物を掴もうとした彼女に僕は思わず待ったをかけた。

今、少女の両隣はひとつずつ空いていたが、8-11に座るスーツの青年はその隣の女性と楽しそうに喋っていて、多分彼女の連れではないのだろう。

「あの?」

「君が構わないなら、僕がこっちに座るよ?」

少女はかなりの大荷物で、移動するのも大変そうだったのでそう言うと、彼女は目を丸くしてから、慌ててこくんと頷いた。

「ありがとうございます」

「いいえ」

ひとつ席がズレたくらいでどうということもない。

僕が席についた所で、開始のアナウンスが場内に響いた。


楽器演奏もそうだが、音というの基本的には生で聴くことを想定して造られている。

その代用品が、映像や音源といったデジタル媒体で、それは生とはどうやっても比較出来ない。

だから、僕達のような声の仕事は例外中の例外だ。

何せその代用品を想定して成り立っている。

だから僕達はこんな風に世界を取り込む空間を作ることは出来ない。

五感の世界を堪能しながら、僕は舞台に居並ぶ楽器を眺めた。

学生時代はバンドを組んでいたこともあって、これでも一応楽器に対する知識はある方だ。

それでも、オーケストラになるとちらほら解らない楽器もある。

「ねぇねぇ、あのフルートの横の黒い楽器なんだっけ?」

「あぁ、クラリネット?」

「トランペットとフルートには、小さいのもあるのね」

「普通のサイズに比べて高い音が出る、ソプラノだよ」

曲の合間にぼそぼそと時折聴こえる右側からの声を何となく聞いていて、僕は不意にだんだんと左側に座る少女がなんだかうずうずしているのを感じて瞬く。

『只今から、10分間の休憩に、』

アナウンスと共に明るくなった館内に、カップルは揃って席を立ってホールを出ていく。

僕も立ち上がろうかと身じろぎした途端、横の少女が思い切りため息をついた。

「あぁもぅ。なんですか、クラリネットって。あれは、オーボエじゃないですか。大体、クラリネットはフルートの後ろに並んでるのにおかしいと思わないんですか。それに、ソプラノトランペットって」

「ぷっ」

自慢ではないが、僕は仕事柄耳は良い方だと思う。

でなければ多分、その呟きをはっきり聞き取ることは出来なかったはずだ。

思わず吹き出した僕に、少女がはっとしたように顔をあげて、次の瞬間文字通り真っ赤になった。

「あ、いえ、あの、これは」

わたわたと言葉を探して俯いてしまった少女が膝の上で震わせる拳に、僕は何だか微笑ましくなってしまう。

普段なら、こんな風に知らない人間に声をかけたりしないのだけれど。

「あの楽器、何ていうの?」

「え?」

「ソプラノトランペットじゃなくて?」

「あ、コルネットです。あと、短いフルートは、ピッコロといって」

「ぴっころ?」

「はい。ナメック星人でも、ペンギンの女の子でもないです」

真剣な表情で答えてくれた内容が内容で、僕がキョトンとすると、少女は、またやってしまったというように顔色を変える。

「す、すみません。余計な情報でした」

「あ、大丈夫。知ってるよ。君の世代で、龍玉を知ってると思わなくてね」

気を回した台詞が理解されず、尚且つ説明を加えなければいけない状況ほどいたたまれないものはない。

ペンギンの女の子は、解らないが、それは後で調べてみることに決めて、慌ててフォローすると、少女はほっとしたように頷いてから、首を傾げた。

「そう、ですか?」

「漫画とかアニメ、好き?」

仕事柄付き合いのある人間は大抵そういう人間だから、そういう話題や例えが出ることはある。

まぁ、今の日本ではアニメや漫画が子供だけのものではなくなっているから、良く知らない相手との会話でも、織り交ぜて口にできるのかもしれない。

まぁ、でもそんなことを言えば、好きかと聞かれて好きだとも答えづらいだろう。

「好きです」

だから、躊躇いなく頷いた少女に若干のジェネレーションギャップを感じたけれど、それは続く言葉で消えてしまった。

「夢ですから」

「夢?」

「はい。私は子供で、漫画は夢です。私が狡猾な大人にならないための」

「逃げ場所じゃなくて?」

思わず尋ねると、彼女はキョトンとしてから小さく笑う。

「逃げてどうするんですか? 戦うんですよ、槍ですから」

「"心に一本の槍"?」

僕の答えに、彼女は本当に嬉しそうに微笑んだ。


数日後、日之影の行き着けの飲み屋に連れていかれて、アルバイト中の彼女と鉢合わせることになった。

結局、音楽学校の仕事の間はそこで飲むのが定番になって、良く彼女とも話をするようになった訳だ。


「羨ましいです」

僕の職業を知った時の彼女の第一声はそれだった。

まぁ、よく云われることだし別段珍しい答えでもないのだけれど、彼女は小さく唇を尖らせる。

「君、アニメ好きだもんね」

「そうですよ。声が入るだけで、世界は立体になるんですから!」

「立体?」

「命を吹き込む、っていうじゃないですか。あれって、すごく的を射た言葉だと思いませんか? いくら3Dの映像が実用化されても、それはやっぱり世界そのものの立体化とは違うんです。声が入ることで、1つ次元が増えるわけですよ。実際には存在しない絵の世界に、声と言う実際の存在が合わさって、そこに現実でも虚構でもない不思議な世界観を構築するんです!」

力説してから、彼女ははっと気づいて声を潜めた。

「本職の方相手にお話することでもなかったですよね。すみません。お仕事、頑張ってください。応援してます」

「君は、やってみようとは思わなかったの?」

尋ねると彼女は一瞬驚いたように目を丸くしてから、あっさりと首を振る。

「ないですね。凄いな、と尊敬はしていますが、私はそれよりもその為の背景を構築する方が好きなので」

「はいけい?」

「はい」

「物書きさん、ってことかな?」

「そんなところです」

小さく笑って、彼女は何かを思いついたように瞬いた。

「いつか、」

「うん?」

「いつか、私の構築した世界が、みなさんの声で立体化してもらえる日が来たら良いです」

よし、頑張ろう。と一人ガッツポーズをする彼女に笑ってしまう。

「ねぇ」

「はい、なんでしょう?」

「君の構築してる世界、見てみたいな」

「まだ未完成ですよ?」

「それでも。見たいんだ」

さて、渋る彼女をどうやって丸め込もうか。

僕は、そう考えて小さく笑った。


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