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ある職業人の恋愛事情  作者: 蛍灯 もゆる
1/2

part01 芳賀夜君の彼女の場合

思わずため息が零れそうになって、私は慌ててそれを飲み込んだ。


「ねぇ、ご飯でも行かない?」

更衣室で同期の友人に声をかけたが、3人が3人とも「デート」と断られてしまった。

そう言えば世間様では花の金曜日なのだと思い至って、私は小さく肩を竦める。

駅から電車に乗り込むと、19時を廻ったばかりの電車はやっぱりどこか空いていて、いつもなら座れないのに、今日は端っこの席に座れてしまった。

良いのか悪いのか良く解らないまま、結局ひとつため息を零す。

私とて彼氏がいないわけではないが、最近は連絡ひとつまともに取れていない状態で、ちょっと恨めしくなってしまう。

喜び勇んでかかってきた最後の電話は2か月前で、「大先輩の朝岡さんとまた仕事ができることになった」という彼からの近況報告くらいだ。

朝岡さんというのは、彼の仕事の大先輩で、歳はそう違わないのにその道の大ベテランらしい。

その人に憧れてその道に入った彼は、本当にその人のこととなると周りが見えない。

各駅停車の電車は、ゆっくりゆっくり進んでいて、私はそんなことを思いながらぼんやり対面の窓を眺めた。

「セーフ!」

勤め帰りらしいスーツばかりが目立つ車両だったが、不意に締まりかけた扉から慌てて飛び込んできた3人組の女子高生によって、途端に空気が華やかになる。

息を切らせてなお、楽しそうな彼女達を、若いなぁと思って眺めやると、彼女達は動き出した電車に合わせるように口を開いた。

「そういえば、買った?」

「買った! 学校終わって予約してたの取りに行って即聴いた!」

「あたしも! あれ、やばいよね!」

公共交通機関ということもあって、押さえ気味に会話を交わしているが、興奮は抑えきれないらしい。

今にも黄色い悲鳴に変わりそうな様子に私は知らず耳をそばだててしまう。

「あたし、音楽プレイヤーに入れちゃった」

「いいなぁ、あたしも入れよっかなぁ」

「でも、外で聴けなくない? ポーカーフェースでいられる自信ないんだけど」

それ、解る! 二人の猛烈な同意に、一体何の会話だろうと、私は僅かに首を捻る。

聴く。

音楽プレイヤー。

その二つからは、音源か何かだろうことは解るが、洋楽や邦楽、クラシックの類で、外で聴けないということもあるまい。

「そうだ。予約特典、貸しっこしようね!」

「あ、持ってくる! 持ってくる!」

「店舗ごとで、ああもいろいろ特典つけられると、ほんと迷うよねぇ!」

予約特典、ということは店舗販売。

しかも各店舗でばらばらな予約特典がつく、ということだろうか。

外で聴けなくて、店舗販売の音源。

相変わらずハテナを飛び散らせたままつらつらと考えていた私は、続く彼女達の言葉に危うく横の手摺りに頭をぶつけるところだった。

「でも、私は譲れないよ! 宇田コウさん!」

「芳賀夜洋輔さんの方が良い声だよ!」

「何よ、朝岡吉彦さんだもん!」

「(え、ちょっと待って…)」

聞き覚えのある名前に、声が出るのを抑えて、なお耳を澄ます。

お蔭で次の駅で降りてしまうまでに、なんとなくそれがCDで昨日発売であることが解った。

改札を抜けてそのままレコードショップに向かってしまうあたり、ちょっと自分でもどうかと思う。

検索をかけてヒットしたものに、私は思わず脱力してしまった。

「(これ?)」

それは、ゲームのオリジナルドラマCDと銘打たれている。

表は華やかな、少女マンガのようなイラストで、ひっくり返すとメインの役柄と出演者が載っていた。

出演者の中にある「芳賀夜洋輔」の名前に、私は思わずため息をつく。

「(本当にいたし、)」

何を隠そう、芳賀夜洋輔は私の彼氏だ。

勿論、声を演じる役者をやっていることは知っているし、海外ドラマの吹き替えやニュースのナレーション、勿論アニメのキャラクターを演じていることも知っている。

ただ、最近は忙しいらしく殆ど会っていないので、ゲームに出ていることも知らなかった。

OLの私と違って変則的な仕事で、仕事中は留守電になってしまうから声も随分聴いていない。

ゲームの内容は良く知らないが、ドラマCDとあるのだからメインの一人である彼は何か喋っているのだろう。


「(あぁ、買っちゃったし…)」

思わず衝動買いしてしまったCDを見下ろして、私はベッドに倒れこむ。

声が聴けないというのは意外と堪える。

メールは来るし、彼の仕事の関係上忙しいのは大変喜ばしいことだと解っていはいるのだけれど。

「(そういえば、一人で聞くの初めてかも)」

初めて彼が出たのは深夜アニメで、村人Aのような名もない端役だったけれど、一緒にテレビを見ながら、たった一言を固唾を呑んでじっと待っていた。

二人でいるのに何も喋らないで、ただソファーに並んでじっと真剣にアニメを見つめているのは傍から見たら異様だったかもしれないな、と今さらに思う。

その後は生ではなかなか見られないので、DVDを借りてきて一緒に見たりしていたが、最近はそれもなくなってきていた。

会いたい。

声が聴きたい。

でも、彼が今の仕事が好きで頑張っていることを知っていると、そうそう口に出せることでもない。

「そうだよ。声が聴きたいなら、出てる作品とか借りてくればよかったのよね」

普通の人と違って公共電波に乗っているのだから。

今さら気づいて、私は肩を竦めた。

取り敢えずは、今日はこの買ってしまったCDを聞いてみよう。

金曜日の一人の淋しさを紛らわせてくれればそれでいい。

手早く作ったオムライスとサラダを机に並べると、私は机にのせたデッキにそのCDを放り込んだ。


「…」

内容が進むにつれて私は、漸く女子高生たちが外で聞けないと言っていた意味と、あれだけ騒いでいた意味を悟った。

「(なにこれ、すっごい恥ずかしいんだけど!)」

普段、彼の口からこれだけ滑らかに言葉が零れてくるのを聞いたことがない。

しかも、これだけ甘いフレーズは本当にらしくない。


不意に鳴ったインターフォンにびくりと肩を揺らして、私は慌てて停止ボタンを押すとぱたぱたと玄関へ向かう。

不意打ちだったせいもあるだろうが、なんだか良く解らない後ろめたさみたいなものがあって、いつもなら絶対やらないのに、相手も確認せず扉をあけていた。

「はい」

玄関を開けるなり、涼しい風が入ってきて私の頬に触れる。

それが私を我に返した。

「人確認してから、開けろって」

呆れたような声に、私は反射的にドアを閉めようとして危うく思いとどまる。

「ちょ、何?」

「ご、ごめん。大丈夫?」

「大丈夫だけど、」

さっきまでCDから零れていた声より若干低い。

そう、普段彼はこんな風に喋っていた。

そんなことを比べてしまって、私は思わず頭を抱えてしまう。

「なに、どうした?」

「なんでもない。ごめん」

「なんだよ。謝るなって」

不思議そうな彼にひらひらと手を振って、私は慌てて中へ招いた。

「今日は仕事ないの?」

「今日の分は終わった。スムーズにいってさ」

「来るなら連絡くれればよかったのに」

「いや、久しぶりだし。いてもいなくても、コレ置きにさ」

彼が持ち上げてみせたのは、私の好きな地域限定のチョコレート。

「今日一緒になった先輩がくれたんだけど、お前好きじゃん、これ」

「ありがと」

嬉しくて私はそれを受け取って、いそいそとキッチンへ向かう。

「オムライス、食べる?」

「俺の分もある?」

「ちょっと余分に作ったしね。食べるなら卵だけ焼くけど」

「食べたい」

「じゃあ、ちょっと待って」

脱いだ上着を持ったままダイニングに入る彼を見るともなく見てから、私は冷蔵庫にチョコレートを入れてから、代わりに卵を取り出した。

「ちょ、お前これ聴いたの?」

割りいれた卵を溶いて、ふわふわの卵焼きを作っていると、不意に彼が上ずったような声を上げる。

「これ?」

「CDだよ」

これ、が指すものを理解して、私は危うく投げ出しそうになるフライパンを慌てて火からおろした。

忘れていた。

忘れたまま、テーブルの上にはCDデッキが鎮座いしていたのだ。

「…聴いた」

「俺、云ったっけ?」

「電車でね、女子高生が話してるの聞いちゃって。洋君のファンみたいよ」

頬杖をついたまま、視線を隠す彼の前にオムライスを出して、私は小さく肩を竦める。

「聴かれて困るの?」

「いや、困らない、けど」

心の準備をしときたかったかな。小さく苦笑した彼に、私はにこりと笑って見せた。

「かっこよかったわよ。さっすが役者さん」

「あのな、云っとくけど、これは俺じゃなくて『水門斗真』って役だからな」

「解ってるって。こんな甘い言葉、洋君は云わないもんね」

「現実で云えるかよ」

「解ってるって。取り敢えず声が聴きたかったの。買ってから、普通のアニメでもよかったなーって気づいたんだけどね」

「電話しろよ」

「仕事中でしょ」

困ったようにかりかりと髪をかいて、彼はそれからそろりと私を見上げる。

「夜中でも電話して良いか?」

「寝てたら留守電になるけど?」

「留守電に伝言入れとく」

「楽しみにしてるわ」

取り敢えずケチャップで私は感謝のしるしにハートマークを描くことにした。



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