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第壱楽章

 序

 

 瞳を閉じて                                   

 夜闇の狂気に 惑わされながら

 

 (まなこ)の底の 静けさの海に


 眠る 眠る

 

 

 いつか世界が


 傷みを謳って 悲鳴を上げる頃

 

 

 月光に咲いた 一輪の黒薔薇が

 

 大地に 沈む

 

 

 いつか世界が

 

 虚実を謳って 悲鳴を上げる頃

 

 

 嘘を知らない 小さな白猫が

 

 一声 啼いた





第壱楽章

         

 1,  


 黄昏と宵闇が交じり合う夕間暮れ。

 誰も居なくなった浜辺で、赫い瞳の少女が沈む夕陽を眺めていた。少女は魂が抜け落ちてしまったかのような虚ろな表情で、じっと佇んでいる。

 佇みながら、誰にともなく語り始めた。

 「夜が来る。今日の終わりは常の闇」

 今日の終わりは常の闇。

 少女は歌うように、言葉を紡いだ。

 「夢現に微睡(まどろ)むは、偽りの明日」

 どうか夢なら、醒めることのないように。

 幻でも構わないから。

 偽りでも構わないから。

 少女は静かに、祈るように、綺麗な赫い瞳を閉じた。

 夕陽が海の向こうに落ちてゆく。

 常の闇が、空を覆った。





 2,

 

 シルヴィア=フローベルは、優れた腕のフリーランスの暗殺者として、裏の世界では名の知れ渡った女暗殺者(アサシン)だった。彼女の使う得物は槍という、一見すれば暗殺向きではない代物だったが、彼女が暗殺に失敗したことは一度として無かった。そんなシルヴィアの槍術の技量を見込んだ多くの権力者や貴族は、惜しみもせず大枚を積んで、暗殺依頼をした。

 それほどに、世の中には誰かに死を望まれている人間がいた。本当はとても恐ろしいことなのだろうが、十二の時から暗殺者(アサシン)として生きてきたシルヴィアには、その事実は至極当たり前のことだった。

 だが、シルヴィアの暗殺者(アサシン)としての才腕は、今となっては半ば伝説と化していた。

 シルヴィアは十六歳になった年の春に暗殺者(アサシン)を辞め、消息を絶ったのだった。その後、シルヴィアの生死や消息を絶った理由については、たくさんの風説が流れた。曰く、シルヴィアは彼女の才能を妬んだ暗殺者(アサシン)に殺されたのだ、とか、暗殺に失敗して身を潜めたのだ、とか。

 しかしどれ一つとして確実な情報はなく、彼女の存在は徐々に忘れられかけていた。

 ところが。

 つい最近になって、シルヴィアは生存しているとの情報が流れ始めた。彼女は今、賞金稼ぎとしてひっそりと生活している、と。

 その真相を確かめるべく、かつて彼女の片腕として暗殺の手伝いをしていたクライス=ウェルズは、現在シルヴィアが暮らしているという極東の港湾都市アルバランに向かった。




 3,

 

 港湾都市アルバラン。特殊な民族や部族の集落が多い東部では唯一、多くの人々で賑わう都市。しかもその殆どは、観光客だ。観光客の目当ては、美しい海でのリゾートはもちろんのこと、珍しい民族の風習などについて学びに来た学生も多い。

 だが何と言っても観光の最大の目玉は、一年ほど前に開発されたばかりの巨大飛行艇だろう。それまで船や馬などを使って旅行するのが当たり前だった人々にとって、空を飛ぶ乗り物が開発されたのは驚愕に値する出来事だった。

 しかしこの飛行艇には、まだ難点があった。それは、飛行艇のチケットがあまりにも高価だということだった。チケット一枚で、庶民の平均年収ほどにもなる。

 が、クライスはこの飛行艇に乗って、シルヴィアを捜索すべく首都からはるばるアルバランへとやってきた。

 「…何だか、とても贅沢な旅でしたね…」

 クライスと共にシルヴィア捜索にやってきた、クライスの現在の相棒ユリア=ファルハザートが、飛行艇から港に降り立つなり嘆息交じりに呟いた。

 彼女はクライスの異父兄妹で、鳶色の瞳や赤茶けた髪の色などは、クライスにとてもよく似ている。ただユリアは暗殺者(アサシン)としてはまだまだ新米で、クライスの相棒というよりは寧ろ、先輩後輩関係に近いものがあった。実際、暗殺の仕事の大半はクライスが主立って行動する。ユリアはあくまで、補助役に徹する。

 だからこんな風に、ほぼクライスが稼いだ金で贅沢なことをするのにも、抵抗があるのだった。

 しかしこういったことに疎いクライスは、のんびりと

 「たまには、いいんじゃないか?金は天下の回りものって言うしな。それにこれくらいの金額じゃ、生活には響かない」

 そう言ってのけた。

 ユリアは心の中で感心していたが、何のことは無い、ただクライスは最も早く首都からアルバランに到着できる方法を選んだに過ぎない。飛行艇で出された食事が豪華だったのも、部屋がスウィートルーム並みに広くきれいだったのも、偶然のようなものだった。

 「…ユリア、俺たちがこの街に来たのは観光目的でも何でもない、シルヴィアを見つけるためだ。忘れるなよ」

 クライスは、飛行艇を降りて街中に入ったというのに、未だに興奮してはしゃぐユリアに釘を刺した。別に悪意があったのではなく、単純に仕事熱心な故の発言だったのだが、ユリアはひどく落ち込んだ。

 「ご、ごめんなさい…」

 ユリアは泣きそうな表情で謝罪すると、無言のまま前を歩くクライスの背を追いかけて歩いた。




 4,


シルヴィアの住む家は、すぐに見つかった。彼女は、数年前までこのアルバランを取り仕切っていた(たち)の悪い賞金稼ぎたちの集団をたった一人で壊滅させたとかで、街の人々にもとても慕われているらしかった。だから情報を得るのも、そう難しい事ではなかった。

 「…シルヴィアも、随分と変わったもんだ」

 かつてのシルヴィアを知るクライスは、街の人々の話を聞いて内心ではかなり驚いていた。

 かつて殺戮天使(キリングエンジェル)などという恐ろしい二つ名で呼ばれていた彼女が人助けをするなんて、想像もつかない。シルヴィアは冷酷非道で、暗殺する相手が男だろうと女だろうと、若かろうが老いていようが無関係に、命ぜられたままに殺した。

 「本当に、そうでしょうか?変わったことを装っているだけ、とかじゃないでしょうか。…人は、そんな簡単には変われるものじゃありません」

 クライスや暗殺者(アサシン)仲間に幾度となくシルヴィアの伝説を聞かされてきたためか、シルヴィアはいつの間にか、ユリアの憧れになっていた。そんな彼女が変わってしまったなんて、ユリアには信じられないというより、信じたくないことだった。

 「どうだろうな。俺の知らない、変わるきっかけみたいな出来事が、シルヴィアの身に起こってたのかもしれない。俺は気付かなかったが」

 ずっと彼女と共に仕事をして、私生活でも一緒だったクライスが気付かなかった出来事。クライスはシルヴィアがいなくなって以来ずっと、彼女の変化に気付くことのできなかった己を悔やみ続けていた。

 シルヴィアの失踪は、彼女をよく知るクライスにだけではなく、彼女に逢ったことすらないユリアにも影響を及ぼしていた。

 そうして二人はそれぞれの思いや期待を胸に、ついにシルヴィアの家にまで辿り着いた。

 シルヴィアの家は街外れに建てられていたが、それなりに立派な一戸建てだった。

 「…」

 クライスは何と言っていいのか分からず、無言でドアをノックだけした。すると中からドタドタと慌しい足音がしたかと思うと、続いて

 「はーい、今出ますから」

 とても元暗殺者(アサシン)とは思えない無用心さだ。相手が誰かも分からないのに確認一つせず返事を返すなど、暗殺者(アサシン)ならば絶対に有り得ない。返事をするということは即ち、中に自分がいることをわざわざ報せることだからだ。

 (本当にシルヴィアさん、なのかな…)

 ユリアは疑いながらも、伝説の暗殺者(アサシン)に逢えるのだと思うと自然と胸が高鳴った。

 そしてとうとう、その瞬間はやってきた。

 「お待たせ」

 玄関のドアを開けて出てきたのは、噂と違わない美貌を持つ女性だった。黄金色の切れ長の瞳は、まさに天使(エンジェル)の名に相応しい。

 だが一つ、ユリアの期待を裏切ったのは、シルヴィアが暗殺者(アサシン)を辞めて賞金稼ぎに落ちぶれてしまったというのは事実らしいということだった。彼女の姿や様子からしても、暗殺者(アサシン)を辞めてしまったことは一目瞭然だった。

 「あら、クライスじゃないの。久しぶりね」

 あまりの変貌ぶりに驚いて身じろぎ一つできずにいたクライスに、シルヴィアは優しく微笑みかける。クライスが彼女のこんな笑顔を見たのは、これが初めてのことだった。

 「そちらのお嬢さんは、新しい仕事仲間?」

 そんなクライスの様子を無視して、シルヴィアは今度はユリアに話しかけた。

 いきなり憧れのシルヴィアに注目され、しかも話かけられたユリアは、しどろもどろになりながらもちゃんと受け答えをする。

 「あ、は、はい。わたし…わたくしは、クライスさんの異父兄妹で、ユリアと申します。今は仕事を一緒にさせて頂いてます…」

 「そう、クライスの妹さんなのね。クライスはどう?いいお兄さんかしら?」

 シルヴィアは敢えて、仕事仲間としてではなく兄としてのクライスのことを訊いた。これも彼女が暗殺者(アサシン)ではなくなった証拠の一つだった。

 しかしユリアはそんなに深くは考ておらず、素直に受け取って言う。

 「え…と。クライスさんは、すごくいい兄だと思います。何かとわたしのことを助けてくれますし…」

 本心だった。

 ずっと、ユリアはクライスに助けられてきた。母親が死んでユリアの実父が暴力を振るうようになった時も、クライスが庇ってくれたからユリアは傷付かずに済んだ。暗殺者(アサシン)になった今でも、庇ってくれているということに変わりはない。

 「…なら、よかったわ。クライスのことだから、妹さんにも冷たく当たってないかと心配したけど…余計なお世話だったみたいね」

 シルヴィアの言うことは、確かに当たっていると言えなくもない。

 クライスは、先ほどもそうだったように、仕事に熱中すると周りが見えなくなるタイプだった。まだ十四になったばかりのユリアが年相応に明るく振舞ったりすることも、仕事中ならば容赦はしない。

 ユリアは、そんなクライスの細かい性格まで把握しているシルヴィアに、なぜか嫉妬のような感情を覚えた。そしてかつて二人がどのような仲だったのか、非常に興味が湧いた。

 折りしも、シルヴィアが

 「二人とも、せっかくこんなところにまで来てくれたんだから、お茶でもご馳走するわね」

 そう提案したため、ユリアは二人の過去を探る絶好の好機(チャンス)を得たのだった。 

 「それなら、お言葉に甘えさせていただきます」

 ユリアが勝手に答えるのにも、クライスは特に反対しなかった。

 クライスはクライスで、シルヴィアの本心を探ろうと必死だったためだ。シルヴィアが自分たちを騙そうとしているのではないことは分かったが、今度は彼女がなぜこんなにも変わってしまったのか、クライスは知らねばならなかった。彼女に変わるきっかけを与えた何かが危険因子であるなら、それを排除する。あわよくば、再びシルヴィアを暗殺者(アサシン)に戻すことが、今回クライスとユリアが彼女の許を訪れた理由だった。


















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