6.羨むとはすなわち心病む(うら-やむ)ことである
オレクに恋い焦がれた果ての女性達の言動を、周囲の人達は信じられないものを見る目で恐ろしいと言う。オレク自身も、そういったあり方に対して嫌悪感や抵抗感を覚える人達がいることを理解している。しかし大事なのはオレクがしているのは「理解」であって、「共感」ではないということだ。つまり、実際のところオレク自身は、自分に恋する女性達の恋愛的働きかけに対して恐怖を感じたことも違和感を感じたことも一度たりともないのである。理解や共感という点で言うならば、オレクは彼女達の方にこそ共感する。自分には既に好きな相手がいるから彼女達の想いには応えられないし、ヴィオラに手を出そうとすることだけは看過できないが、彼女達の言動は愛しい相手に恋する者として全く理に適った当然の行動だと理解さえしている。
だって、いとしいからだろう。
言葉では尽くせない、魂ごとの想いを知ってもらうためなら自分の血も肉も惜しまないあり方は、とても真摯で懸命な愛の表現方法だ。
だって、こわいからだろう。
世界には魅力的な人も狡猾な人もどちらもとても多いから、自分が愛を尽くす前に、自分の愛をきちんと理解してもらう前に、相手が誰かに攫われて自分の愛に気づかないままでいる可能性が。だから自分の愛がどれだけのものなのかをちゃんと知って欲しくて、ちゃんと話し合いたくて、他の誰にも邪魔されない、会えない、見えない、聞こえない、話し合いが終わるまでは一生どこにも行かなくていい二人だけの場所を用意するのは、真剣な話し合いだからこそ当然のことだ。
だって、かなしくて不安だからだろう。
この辛さを、苦しみを、愛に裏打ちされた痛みを、どうかわかって欲しいと望むのは、愛する相手だからこその当然の欲求だ。喜びも怒りも痛みも悲しみも全て共有し合い受け入れて、乗り越えた先にこそ二人の幸せはあるはずだ。だが、心の痛みは目に見えない。言葉ではとても不十分だ。それなら胸の痛みを肉体的痛苦に変換して代理体験してもらうのが、最もいい方法だとは誰でもたどり着く考えだろう。痛いだろう、苦しいだろう、しかし与えられる痛みが愛に裏打ちされたものだと、そしてまた相手も同じだけの痛みを背負っているのだと気づけた時、二人の道は始まるに違いない。
これだけ明快な論理を、しかしながら理解できない人間は驚くほど多い。だが、オレクはそのことに関しても別段何か思うところはない。愛の形は千差万別で、それは決して他人に押しつけるべきものではないからだ。だからオレクは自分がそういった愛の形を望む者であることを理解しながらも、ヴィオラにそれを強要したことはない。大変残念なことに、彼女もまた現時点ではこの類の愛の論理を苦手とする側の人間だ。そしてまた非常に残念なことに、現時点ではまだヴィオラはオレクに対して恋愛感情を抱いてもいない。
だからこそオレクは、いずれヴィオラに撲たれたい。もう少し欲を言えば、監禁されたいし、拘束もされたい。自己を精神的にも肉体的にも制限されて、よそ見を許さないほどの痛みを与えられたい。それは裏を返せば、同じだけの痛みをヴィオラも背負っているということになるからだ。オレクのことだけで、こわくなって、かなしくなって、不安になって、胸が痛くて、心が苦しくて、――だから同じだけの痛みと苦しみを相手にも味わわせてやりたいと、思われたい。
他の誰にそうされたいわけでもない。肉体的痛苦それ自体に性的興奮を醸されるわけでもない。ただ、オレクは、ヴィオラだけに、そうされたい。だって好きだから。怒りも愛しさも苦悩も悦びもすべて綯い交ぜになった瞳の奥の奥に、隠しきれない不安や怯えを滲ませながらオレクに手をあげるヴィオラは、想像の中の姿でさえたまらなくかわいい。それが彼女の痛みなら、オレクを愛するが故の痛みなら、与えられるそれはオレクの心を熱く満たしてくれるだろう。ああ、本当に、想像するだけでぞくぞくしてくる。
今はまだ叶わない。オレクの大切で愛しい可愛いヴィオラは、幼馴染みを家族のように扱うばかりで自分のことを好きだなんて気づいてもくれない。しかしいずれ最も素晴らしい愛のあり方にも、その相手にも、ヴィオラが気がつくことはオレクの中では確定した未来だ。諦める必要も諦めない覚悟も不要の、必定の未来だ。それならことを急がずに、少しずつ、少しずつ、オレクの愛に、そのかけがえのなさに気づいてもらって、そしていずれオレクのことを撲ってくれればいいと、そう思っている。
そのための段階になるというのなら、オレクはヴィオラが恋人を作ったって構わない。まだ真実の愛に気づいていないのだから、そういうこともあるだろうと納得できる。ただしオレクの方はヴィオラと違って既に真実の愛に気づいているから、どうしたって多少の嫉妬はやむを得ないが、それも今だけの片恋の楽しさと思えば耐えられる。
ただ以前、ヴィオラも嫉妬してくれないかなと期待して自称恋人を放置してみたら、満面の笑顔で祝福されたことがあった。その時ばかりは切なさと淋しさのあまりに、やや激しめの悋気を彼女の恋人に向けてしまって破局を早めてしまった、というようなこともないではない。ヴィオラと結ばれた暁には告白しようと思っている事柄のひとつである。その時彼女は感動して照れるだろうか、それとも図々しいと責め詰るだろうか。どちらの想像もオレクの胸を熱くする。楽しみでならない。
そしてだからこそオレクは、ヴィオラを襲う女性達が許せないのだ。