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4.加害者っていうか、被害者っていうか

「だま、……え?」


 柔らかな面立ちを、大抵いつもふんわりとほほえませた穏やかで優しい好青年。それが娘の知っているオレクだ。今の地を這うような凍て付いた声が彼のものであることも、それが自分に向けられたものであることも、どちらの事実も彼女には信じられない。「オレ、クぅ?」とうかがうように名前を呼ぶと、男は少し首を傾げるようにしながら真っ直ぐ娘の顔を見た。


「痛いって? どこが?」


 ぱっと娘の顔が輝く。今の台詞ひとつで、すべての不安が払拭された。だって自分を心配してくれている。それは自分のことが一番大切だからだ。一番愛してくれているからだ。だから心配で心配でたまらないのだ。それなら早く教えてあげなくては。自分がどれほどひどい目にあったのかを、あの女がどれほど卑劣なやつなのかを。


「あの女、あの女! あたしのことを、その棒でぶったの、何度もよ。あたしのこと、そうよ、そう、殺そうとしたのよ! きっと、ずっと、あたしのこと殺そうとしてたんだわ! そうよ! あたしが、オレクのこと救おうとしたから! 自分がオレクをだましてることに、あたしが気づいたから! ねえ、オレク、もうわかったでしょ。わかったよねえ、あいつっ、あの女がっ、どれだけっ」

「で、どこ?」

「手首に肩も。ひどいの、本当にぃ、痛――」

「肩? ああ、こっちかな」


 娘の声が、ひしゃげた。ぎぃ、と声とも呼べない音がふっくらとした唇から溢れる。オレクは、ヴィオラがめん棒で打ち据えた肩口を思い切り踏みつけていた。苦鳴をあげる娘を見下ろすオレクの瞳は冴え凍っていて、常のような穏やかさも柔らかさも微塵も見えない。娘を拘束していた隊員は、同僚の無温のまなざしを見て開きかけた口を閉じた。民を守るべき警邏隊としてあるまじきだとしても、同僚が、怖い。こうなった同僚が、一番、怖い。自分などでは止められない。


「うぁ、あー、あ」

「痛い、よな?」

「ぃい、いたい、いたい、いたいいたいいたいいたいぃいい」

「よし」


 ぼたぼたと涙と涎を落としながらわめく娘の様子に、オレクは最後にぐりと靴底を(にじ)った後、足をどけた。

 突然の激痛から解放されて、娘は時折咳き込みながらひぃひぃと喉を鳴らす。オレクは喘ぐ様子になど興味がない顔で、視線を娘を拘束する同僚に向けた。正確には、彼が押さえ込んでいる娘の腕のあたりに視線をさまよわせた。


「手首、だっけ。どっちだ?」

「オレク! オレク副長! 馬車が来た!! 連行すっぞ!!」


 内を気にしつつもずっと外に目を向けていた一人の隊員が、殊更大きな音を立てて店の扉を開きながら声を張り上げた。その瞬間、オレクを除く全警邏隊員の間を安堵の空気が走り抜ける。待ちかねていた! という声にならない声がオレクを除く全員の間で共有された。


「レネー! その女を立たせろ。さっさと連れてこい」

「マクシム。でも、まだ手首が残ってる」

「いやいや十分だから! もう十分だから! 大丈夫だから! 見ろ、そんだけ痛がってるだろうが。十分、十分だって、マジで」

「だが、肩と手首は違うだろうが。骨と筋肉への響き方が全く。例えばだな」

「そういうのいいから。おい、レネー、さっさとしろって」


 マクシムは体格に見合った大股でオレク達に近づくと、娘の片腕をつかみ多少強引に引きずり立たせた。もちろんつかんだのは、オレクが肩を踏みつけたのとは逆の腕である。

 優しいと信じていた、愛されていると信じていた男からの突然の暴虐に完全に自失している娘はほとんどなすがままで、マクシムは娘を店外に止まった警邏の馬車に押し込む。続いて、先まで娘の拘束役を務めていたレネーも一緒に押し込んでから、速やかに馬車を発車させた。

 ふうっ、とマクシムは大きく息を吐く。このすがすがしい気持ちをこそ解放感と呼ぶのだ。やっと引き離せた。あのままでは恐らくオレクは娘の手首の骨を折りにかかっていただろう。今日の面子では、激怒したオレクを止められるのはマクシムを除いて他になかったから、彼の安堵と解放感はひとしおだ。

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