諦めましたよ
俺の奥さんは、最近独り言が多くなった。
さすがに、外では「やめておけと」思うのだが、まだそれを伝えた事はない。
彼女はずいぶん成長した息子を両親に預け、近頃仕事に復帰した。
さいわい、育児休暇なども充実している職場だったため、復帰自体には別段支障はなかったらしいのだが、やはり子育てとの両立は大変らしく独り言のほとんどが俺に対する愚痴だ。
それは俺の両親と会う時にも発揮され、俺の母親と仲良くやってくれるのは有難いが、話のネタはもっぱら俺に対する愚痴なのは頂けない。
特に俺の母親など「親不幸な息子に、貴女のような素敵な人はもったいない」と、まるで彼女の親を代弁するようなことを平気で口にするのだからたまったものではない。……だが、俺としても親不幸な事をしてしまったと自覚している分、黙って聞いてる他ないのは情けないところだ。
息子も1歳になり、ずいぶんしっかりしてきた。
彼女が息子の名前を「隆司」にしたと言ってきた時は、俺の名前と同じ漢字を使うなんて、可愛い事をしてくれるじゃねーかと喜んだものだが、すぐさま、漢字が気に入っただけだと言われたのには少しへこんだ。
―――いくら、傍で息子の成長や妻の生活を見守っていると言っても、俺には二人を抱きしめてやる事は出来ない。
あいつは幽霊の存在をうっすら感じるだけで、どこにいてどんな顔を俺がしているかすら分かっていないのだ。こんな事なら、せめて籍だけでももっと早くに入れておけばよかったと後悔したが、それさえもあいつを縛る事にしかならない気がする。
俺が死んだ当日にあいつと籍を入れようとしていたため、あいつは正式には俺の妻ではない。
だから、あんなにもしょっちゅう俺の両親に子どもの顔を見せに行く義理もないし、いい奴を見つけて新しい人生を歩むことだって本当は出来る筈だ。
…けれど、俺が死んだ後妊娠が発覚したあいつは、初めて子供が出来たという事実に怯えることなく、一人で育てていくと俺の仏壇のまえで誓ってくれた。このときほど、あいつの強さと優しさを実感した事はないかもしれない。
それと同時に、あいつの脆さを垣間見ることになった。妊娠が分かった後、彼女は自分の両親とだいぶもめており、「どうしても、この子を一人で育てたいから協力してくれと」電話しながら泣いていた。
何故、俺が幸せにするはずだった彼女の姿を、傍で見ていることしか出来ないのだろう…。こんなにも頑張っている姿を見ると、さすがに申し訳なくて涙が出た。
以前に、俺の声を聞ける人間に会った事がある。
その人間に頼み、一番言わなければいけないと思っていた事を伝えてもらった事があった、どうしても『何もそこまで無理する事はないんだ』と伝えたかったのだ。
だが、きっと彼女は夢の中で「俺のことは忘れてくれと」言ったことやその言葉がただの強がりであり、本心ではない事を知っていたのだろう…。
彼に会ってもらったその日の夜中に、「私が子どもの父親役も母親役もやってみせるから安心しろと」言って一人泣きながら笑っていた。あれには、彼女の幸せだけを願えない自分が情けなくてしょうがなかった。
…お前は「泣くのはきらいだと」いつも笑っていたのに。
俺の事でそんな顔をしてくれるなんて、想ってくれているなんて知らなかった。
思えば、明るいと言われていた俺のマイナス面を理解し、支えてくれたのは彼女だけだった。そんな彼女だから、俺の格好つけた虚勢などすべてお見通しだったのだろう。
―――もう、自分に正直になってもいいだろうか?
四十五日もとうに過ぎて…子どもが無事に生まれたのを見届けてから、成仏しようとした俺を引き留めた心残りは子どもの事だった。せっかく生まれた隆司が、体が小さくこちら側の世界に来ようとしたのを阻止したあとは、もう少し隆司が大きくなるまで見守りたいと考えた。
けれど、どれだけ理由付けをしても、結局俺が家族のもとを離れたくないのだ。
ベビーベッドで一人遊んでいる隆司をみつめ、その想いはより強くなった気がする。あと少し、あと少しだけ…。
「俺にお前の父親面させてくれるか?」
そう問いかけた俺に、見えないはずの隆司が俺を見つめ、笑いかけてくれた。
ずうずうしくも、その瞬間に
確かに俺の子どもなんだと実感する事が出来て…涙が出た
都々逸「諦めましたよ、どう諦めた 諦めきれぬと諦めた」(都々一坊房歌)より
お前の母さんも、お前の事も
愛おしくて、抱きしめたくてたまらないよ
完結表示にしているくせに、ちまちま続けてすみません。
もしかしたら、またこの家族の一場面が浮かび続きを書いてしまうかもしれませんが、その時はお許しください。
この作品にお付き合いいただき、ありがとうございました。