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月が鏡になればよい  作者: 麻戸 槊來
未来の話
21/22

灯をともす

都々逸『可愛らしさや蛍の虫は しのぶ縄手に灯をともす』(詠み人知らず)

日暮れが近い静かな教室の中、突然に驚くような告白を受けて顔が固まる。

悲鳴を上げなくてよかったと、ひきつった口元に笑みを浮かべた。いくら元教え子とはいえ、自分が担当していない学年の男の子に呼び出された時から、薄々嫌な予感はしていた。自分の直感を無視して、対処しなかった数分前の自分を罵りたくても今となってはもう遅い。


真剣なまなざしは、決してこちらをからかっている訳ではないだろう。もともと、彼がそういう不謹慎なからかい方をするとは思えないほどには、教師として注意深く見守ってきたつもりだ。そんな教え子が、じわじわと私を追い込んでくる。


「お願いします、先生」


「な……何のことかしら?」


「今更隠しても、無駄ですよ。お願いですから、僕もできるように特訓してください」


同学年の子よりも大人っぽいとは思っていたが、自分の三分の一も生きていない子に口で負けてしまっている。これまで明かしたことのない私の秘密が、どうしてバレてしまったのか分からない。……分からないのだが、これを冗談と済ませるにはそのまなざしはあまりに強い。


「―――先生は、幽霊と会話ができるんですよね?」


必死に隠してきたことを、誰の目があるとも知れない小学校の廊下で指摘され、思わず魂が抜けるかと思った。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






彼は、私が以前担当したクラスの子だ。一年生を担当するのは初めてな私はだいぶ戸惑いを覚えたものだが、何も生徒の扱いに対する緊張や戸惑いだけがその原因ではない。


隆司くんのお父さんが、ずっと授業風景を見守っていたのだ。

彼が指摘した通り霊が見える私は、別段霊がいるくらいでは戸惑いを覚えたりはしない。ただ、彼のお父さんは特別目立っていて印象に残っている。



彼が授業で発言すると、飛び跳ね喜び。指された問題に見事正解すると、それはそれは誇らしげにしているのだ。隆司くんが、お父さんの姿を見ることはできると知っていたので、アイコンタクトしている様子を見てもさして驚きはなかった。




むしろ問題は、授業以外のところにあった。

校長の話が長すぎて、体の弱い生徒が倒れやしないかとハラハラしていると、校長のかつらが吹っ飛び。少し困ったやんちゃな子をどう注意すればよいかと頭を悩ませていると、水浸しになったその子を、隆司くんが保健室に連れて行った。


時々ポルターガイストをはじめ、霊には様々ないたずらをされてきたから、驚くほどのことではないとは思う。けれど、もう……事が起きた後の、この親子は面白すぎた。それまでむっとしたり、うんざりと言った様子であったはずの隆司くんが、途端に視線を厳しくしてお父さんを睨み付けるのだ。そのまなざしは口に出さずとも「なにやってるんだよ、お父さん!」と、明らかに怒っていた。息子に怒られたお父さんは、いっそこちらが可哀想になるくらいにしょんぼりして、肩を落とすのだ。



そしてこってり絞られたらしいお父さんは、翌日はおとなしくなり。次の日あたりには、お化け嫌いのゆいちゃんをからかって遊んでいたりする。突然物が動いたりするだけでビクビクするゆいちゃんは、見ていて可哀想なくらいだった。しかし、それを受けて隆司くんへぴとりとひっついたり、頼ったりするから、その時ばかりは隆司くんもお父さんの行動を黙認していて尚のこと彼女が不憫だった。




そんな彼がどうして今、ここに『一人で』居るのか。

疑問を口にするより先に、「お父さんにバレないように、来ました」と教えてくれた。


授業参観だった今日は、お母さんもお休みを取っていらしていた。私はもう彼の担任ではなくなってしまったのだが、この家族には廊下で会った。少し横を通っただけで、仲が良いのだとわかり思わず笑ってしまったのがいけなかったらしいけれど、あの会話は無視できるものではない。


「今日は頑張ったわね、隆司」


『本当に、格好良かったぞぉ』


「うん!来てくれてありがとう。眠そうだったのに、ごめんね?」


「何言っているのよ。隆司の晴れ舞台だもの。疲れなんて吹き飛んじゃうわっ」


『俺も、写真が撮れればいくらでも、撮ったのになぁ』


「お義父さんなんて、写真が撮れないって悔しがっていたわ」


『そうそう。親父も土曜なのに仕事なんて、間が悪いよなぁ』


噛み合っているのか、いないのか分からない会話は、普段の三人を窺っているようで思いのほか面白かった。声が聞こえていないはずなのに、隆司くんのお父さんはそんなことも気にせずにこにこ嬉しそうに話しかけていた。そんな様子を見て、時々隆司くんが呆れたような、嬉しさを殺しきれないような表情を浮かべているのは、幸せを絵に描いたようだった。




記憶を探る私の耳へ、唐突に静かな声が響いてくる。


「僕は魔法使いにはなれないけれど、一つだけずっと叶えたい夢があるんです」


「……あら。隆司君は将来、公務員になりたいんじゃなかったかしら?」


自分でも、この状況でごまかすにはあまりに厳しすぎると思いながら言葉にしていた。

だって、子ども特有の純粋なまなざしと、子どもらしからぬどこか達観した思慮深さを秘めた言葉は、面白いほど私の思考能力を奪っていくのだ。将来の夢が公務員になりたいなんて夢がないと思いつつも、現在の風潮から堅実を絵にかいたような目標は、子どもたちを世へ送り出す教師としては安心してしまう部分でもある。そんな今とは関係のない事柄で、なんとか相手の気をそらそうとしてみたのだけれど、大人を追い込むだけのことはある。隆司君は全然揺らぐことなく見つめてくる。


「それは、将来就きたい職業でしょう?そうじゃなくて、僕が言っているのは……」


「私は、君に『魔法』を教えられるような能力も技術もないわよ」


ぴしゃりと、私には無理だし早まるなという意味を込めて否定する。

小学生には酷かとも思うけれど、物分かりがよくて頭の良い彼が真剣に考えていることならば、これ以上適当にごまかすのは失礼だろうと向き合った。実際に、私は気づいていたら『見えていた』だけであって、特別努力したわけではない。むしろ、すこしでも一般的な人と同じようにふるまおうと散々努力してきたというのに、どうしてよりによって元教え子にバレてしまったのかと内心頭を抱えていた。


「……でも、素質がないわけではないでしょう?」


そして僕にも素質はあると思いますと、きっぱり断言された言葉を、悔しいことに否定できない。


「お願いです先生。僕に父さんと話をする機会を下さい」


「…………っ」


「お願いします」


何度も、何度も……繰り返される同じ言葉に、ぐらりと揺れそうな自分がいた。

さんざん苦労してきて、同じような思いを大事な教え子にさせるのかと否定する気持ち。それから、自分は選択肢すらなかったのだから、彼の意思を尊重して導くべきなのではないかという気持ちがせめぎ合う。……そして、私は。物語の『魔女のような結末』を迎えないようにと願いながら、分かりもしない魔法の練習を始めたのだった。






私の下した決断が、はたして正しいものだったのかはわからない。

教え、導く者としては、もしかしたら間違った選択だったのかもしれない。―――けれど、不思議なことに隆司くんが『見える』のは、彼のお父さんだけだということはその様子から分かっていた。血まみれの幽霊が傍を通って、私のようにびくつくこともなければ顔をそらすこともない。他にも、彼のお父さんの目を盗んで特訓する様子を見て、隆司君なら大丈夫じゃないかと思え自分にできる簡単な助言を与えるようになった。

正直言って、物心ついた時には息を吸うより簡単に、出来ていたことを人に教えるのは大変だったけれど、優秀な教え子は習得してしまった。



彼がお父さんの声が聞こえるようになってから、「お父さんもお母さんも、あまり嬉しそうじゃなくて危ない目にあったらどうする!って怒られたけれど、三人で話していると楽しそうなんだ」と、はにかみながら教えてくれた。ご両親の気持ちを知って申し訳ない気持ちが浮かんだけれど、それでも学校でこっそり楽しそうに会話する親子を見ていると、悪いことばかりではなかったのだと思えた。




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