鳴くに鳴かれず
ときどき無性に……
一人で泣き叫びたい時がある
誰に肯定されなくてもいいから
『貴方』にだけは否定されたくないだけなの
都々逸「鳴くに鳴かれず飛んでは行けず 心墨絵のほとゝぎす」(詠み人知らず)
お母さんは、最近とっても元気がない。
心配になって「何かあったの?」と聞いても、慌てて疲れているだけだと笑ってしまう。無理やり笑って欲しいわけではないけど、おじいちゃんやおばあちゃんとけんか中に僕がかばった時のように「何でもない」という言葉を繰り返されてしまう。時々お母さんが目を真っ赤にしているときは、泣いているのだと僕は知っているのに。―――けれど今回は、おじいちゃんやおばあちゃんに何か言われたのではないと分かっている。
いつも通り、僕は家族に邪魔されないタイミングを狙って居間へ移動した。
御客様を通す居間は和室で、リビングから少し離れているからちょうどいいのだ。きっと、相手もうすうす分かっていたのだろう。襖を閉めてくるっと振り向くと、苦虫をかみしめたお父さんが居た。
「……父さん、何かしたの?」
『…………』
普段いろいろと動きがうるさいお父さんが、僕から目をそらして気まずそうな顔をする。その珍しい行動に驚いてじっと見つめると、今度はごまかすようにわたわたと手足をせわしなく動かす。……これで怪しむなという方が、無理だと思う。
「やっぱり、何かしたんだね」
ぎくっと、悪いことをした猫のような動きをしたくせに、言い訳をしようともしないのはおかしすぎる。たくさんおかしい点がありすぎて、お父さん以外の原因は思いつかなかった。ふいっと横を向いて、気まずそうに頭を掻いたって許してやるもんか。僕の中では、お父さんがお母さんを悲しませるようなことをしたというのは決定事項だった。
お母さんは口ではいろいろ言いながらお父さんを大事に思っているし、お父さんはちょくちょく暴走してはお母さんを怒らせたり困らせたりしている。
今回もどうせそんな感じだろうと思っていたのに、お父さんまで元気がないように見えて戸惑ってしまう。普段なら「父さんのジェスチャーは分かりにくいっ!」なんて憎まれ口をたたくのに、こうも大人しくなられては本当に何もわからない。
学校でやるジェスチャーゲームなら、負けたことはないのにと唇を噛む。
「なんだ。まぁーた隆司の一人勝ちかよ。たまには俺たちが当てたいのに」
「りゅう君は、ジェスチャーゲーム得意だもんね」
「うん……まぁ、動きがうるさい人と四六時中一緒にいるから」
「はぁ?隆司の母ちゃんは大人しいじゃん。じいちゃんばあちゃんだってうるさいって感じじゃねぇし」
「あー、まぁーうん。いろいろあるんだよ」
「うっわ、先生何いきなり教室に来て笑ってるの!」
「ちょっ、ちょっと新しくできたプリント届けてほしいって担任の先生に頼まれただけなんだけど、お、面白い話聞いちゃったから……」
「…………」
「へぇーんな先生!」
ゆいに褒められたことのほかに、嫌なこともつい思い出してしまって気分は最悪だ。
学校では、あんなに流行っていたジェスチャーゲームが、「隆司が全部あてるからつまらない」という理由ですっかり人気がなくなってしまった。「僕は大好きだったのに……」と落ち込んでいた時に、慌てて一緒に遊んでくれたのもお母さんだった。
「―――何があったか知らないけれど、お母さんを泣かせたら怒るよ?」
思いっきり睨んで怖い顔を作ったはずなのに、お父さんはそれを聞いて困ったように笑った。まったく、どうなっているのか本当に大人は判らない。まだ子どもだから分からないと思われているみたいだけど、僕にしか見えないことだってたくさんあるはずなのに。……そう、たとえば家族で唯一お父さんが見えているように。
何時だって大人は勝手で、「子どもだから」という理由でごまかすのだ。
『隆司は、ずっとお母さんの味方でいてくれな……』
お父さんが、どうして泣きそうな顔をして頭を撫でる素振りをするのか、全然わからない。
……けれど、分からないのもおかしくない話だと思う。だって、僕にはお父さんの声は全然聞こえないのだから。本当はお母さんも聞こえないし、姿すら見えないはずなのに、ときどき見えている僕以上に敏感に変化を感じ取っている。
お父さんの様子からみて、不思議なことにお母さんとの会話はうまくできているみたいなのだ。僕にはお父さんが何に慌てて、何に喜んでいるのかいまいち分からないことも多いのに、不思議でしょうがない。
「……僕には、わからないよ」
ふと、ゆいが似たようなことを言っていたと思い出す。
彼女のおばあちゃんに言わせると、夫婦にしか分からない事や夫婦だから分かることがあるというのだ。僕にはまず『夫婦』というものがよく分からないけれど、姿が見えず声も聞こえないのに、お父さんと『会話』できるお母さんはやっぱりすごいと思う。
実は、お父さんがお母さんの近くに居たがるのは、それが原因の一つではないかとこっそり思っている。きっと、見ることも話すことも出来ないのに分かってくれるお母さんが、大好きで嬉しくてしょうがないのだ。僕だって、お父さんと同じように話せる人が誰もいなくなったら寂しくなるだろう。
……そんなことを考えてしまうと、お父さんは寂しいからあんなに何時もテンションが高くなるのかなぁと、胸がちくりとする。
急に、幼稚園時代の夢を思い出した。
ずっと、僕は魔法使いになりたいと思っていたのだ。友達には「勇者よりも魔法使いは弱っちくて、全然かっこよくない!」なんて言われていたけど、魔法をうまく使えば回復だってできるし、肉体強化することだってできる。あの頃はそんな難しいことをしっかり分かっていたわけではないけど、魔法を使えばいくらでも強くなれることは分かっていた。強くなれば幼稚園の友達のお母さんに嫌なことを言われているお母さんを守れるし、いつも仕事でくたくたになったお母さんに魔法をかけて元気にしてあげることだってできると思った。
それに何より、ずっと傍にいるお父さんの声を聴いてお母さんに伝えることだってできると思ったのだ。でも、僕が有名な眼鏡をかけた少年のように突然魔法を使えそうな気配は一向にないし、お母さんを元気にしてあげることも出来ない。
僕は久しぶりに、「魔法を使いたいっ」と本気で思っていた頃のことを、お父さんの泣き笑いみたいな表情を見ながら思い出していた。
僕がいつか、二人の願いをかなえてみせるよ―――。