松の並木
都々逸「松の並木が何に怖からう 惚れりや三途の川も越す」(詠み人知らず)
最近はずいぶん寒くなってきたからと、お母さんは私にもこもこのダッフルコートを着なさいと言った。私お気に入りのキャラメル色のこれは、来ているだけでポカポカしてくる感じがして好きだ。
―――でも、一人店の外で待ちくたびれている今は、ちょっと暑くてぬぎたくなる。
「コートぬいでもいい?」
「ゆいがずっと自分で持っていられるなら、いいわよぉ」
「……じゃあいい」
ふんわりした雰囲気のお母さんは、話し方や見た目ほどやさしくない。
きっとここでコートをぬいだとしても、私の代わりに持ってくれなんてしないのだ。自分でずっと重いコートを持つなんて考えただけでもうんざりするから、関係ないはずのほっぺたまで熱くなっているのも我慢することにした。「マスクは外したがらないのにねぇ」なんて笑われたけど、ずっと欲しくてやっと買って貰えたこれを、外したいなんて思うわけない。
「これは可愛いからいいの」
「まぁ、マスクをしていたほうが喉も乾燥しなくていいからね」
店の中は暑いと言ったら、ショッピングモールの通路にいることを許してもらえた。「すぐに買ってくるから、ちゃんと待っているのよぉ」なんて、私が好きじゃないしょうが味の商品を買い込んでいるのを嫌だなぁと思いながらみる。
友達はみんな「ゆいちゃんのお母さんは優しくていいなー」って言ってくるけど、意外と厳しいし、一度駄目と言われたことは絶対に聞いてくれない。その点、お父さんはやさしくて、新しいお菓子を見ているだけで「お母さんには内緒だよ?」なんて言って買ってくれる。……そして、お父さんはいつもお母さんにバレてしまって怒られるのだ。
習い事の帰りにコンビニに寄り、その場ですべて食べてしまってもお母さんにはわかってしまうのだから恐ろしい。どうして分かるのか不思議に思っていると、「お母さんには何でもお見通しなのよぉ?」なんて真剣な顔で言われて、怖くてお父さんと二人で震えてしまった。
今も、本当は可愛いバッグとかを見に行きたいのに、大きなショッピングモールの端でお母さんが買いものするのを待っている。風邪気味の私には、しょうが味の物がいいのだと言って欲しくもないのにどんどん籠の中に入れているのが見えて嫌になって出てきてしまった。前に味見したしょうがの入った紅茶は美味しくなかったし、甘いミルクティーは好きなはずなのに、全然飲みたいと思わなかった。
いくら風邪をひいてしまったからと言っても、またあれを飲まなきゃいけないのは嫌だなぁと思っていると、見知らぬ男の人が声をかけてきた。
『ゆいちゃん?』
「……どなたですか?」
絶対にこんなおじさん見たことないし、お母さんの知り合いにもいなかったはずだ。
どうして私の名前を知っているのだろうと不思議に思うと同時に、まさか変態じゃないかと睨みつける。
『えっ……そ、そんなに怖い顔しないで!俺は、隆司の親戚です』
「りゅう君の?」
『そう、そう、りゅう君の!ところで、風邪は治ったの?』
どうやら、お隣の男の子の名前まで知っているらしいおじさんに、尚のこと怪しく思えてしまう。マスクをつけていたら、風邪をひいていることなんてすぐにわかるだろうし、全然信用できない。
帰りの会で「近頃は、変態だけじゃなくてたちの悪い勧誘も増えているから、変な人と話しちゃだめですよ?」なんて、先生が言っていたのだ。小学生向けの勉強道具を売りつけるために、同じクラスの子の連絡先を聞き出そうとする電話もかかってきたと友達も言っていた。
「ただで今人気のキャラクターグッズが手に入るなんて、絶対怪しいからすぐに切ってやったわ!」
「そ、そうなんだ……」
あまりの迫力に、きっと電話をかけてきた人も怖かっただろうなぁと、ほんの少し同情してしまった。私と違ってはきはきしている彼女は、友達としては心強いけど、敵に回したらこわそうだ。
そんな彼女の口調を真似しながら、怪しい人を撃退してしまおうと口を開きかけたけど、声を出すことはできなかった。何せ、相手がすごいスピードで話しかけてきたのだ。
『数日休んでいたから、隆司もさびしがっていたよー!家のおく……隆司のお母さんも、心配してたし』
「りゅう君が、さびしがってた……」
『当たり前だよー。ほら、毎年一緒にクリスマスとかお花見してるから、クリスマスまでに治るといいなって楽しみにしてたよ』
「なんだ……豪華なお料理目当てなのね」
友達の多いりゅう君が、私がいないとさびしがってくれたなんて嬉しくなったのに、がっかりしてしまう。前にうちと一緒にパーティーとかをすると、料理が豪華になると喜んでいたから、きっとそれが目当てなのだろう。この知らないおじさんに対する警戒はしないでよさそうだけど、休んでいてもりゅう君はあまり気にしていないのだと思うと元気もなくなってしまいそうだ。
『ちがう、ちがうっ。ゆいちゃんと一緒に過ごせるっていうのが、ポイントなんだって!俺も、大好きな彼女と一緒に過ごしたくて色々頑張ったことがあってさぁ~』
「そ、そうなんですね……」
すごいスピードで話すおじさんを見て、どうしてこの人の事をりゅう君から聞いたことがないのかわかった気がする。いつもふざけている同級生を見て、「本当に、そういうことするのは一人で充分なんだよ……」なんて、嫌そうな顔をしていた。このおじさんと一緒にいたら、確かに似たような人と過ごしたいなんて思えないほど濃厚な時間を過ごせるだろう。りゅう君の言葉を借りるのなら……それこそ、うんざりしそうなほど。
『あれ、ところでゆいちゃんは一人なの……?病み上がりなのに大丈夫?』
ようやく、こちらの話を聞いてくれるらしい。
このおじさんは、いくら親戚とは言ってもりゅう君とは全然似ていない気がしたけれど、やっぱりやさしい所は同じみたい。眉をよせて心配そうに小首をかしげる姿なんて、彼そっくりだ。
「ううん、お母さんが買いものしてるの待ってるの。ここの方が自然食品で、体にもいいだろうからって」
『嗚呼、最近このお店にはまってるって言ってたね。ここは当たり外れがあるらしいから、付き合わされる方としてはちょっと怖いね』
「うん」
おじさんが、何ともえいない表情で私の気持ちを代わりに言ってくれたことが嬉しくて、思わずくすりと笑ってしまった。
すぐ戻るといったのに、やけに遅いとお母さんを見ると、長いレジの列に並んでちらちらこちらをうかがっていた。この頃は変な事件が多いから、私も巻き込まれないか心配なんだろう。大丈夫だと笑って手を振って見せると、ごめんねというようにジェスチャーで返してきた。
そのあと何気なく店を見てみると、ふっとおかしい人を見つけてびくりと震える。
「あの人……」
『うん、どうした?』
おじさんは私のみている物を確認しようと、しゃがんで同じほうをむいた。そこには、白いワンピース姿のやけに長い髪の女の人がいた。寒いのに上着を着ていないなんて変だし、歩き方もおかしい気がする。
「ゆうれい……」
『えっ!』
私がそう口にしたら、おじさんは面白いほどびっくりしてた。
もしかしたら、こんな大人でもゆうれいが怖いのかもしれない。りゅう君に話すと、どこかあきれた様子で笑うだけだから、仲間を見つけた気持ちでうれしくなる。
「絶対そうだよ!あんなかっこうの人今どきいないし、歩き方だって変っ」
それに、お店は混んでいるのに、だれかとぶつかったりもしていない。きっと、ゆうれいだからすりぬけてしまうんだと力説したのに、おじさんは急ににこにこ笑いだして驚いた。
『あの人は、幽霊じゃないと思うよ?』
「えぇっ、何で分かるの!」
絶対そうだという私を、まだにこにこ顔で見つめてくる。
あんまりにも長く笑っているものだから、バカにされているのかと思ってほっぺたをふくらませた。
「信じていないんでしょう」
『以前は幽霊なんて、言葉を聞くだけでも怖がっていたのに、もう怖くなくなったんだ?』
「べ、べつに怖くなくなったわけじゃないけど。りゅう君が、ゆうれいにも怖いやつばかりじゃないっていろいろ本をかしてくれたから……」
りゅう君は、ゆうれいと聞くたびに怖がっていた私に、カワイイものやカッコいいゆうれいもいるのだと、教えてくれた。どうしてか何時もより熱心に教えてくれた気がするけれど、あまりに私が怖がっていたせいだろう。あれから、自分にももしかしたらゆうれいが見えるんじゃないかと、怖さと変なドキドキをずっと持っていた。
「本当に、りゅう君の親せきなんですね」
『えっ、えぇ?どうしたの、いきなり』
「だって、りゅう君の話をするたびに、うれしそうな顔をするから」
彼のお母さんやおじいさんたちと同じ反応に、今度はこちらが笑ってしまう。
くすくす笑っているのに、どこかうれしそうな顔をくずさないおじさんに、もっとおかしくなってしまう。
『ゆいちゃんが、隆司と仲良くしてくれるのうれしくってね。それにほら、さっきの人を見てごらん』
「あっ……」
『レジに並んでいるし、幽霊じゃないよ』
「でも、人間に見えるゆうれいだっているかもしれないし……」
諦めきれずに口をとがらすけど、おじさんはさらに言葉をつづける。
けれど頑張ってもやっぱり、りゅう君のおじさんにはかなわなかった。
『たとえ見える幽霊だとしても、俺だったら姿を消して、会計何てせずバレないように逃げちゃうよ?』
「うぅぅ、うん。そうだね。あの人はちがうみたい」
しぶしぶうなずいた私に、ゆいちゃんは素直だななんて笑いかけてきた笑顔は、やっぱりりゅう君に似ている気がしてイヤじゃなかった。
このおじさんといると、どうしても彼を思い出すなぁとおもっていると、突然大きな声が聞こえておどろいた。
「―――おいっ父さん、何やってんだよ!」
『わっ、隆司!』
聞こえた声が、いま考えていた人でびっくりしてしまう。
めずらしく怒った様子のりゅう君は、怖い顔のまま走ってくる。どうしてそんなに怒っているのかわからなくて、どうしたらいいかわからないまま話しかけることにした。
「りゅ、りゅう君も来てたんだね」
「あっ……ごめんね、ゆい大きな声出して。こんなところでどうしたの?風邪は大丈夫?」
「う、うん」
まるでおじさんを無視するように、私の方を見て彼は話しかけてくる。
りゅう君は、最近私のことを『ゆい』と呼ぶようになった。友達は特別な子だから名前で呼ぶんだよと言っていたけど、ただ小さいころから呼んでいたから、今も呼んでいるだけだと思う。そうじゃなければ、お母さんたちの呼び方がうつったとか、女の子をちゃん付けで呼んでいるのが恥ずかしくなったとか。
いろいろ考えながら、おじさんは話さないのかと思わず見上げると、まるで悪戯を見つかった弟のような顔をしていた。どうしてそんな顔をしているのかわからず、問いかけようとした途端、今度はお母さんに名前を呼ばれふりむいた。
「ゆい、待たせてごめんねぇ。一人で暇だったでしょう?」
「えっ……うぅん、ひまじゃなかったよ?」
それに、一人じゃなかったことはお母さんも知っているはずなのに、どうしてそんなことを言うのかとおじさんの顔を見ようとしたけれど、そこに『おじさんは』いなかった。
「―――えっ?」
「あら、りゅう君が話し相手になってくれたの?」
「えっ、ちがうよ。りゅう君じゃなくて……」
「ぼ、ぼくは今来たところで、ゆいちゃんは一人で立っていました」
その言葉を聞いて、血の気が引くというのはこういう感覚なのかもしれないと思った。さぁぁと背中が寒くなって、手足の先も冷たく感じる。
「ゆい……?」
「あら、あら。また具合が悪くなってきちゃったのかしらね?いくら治りかけとはいえ、病院帰りに付き合わせてごめんなさいね」
その日から、私はどんなに明るいゆうれいでも怖いと感じるようになった。
「……父さん、ゆいと話したの?」
『いや、話したというか、自分でもびっくりする次第でして……どうして、今日はゆいちゃんに見えたんだろう』
「なに、僕に対してだと、いきなり声が出なくなるの?」
『えっ、そんな訳ないじゃないか!俺だって、可愛い息子と一晩中だって語り明かしたいし、奥さんに伝えてほしいことだって山ほど……』
「あーもう、何となく分かったからいいよ。わざとじゃないってことは分かったから。僕はお母さんへの伝言係なんてごめんだからね」
『心の声できいて隆司―!』