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月が鏡になればよい  作者: 麻戸 槊來
未来の話
16/22

ふり落とされて

都々逸「朝顔が頼りし竹にもふり落とされて うつむきや涙の露ぞ散る」(頼山陽)


※誠に申し訳ありません。しばらく間違った情報載せていました。こちらの都々逸は、私の調べが間違っていなければ頼山陽の作品とわかっております。大変失礼しました(2015/12/11)

事件は、日も暮れて今日も変わり映えのない日常だったと油断していた時に起こった。



その日も、奥さんが少し疲れた様子で帰宅して、のろのろと自室へと引っ込んでいくのを見届けるまではなんてことなかった。

仕事が忙しかったのだろう。少しほつれた髪は色っぽいなんて考えながら、セクハラされていないか痴漢に遭っていないかと心配になる。本当はすぐにでも問いただしたいところだけど、疲れた様子の彼女にそんなことをしようものなら、間違いなくぶん殴られることだろう。……いや、彼女は平和主義者だから、きっと汚いものでも見るような冷たいまなざしで凄まれ「ただでさえ疲れているんだから、さらに疲れさせるような馬鹿なこと言わないで」なんて言われてしまうだろう。


おまけにこれは、体験談であるから決して誇大妄想などではない。


「お母さん、今日も忙しかったのかね……」


『嗚呼、最近移動してきた新入社員の扱い方がわからないって嘆いていたから、気疲れしたんだろ』


ちょくちょくとある男性社員の名前を出しては、どうして教育係でもない私がこんなに頭を痛めなきゃいけないの……なんて愚痴っている。本来であれば、男の名前が彼女の口からこぼれるなんて嫉妬してもおかしくない場面だが。その、あまりに嫌そうな表情を見てしまえば労わる感情しか生まれない。要領がいいくせに自分からは仕事を覚えようとせず、すきを見ては可愛い女性社員にちょっかいをかけて迷惑されているらしい。


真面目な奥さんからしたら、もはや異星人よりも理解しがたい存在なのだろう。


「『アレ』は何なの……本当に、同じ人間なの」


なんて、いやに据わった眼で呟いていたときは、さすがに恐怖すら覚えた。

あんなに疲れた様子なのは、彼女自身が新人社員として慣れない業務に四苦八苦していたときすら見たことがない。


もう、いっそ俺が直々に出向いて何とかした方がいいんじゃないかなんて考えだしたときに、絹を割くような悲鳴が家を揺らした。


「きゃー!」


『な、なんだなんだ!』


この声は、間違いなく奥さんのものだった。

普段はまず聞くことのない悲鳴は、事件のにおいしか感じない。慌てて立ち上がった俺よりも早く、バタバタと階段を駆け下りる音がしたかと思えばスパンっとふすまが開かれた。


まるで、怒りと驚きと苛立ちを混ぜたような表情の彼女は、一呼吸おいてから声を上げた。


「ご、ごごご…ごき、ご、茶色い悪魔がでたー!」


『なにぃー!』


珍しく混乱した様子の奥さんに引っ張られ、思わずこちらも大声で叫び返す。


何せ、生きている時であれば代わりに撃退することも出来るが、今はこんな体になって手も足も出ない状況なのだ。意識を集中すれば何とかなるかと思いきや、相手の素早さに追いつけず、連戦連敗だ。


「げっ、アレが出たの?」


隣にいた隆司も、嫌そうに眉をしかめる。

隆司は奥さんほど苦手ではないようなのだが、あのかさかさとした動きと黒光りする見た目が嫌なのだと言って、代わりに撃退しろと言っても聞き入れない。半狂乱と言って良い状態の我々をあざ笑うかのように、壁にある黒いシミが動くのが見えた。


『あっ……』


「いやぁぁー!こっち来たー!!」


「ちょっ、お母さん僕を盾にするのはやめてよ。大体、お父さんも僕も退治できないんだから、こっちに助けを求められても困るよ」


『おい、隆司!怖がっているお母さんに向かって、なんて冷たいことを言うんだ』


こんなに怖がっているのに、冷たい反応の息子をしかりつけた。第一、混乱した状態の彼女にそんな正論が通じるわけがない。そんな考えは外れることなく、「いやぁ!どうにかしなさいよぉ!」なんて俺を睨みつけてくる。その後も、あちらこちらへ我が物顔で動く虫に右往左往していると、一人の救世主が現れた。


「貴女達、なに大声で騒いでいるのよ」


近所迷惑よ!なんて言いながら、顔をのぞかせた奥さんの母親であるお義母さんは、ちらりと茶色い悪魔に視線をやったかと思えば、近くにあった新聞で我々の敵を撃退してみせた。


「まったく、これくらいでぎゃーぎゃー騒いでどうするのよ」


颯爽と去るお義母さんの姿を頼もしく思うと同時に、俺を一番に頼ってくれた奥さんを想って、ひそかに喜んでみたりした。




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