人はこころよ
都々逸「梅は匂いよ木立はいらぬ 人は心よ姿はいらぬ」(高三隆達)「隆達節」より
隆司も、思春期を迎えました。またの名を、第一次反抗期。
全話、独自改行をやめてみました。
ある日突然、息子が声を荒げたのに驚き、肩を震わせた。
「父さん、いい加減にしてくれよっ」
いきなりの大声に驚いて、俺は一人オドオドする。
どうしてこんなことを言われたのか分からない。俺は普段通りの行動をとっていただけだというのに、突然どうしたというのだろう。なんのことを言っているのかと問いかけたい所が、俺の声が聞こえない息子にといかけるすべを持っていない。
そもそも、昔は「お父さん」と可愛らしく呼んでくれていたのに、微妙に呼び方が変わってしまい複雑な感情を抱く。奥さんのことは、まだ時々「お母さん」と呼ぶことはあるのに、俺はすっかり不本意な呼び方が定着してしまった。
「いつまで、女のケツ追いかけているつもりだよっ」
『隆司っ!なんて言葉を使うんだ!』
あまりに下品な表現を使う息子へ憤りを覚えて、伝わらないと分かりながらも叫び返した。
幸いこの部屋には二人きりだったからよかったものの、思春期とはいえまだ小学生の息子がこんな言葉を発したと知れば、お義母さんは卒倒してしまうだろう。最近は小学校で年下の面倒を見ることがあるせいか、やけに大人ぶった風な口を利く。
おなじ男として成長の証しだと言えば聞こえはいいが、優しい隆司がこんな言葉を吐くのは聞きたくなかった。俺は勿論のこと、周囲に下品な口を利く大人はいないというのに、どこで覚えてきたのだろうか。
もしや俺の弟かと疑いもするが、あいつはいやに優しくしてくれており、隆司にとって『憧れの男』になるのだと奥さんに言っていたから、その可能性は低いかと考えを改める。そんなに子ども好きではなかったはずなので、まさか奥さん狙いかと疑ったこともある。だがなんと、あいつは俺の分まで隆司を構おうとしてくれているのだという本心を聞いた時は、嬉しくて少し泣いてしまった。
『奥さんに手出しするな』という警告のため、毎晩枕元に立つ計画をしていたので、実行にうつす前で本当に良かったと、あいつの結婚式で感動とはまた違う涙を流したのは内緒の話だ。
脱線しかけた思考に気づき、あわてて隆司に視線を戻す。
初めて聞く言葉は、想像以上に俺を動揺させた。
「なんだよ、文句があるのかよっ。だってそうだろう?母さんが帰ってきた途端、べたべたべたべた四六時中くっついて!いい年して何やってんだよ」
『そんなこと言っても…。家の中でしか一緒にいられないんだから、しょうがないじゃないかっ』
大人げないと思いながらも、息子の言葉に反感を覚える。
二人がわかれて出かけている時は息子についていくようにしているが、出来ることなら二人とずっと一緒にいたいぐらいなのだ。彼女の職場での様子も気になるし、痴漢などにあったと聞かされた時は不届き物を始末しに行こうと思ったほどだ。
何年も成仏せずに、この世にとどまっている俺の宝物に手を出した罪『その身で篤と味わうがいいっ!』とまで考えた。
―――しかし、俺が怒っている時は決まって二人に宥められてしまう。
「痴漢の一つや二つで悪霊になったら、二度と家に入れないからね?」
「そうだよ父さん。
こっちまで気分が暗くなるから、禍々しい気配を放つのはやめてくれよ」
『うっ…す、すまん』
こんな風に窘められば、誰だって黙るしかなくなるだろう。
本当は俺が直接守りたかったが、妻に「隆司を見守っていてくれたほうがよっぽど嬉しい」と言われてしまえば、従うほかない。仕方なし、様々な防犯グッツを買うことを勧めるにとどめた。おかげで彼女のカバンの中身は物騒な状態になっているから、職質で中身をのぞかれたらいろいろ厄介なことになりそうだ。
それほど彼女たちのことを想っているというのに、現在息子は烈火のごとく怒っている。
何を、そんなに怒ることがあったのだろうかと首をかしげ考えた。今日は、比較的大人しくしていたので、つまらない長話をする校長のかつらを吹っ飛ばすことも、偉そうなクラスメートに水をぶっかけることもしていない。
『本当に、突然どうしたっていうんだ?』
「~~ここまで言っても分からないのかよっ。別に、父さんが母さんを大切にしているのはいいんだよ?息子としては、二人の仲がいいのはありがたいと思うし」
『いや……突然そんな風に言われてしまうと、気恥ずかしいんだが?』
間違っていないからいいと言えばいいのだが…ごにょごにょと言葉を濁らせていると、息子はさらに怒り狂った。
「それだよ、それっ!
母さんの後をついて回るだけならいざ知らず、デレデレ、デレデレ…毎日そんな情けない姿見せられている息子の身にもなってくれよっ」
『えっ!』
確かに、妻の姿を見るだけでも嬉しくなって、時々やに下がっているのは自覚していたが…。息子をここまで怒らせるレベルだとは、知らなかった。
反省の余地はあるが、言いたいことをすべて伝えられないのがもどかしい。
『だって…』
「いい年こいて、唇尖らせるなよ!父さんが膝を抱えても、可愛くないんだよっ」
『酷いぞ、隆司っ』
ぎゃーぎゃー二人でやりあっていると、スパーンッといい音を立てて、居間の襖が開けられふたり口を閉じた。仁王立ちした妻は目を吊り上げて、腰に両手をあてている。その姿はさながら、恐ろしい形相でにらみを利かせる明王像のようだった。
ぎろりっとこちらを睨みつけたかと思うと、なぜか俺の顔まで見つめてきた。
当初、彼女には俺の姿は見えなかったのに、最近ではうっすら輪郭を捕らえられるようになったという。どうやら、もともと素質があったらしく。
簡単な、喜怒哀楽ぐらいなら伝わるようになってしまった。こんな時は嬉しいやら恐ろしいやらと、複雑な感情が己の中でせめぎ合う。
「隆司……あまり大声でそう言う話をするのは、やめなさい。
おばあちゃん達には、『この人』がいるって伝えていないんだから」
「ご…ごめんなさい」
大きくない体をさらに縮めて、隆司は小さく謝った。
霊が見えるというのは理解されにくい能力なのに、俺も軽率すぎたかと反省した。息子との口喧嘩などできるとは思っていなかったから、つい我を忘れていた。
おまけに、息子は勘が良いあまり、こちらの表情だけで何を言わんとしているのか汲んでくれている。それがまた嬉しくて、敏い息子が誇らしくて……などと考えていたところで、鋭いまなざしに射抜かれた。
「それから…あんたにはいろいろ言いたいことがあるわ。後でおぼえていなさい」
声を潜めるのとは、また違った低い声に話しかけられたことで、びくっと体を震わせた。その後、隆司を介してYES、NO判定でいろいろ問い詰められたのは言うまでもない。
梅より桜派なのに、またしても梅の都々逸になってしまったのが少々悔しいです。
また、「とある出来事」の章へ、何話か割り込み(間に入れるため、表示されない)投稿していました。一年ぶりくらいの方は、そちらもお付き合いくださると嬉しいです。