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月が鏡になればよい  作者: 麻戸 槊來
未来の話
13/22

梅は嫌いよ

都々逸「梅は嫌いよ桜もいやよ ももとももの間がいい」(詠み人知らず)


奥さんとお義母さんが腕によりをかけた弁当と、ゴザを車へはこびこむ姿を眺めていた。


今日は運よくぽかぽか天気で、外に出ると少し暑いくらいだと隆司はぼやいている。本当はもっと薄着で出かけようとしていたのだが、暑くなったら脱いでいいという条件の元着せられたパーカーを、早くも脱ぎたくてしょうがないらしい。


思い返せば、俺自身外で動き回ることが多かったので、ろくに上着なんて着ていたためしがなかった。たいてい公園や学校についた直後にその辺へ脱ぎ捨て、誰かに踏まれて埃まみれにしては怒られるのだ。


「いい天気になってよかったわね」


奥さんがそう笑いながら、空を見あげた。今日はせっかくだし花見をしようということで、家とお隣さんで計画したのだ。あまり料理が得意ではないお隣さんは、「料理を作ることができない代わりに、場所取りと飲み物はお任せください」と、張り切って数時間前に向かったようだ。

……とはいっても本当に大変なのはゆいちゃんのお父さんで、彼はお母さんとゆいちゃんが向かう更に数時間前から場所取りをしているらしい。



ありがたい事だと思いつつも、お隣さん夫婦の力関係が如実にわかって何とも言えない気持ちが押し寄せる。伝わることはないと思いながらも、精いっぱい心のなかで旦那さんへ向けてエールを送る。


「わぁ!ここは桜がいっぱいだねっ」


「隆司、これは桜並木というんだぞ」


お義父さんが、はしゃぐ隆司の頭を撫でながら声をかけた。今日の運転手は奥さんで、あとの人間は後部座席で荷物を抱えながら座っている。

運転をすると性格が変わるタイプの奥さんは、神経を集中させているようで些細なことでも敏感に反応する。


運転が荒いことや下手ということはないのだが、ここまで背筋をピンと伸ばし緊張した面持ちでいられると若干なりとも不安になるのは致しかたがないだろう。―――だが、不安というのは伝染するもので。

周囲が緊張すれば、より奥さんも緊張を強める悪循環だ。それ故、彼女が運転するときは目障りにならないよう助手席を開けておくのが習慣づいてしまった。



俺はといえば、微妙にドキドキしつつも奥さんの運転を助手席で見守ることを使命のように感じ始めていた。


『自信を持てば、運転はうまいんだから大丈夫だ。あと足りないのは自信だけだ』


彼女に刷り込むように、何度も大丈夫だという言葉を繰り返す。

拳をにぎりしめ応援する俺をみて隆司は、今ではいつもの光景だという様子で何も言わない。今日は、窓へ張り付いて桜に見惚れている。




そんな楽しくもドキドキなドライブも、彼女を見つめているうちにあっという間に過ぎた。俺たちが必死になっているのを尻目に息子は花見に寄せる期待が膨らんだらしく、「早く外に出たい」と待ちきれない様子だ。


「はい、もう出ていいわよ」


「やったぁ!」


真ん中に座っていた隆司は、お義父さんをせかして車から飛び出していく。

奥さんたちはやれやれといった様子で、弁当などの荷物を取り出す。しかし、隆司はよくできた息子のため急いで戻ってくると「僕も持つよ!」とお義母さんの手から荷物を奪う。いつも母親に手伝うように言われているおかげもあり、こういった何気ない気遣いができる子なのだ。


これなら、同年代の男子たちより貰ったチョコレートの数が多いのもうなずける。

親の俺から見ても、隆司は将来モテるだろうと鼻高々だ。


「りゅうくーん!」


「ゆいちゃん!」


小さな体で精いっぱい手を振るお隣の少女に、隆司も満面の笑みで答える。

小学校に上がると異性と話すのが恥ずかしくなる子もいると聞くが、二人は幼稚園のころと変わらず仲良しだ。嬉しそうな子どもたちを見て、綺麗な景色をみたことだけが原因ではない笑顔が皆の顔へ浮かぶ。



ここは桜としてはもっともポピュラーな薄紅色の染井吉野が、一面咲き誇っている。そのすぐ下でどんちゃん騒ぎをしている事は、いささか情調にかける気がするが、これもこの時期にしか見る事ができない風景だと考えれば、やはり明るい気分になる。


「あれだけ喜んでもらえれば、連れてきた甲斐があるな」


「ね、ゆいちゃんパパに感謝しなきゃ」


「あら…いいんですよぉ、これくらい」


確かに奥さんたちも場所取りをしてくれたようだが、その長さは旦那さんの比ではない。


つい、苦笑をこぼす旦那さんに頑張れとふたたび声援を送った。

ここのところ、旦那さんと会うたびにこれを繰り返している気がする。どちらかといえば奥さんの方が桜の妖精といった雰囲気が強いのに。

この旦那さんと並んでいると彼の方が、はるかに印象が弱くて妖精…というより、精霊か何かのようで心配になる。


『そのうち、透けて見えるようになったらどうしよう…』


「……?」


ぽそりとつぶやいた俺の戯言に、隆司が不思議そうなまなざしを向けてきた。

突然の行動だったが、幸い桜を眺める人で溢れかえっているここでは、息子の行動にも疑問を感じなかったようだ。頭についた花びらを取ってやるふりをすると、髪についた桜に気付いたのか頭を振っている。



まるで犬のようなその姿に、笑って返す。

俺が笑ったことが気に食わなかったのか、隆司はぷくりと頬を膨らませそっぽ向いてしまった。

どうやら花見の用意も終わったらしく、常より豪華な料理に注意が移ったようだ。こうなってしまっては、俺が何をしようと気にも留めてくれない。隆司が食べる事に夢中になってしまうと、俺は楽しそうに声を弾ませる皆の言葉に耳を傾かせる事しかできない。


普段だったら気にならない事も、この華やかな雰囲気に取り残された様で切ない。一人はらはらと舞い散る桜を見ていると、どこかもの悲しい気持ちにさせられる。澄み渡る青空に映える薄紅色は綺麗なのに、風であおられ簡単に吹き飛んでしまうそれへ己を重ねてみたりする。……いや、下手をすれば俺の方が桜よりもよっぽど頼りない存在かもしれない。皆に平等に降り注ぐはずの桜も、俺の上には舞い落ちないし、美しい花びらに避けられているような錯覚すら覚える。




たまに俺と視線が合う人間もいるが、たいてい「面倒な事にはかかわりたくない」

というように目をそらす。にこやかに手を振ったこちらとしては、何とも言えない気持ちが湧きおこるが、以前伝言を頼んだ男のことを思い出すと責めることもできない。


俺にとっては家族の傍にいることが何より重要なのだが、中にはそうではないものもいるのだろう。この世に未練を残し、ただただ彷徨うものもいるという。何度も「これが最後だ」と警告されたこともあり、こいつも大変だなぁとあの時は同情心すら覚えた。


『花は桜木、人は武士の徳って…か?』


潔く咲き、散るその姿をたたえられる桜を前にして、自分がこんな形でここにいるのは皮肉なものだ。華やかな装いのなか、わずかな時間で散ってしまう桜に疑問を覚える。俺が桜なら、もっとがむしゃらにこの世に縋り付いてやるのにと。

どんなに美しく咲き誇っても、一年という歳月はこの刹那に途切れていく。



踏み荒らされた薄紅色の花弁を見ていると、まるで死体を見ているような気分にすらなる。数々の犠牲をはらい、こうして人間は笑っているのかと。普段は考えないような事にすら、思考を働かせてしまう。前までは、桜の絨毯だなんて言って、軽く笑っていたのに感情とは勝手なものだ。


「りゅうくんママ、一緒に飲みましょう?」


「いえ…帰りもありますし」


「運転はおとうさんに任せて、あんたもたまには飲んでいいわよ?」


「嗚呼、まかせておけ」


「そ…そう?」


嬉しそうに顔を緩ませながら、酌を受ける奥さんを眺めた。

さほど強くない彼女だが、一度飲み始めるとどんどん酒の進みが早くなる。いつも酔いが回ると寝てしまうのが心配なのだが、このメンバーなら安心だろう。第一、会社の集まりにもあまり参加しない彼女に、こんなところでも酒を控えさせる気はない。頬を赤らめる彼女が、不埒な輩の標的にされないように見守るにとどめる。






彼女の横では、隆司が頬を膨らませながら料理をほおばっている。

まるで『頬袋があるのではないか』と確かめたくなるほど、口いっぱいに詰め込まれたそれは本当においしいのだろう。

ゆいちゃんと並んで座っているのにも関わらず、何を話すこともせず食べている。


これでは、花見にきた意味がないのではないかと嘆く奥さんをよそに、次々と口へ放り込んでいく。

ゆいちゃんは大人たちの真似をして桜を眺めているのに、皆が見惚れるその間も手を休める様子はない。


「ほんっと、隆司はそっくりなんだから…」


呆れたような母親の言葉に、突然隆司がぱっと顔を上げた。

これまで、お義父さんやお義母さんに「おいしいか?」と聞かれても、皿から目をそらさず頷くにとどめていたのにどうしたというのか。


まじまじ見つめる俺と奥さんを何度か見比べた後、隆司はにこぉっと笑って見せた。その刹那、ぐっと胸にこみ上げるものがあり、思わず口を覆った。どうやっても消せない負い目も、その笑顔を見ることができるのならば全て許されている錯覚にとらわれる。




自分勝手でご都合主義のそんな考えは、恥ずべきことなのに…。


「以前は忙しくて無理だったけれど、今ならゆっくり見られるわね」


つづけて囁かれた奥さんの言葉は、暗に花より団子といった様子の俺を指しているようで苦笑してしまう。隆司から桜へ視線を移した彼女は、思い深げなまなざしを薄紅色の花弁にそそぎつつ指輪を撫でた。彼女にしても息子にしても、優しすぎて参ってしまう。




ごろりと、彼女の腿を枕に寝転んだ。

横たわった俺に降り注ぐ花吹雪は綺麗で、なにより桜木ごしにみた青空は眩しすぎて涙が一筋零れ落ちた。



(追記)


「お父さん…思いっきりプルプルしてる……」

『止めるな隆司っ。膝枕は男のロマンなんだ!』

「空気枕…?」

『どんなに首を痛めようとも、腹筋を酷使しようとも俺はやめる気はない』

「あっ、もう一杯お酒もらえますかぁ?」

『がっ!』

「お母さん行っちゃったけど…?」



・花は桜木、人は武士:花の中では桜がもっともすぐれており、人の中では武士が第一であるということ。


・花は桜木、人は武士の徳:花では桜の花が最も美しく、人はぱっと咲いてぱっと散る桜のように、死に際の潔く美しい武士が最もすぐれていることをいったことば。 (二つとも「故事ことわざ辞典」より引用)


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