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お母さんごっこ

作者: 江藤ぴりか
掲載日:2026/08/14

 社会人を数年過ごしていると、遊びに誘ってくれる人がいるというのは、とてもありがたいことだ。


りょうちゃん、今度の土日、暇だよね?」

「一応、空いてますけど……小森こもりさん、今度はどこに?」


 私は小森先輩のいつもの誘い文句に、缶コーヒーを置く。


「あたし、涼ちゃんと宅飲みしたいなって」

「あんまり、きれいな部屋じゃないですよ?」

「あたしも似たようなモンだから、いいのいいの」


 屈託のない笑顔で、私の背中を叩いてくる。ちょっと痛いので勘弁してほしいのだけれども。

 私も先輩につられて笑顔になってしまう。


「でもメッセージでいいじゃないですか。なんでいつも直接誘ってくれるんです?」

「えー? 性に合わないからかな。だってポチポチするの面倒だし」


 先輩らしい返し。

 私は右前に視線を送る。中山さんも休憩室でスマホをいじっていた。

 先輩はその視線に気づいたのか、声のトーンを落とす。


「中山さん、かっこいいよね」

「えっ。まぁ、そうですね?」


 ちょっと、どもってしまった。


「できるオンナって感じで」

「私もああなりたいものですねぇ……」


 中山さんは中途採用でやってきた二歳年上の人だ。先輩よりは二歳下なのだけれど、年上のできる後輩ということもあって、私は話しかけられないでいる。


 そしてこの気持ちが、憧れなのかどうかは私にはわからなかった。



 金曜の夜のことだった。

 私は残業を終え、ひとりで居酒屋に行き、晩ご飯がてらお酒を飲んでいた。


 なんだか聞き覚えのある声がする。


「――で、――しょ」

「ええ、――で、――す」


 あれは、小森先輩と中山さんだ。

 居酒屋は騒がしく、会話は聞き取れない。でもなんだか……。


 二人の頬が紅潮してて、先輩が中山さんの肩を抱く。

 潤んだ中山さんの瞳が先輩の顔を捉え――。


 そこからの記憶はなかった。どうやって帰った? あの二人はなんであんなところに? 考えがまとまらない。

 気がついたら自宅のマンションにいて、枕に顔を埋めていた。


「うらぎ、られた……。信じていた、のに」


 なにに? 誰に? 先輩と中山さんが親しかろうが、私には関係ないじゃない。でも、あの顔は恋している顔に見えた。

 明日、先輩がここに来る。今日は掃除をしようと思っていたけど、そんな気分にはなれない。洗濯物もそのままで私は土曜の朝を迎えた。



 土曜の夕方に先輩は家に訪ねてきた。


「おーい、涼ちゃーん? もう夕方だぞー?」


 インターホンと先輩の声が玄関の外に響く。近所の目……はほとんど気にしなくていいけど、うるさいのは勘弁してほしい。


「先輩、ちょっとうるさいです」

「ごめんて。お酒とつまみ、持ってきたんだよ? 重たいから早くあげてよぉ」


 はいはい、と家にあげるとノータイムで冷蔵庫を漁られた。


「あ、お惣菜作ってるんだ? 家庭的ですなぁ」

「せ・ん・ぱ・い?」

「あはは、ごめんって。だっていつも美味しそうな弁当持ってきてるから気になって」


 ふつふつ。私は頭から湯気が出そうだった。

 いつもそうだ。この人は押しが強くて、遠慮がなくて。昨日も中山さんに迫ったんでしょ?


「……先輩っていつもそうですよね」


 買ってきてくれたチューハイを一気に飲み干す。


「え? やっぱ年なのかな? なんか若い時と違って、大胆に――」

「違います! 昨日だって中山さんと飲んでたんでしょ?」


 机を思いっきり叩くと、拳が赤くなってしまった。


「ちょ、どうしたの? らしくないよ」

「なんでいつも私の邪魔ばかりするんですか! 私だって中山さんに近づきたいのに、先輩が邪魔して!」


 先輩の顔からは困惑の色が見える。


「そんなつもりは……。一気に飲みすぎじゃない? 涼ちゃん、お酒弱いのに」


 私の肩に触れようとするので、私はその手を払った。


「触らないで!」


 払ったつもりだった。

 勢い余って私は先輩の両肩を叩いてしまっていた。


「――――っ」


 ベッドの角に頭を打ち付け、コロンとその場に倒れてしまう。

 私は先輩の無事を確かめるため、首を触る。どうやらまだ脈はある。


「先輩? 大丈夫ですか! 起きてくださいっ」


 首を持ってグッと力を込める。指が先輩の皮膚にめり込み、前後に振る。頭がガクガクと力なく首がすわらない。

 私はもっと力を込める。


 どのくらいそうしていたのかわからない。酔いと疲れで手を離すも、先輩はぐったりしている。


「トイレ、行こう……」


 ふらふらしながらもトイレに向かい、手を洗うと爪の隙間に先輩の肉がついていた。

 息があがる。部屋に戻ると、そこには小さい頃に親が買ってくれたままごと人形の『ちえちゃん人形』が横たわっていた。


「あれ? 先輩は……?」


 つぶやいても、どこにもいない。

 ちえちゃん人形が目を開けているだけだ。


「なつかしいな。お母さんが実家から送ってくれたのかな?」


 私は人形を起こし、また寝かせても、目は開けっ放しだった。


「これって寝かせたらまぶたが閉じるんじゃ……壊れちゃっているのかな」


 二十年以上前のおもちゃだから仕方ないか。

 私は空き缶やつまみのゴミを片付けて、人形と一緒にベッドに入るのだった。




「ちえちゃん、おはよう」

「…………」

「朝ごはん、一緒に食べよっか」

「…………」


 私はトーストを焼いてバターをのせる。

 ちえちゃんに食べさせるふりをして、私の口にトーストを運ぶ。


「おいしいね。ちえちゃんと一緒だからかな?」

「…………」

「そうだね。焼き立てが一番だよね」


 食器を片して、ちえちゃんを見つめる。昔と変わらない顔で私を見つめている。

 ふと、ベッドの角についた血痕を見つけた。


「ああ、先輩とケンカしちゃった。明日、謝らないとね、ちえちゃん」

「…………」

「うん。先輩はやさしいから許してくれるよね」

「…………」


 私はベッド角の血を雑巾で拭いて、フローリングに残った血も拭く。


「……明日、行きたくないなぁ」

「…………」

「大人なんだからお仕事がんばらないとダメだって? ちえちゃんはエライね」


 ちえちゃんと過ごす日曜日は穏やかなものだった。

 お昼を食べて、家事をして、買い物に行くとちえちゃんがお留守番してくれる。明日からの一週間分のお弁当用の惣菜を料理して、ちえちゃんにも味見を頼んだ。お母さんの味がするって言ってくれたよ。

 晩ご飯はお母さんが得意だった鶏肉入りの煮物にしたら、これもおいしいって。


「はい、ちえちゃんの分。あーん」

「…………」

「そうだね。たまには親に顔を見せないとね」


 これなら明日、先輩と顔を合わせても、大丈夫かも。




 朝起きると、ちえちゃんと目が合った。


「おはよう。早起きさんだね」

「…………」

「うん、うん。お留守番してくれる?」

「…………」

「わかった。おすわりできるようにしておくね」


 今日、先輩と対峙しても、私にはちえちゃんがいるから、大丈夫。

 朝ごはんをちえちゃんと過ごして、ちえちゃんはベッドを背にして座らせた。さみしくないように、家中のぬいぐるみを周りに置いてあげた。



 会社につくと、先輩の姿がなかった。


「おはよー。あ、佐々木さん、小森さんが来ないんだけど、なにか知らない?」

「おはようございます。先輩、来てないんですか?」

「うん。今朝から連絡とれなくて。無断欠勤する人じゃないから心配で」


 部長が受話器片手におろおろしている。


「……おはようございます。あれ? 小森さんは……?」


 中山さんだ。あたりをキョロキョロしたあと、自分の席にカバンを置いた。


「それが……」


 私は中山さんに事情を説明した。


「そうなんだ。わたしも小森さんの連絡先、しらないから……。もう少し様子をみませんか」

「そうですよね。電車が遅延しているのかもしれませんし」


 昼前になっても先輩は会社に来なかった。


「佐々木さんなら仲良かったし、連絡してくれないかな」


 部長の提案に私はスマホで先輩の番号にかけてはみたが、留守電に繋がるばかりだった。


「もしもし、佐々木涼です。これを聞いたら私の番号か会社に連絡お願いします」


 ホントは少し、安心している。先輩と気まずいまま顔を合わせるより、ずっといい。


「……どう?」

「留守電に伝言、入れときました。ホントにどうしたんでしょうね……」


 部長は今日はずっと仕事にならなかったみたいだ。この部署の主戦力だし、部長もひいきにしていたもんね。

 でも、こんなときこそ私ががんばらないと。先輩から学んだことをここで活かさないでどうする。


 嵐のような忙しさの中、定時になってしまった。


「結局、来ませんでしたね」

「……そうだね」


 中山さんとも普通に話せるようになっていた。

 彼女の顔色が曇る。


「わたしね、金曜に小森さんと飲んでいたの」

「そう、なんですか」


 知ってはいたけど、本人の口から聞くのはくるものがある。胸の奥がつっかえ、私は唾を飲んだ。


「小森さん、佐々木さんのことすごく心配していたの。わたし、それが悔しくてね」

「……?」


 くやしい? なんで。


「わたし、小森さんにあこがれていたから」


 私はなにも言えなかった。


「それで告白して……フラレちゃったんだよね。ふふ、女同士なのにおかしいよね」

「そんなこと、ないですよ!」


 語気を荒げた私に、中山さんは目を見開いた。


「私も、先輩や中山さんのこと、あこがれてますし、好きです。これが恋かどうかなんて関係ありませんし、私の中のことなので、誰かに否定されるいわれなんてないですもの」

「……そうだね。うん、ごめんね」


 私も間接的にだけど、フラレてしまったんだな……。

 涙が出ないように、私は急いで退社する。



 フラレた、フラレた!

 こんなこと、誰にも言えないって思っていたのに、彼女は先輩に伝えていたんだ!

 私は弱虫だ! ひとりで悩んで、視線に一喜一憂して。でも中山さんはそういう目で見ていなかったんだ!



 ちえちゃん、どうしたらいい?


「……ちえちゃん、フラレちゃった」

「…………」

「恋なんて、何年もしてなかったし、相手は女性だし」

「…………」

「うん。知ってるよ。時間が解決してくれるって」

「…………」

「でもね、今は……つらいんだ。一緒にいてくれる?」

「…………」

「ありがとう」


 私は泣きながら人形にすがりつく。

 抱きつくと、ちえちゃんは柔らかかった。

 そして、中の綿が私の熱と溶けて、涙とともに深い眠りにつくのだった。




 一週間経っても、先輩は会社に現れなかった。


「先輩、どうしたんでしょう。連絡もつきませんし」

「警察に連絡しよう。というか親御さんにも連絡したけど、知らないって」


 部長はこの数日、仕事と先輩の実家への連絡と忙しそうだった。

 会社として警察に連絡し、その日は社内で聞き取り。私も土曜のことを伝えて、解放された。


「緊張しました……」

「佐々木さんが一番親しかったからね。あとは近所の人にも聞き込みするって」


 中山さんとはあれ以来疎遠になってしまい、私は少しさみしさもあった。

 彼女を見ると目が合ったが、すぐにそらされてしまう。……いいんだ。私にはちえちゃんがいるし、少しずつ立ち直ろう。



「ちえちゃん、今日ね、警察の人と話したよ」

「…………」

「先輩がちえちゃんを置いていって、家から出てったって話したの」

「…………」

「うん、夏も終わるね。窓開けようか」


 窓を開けると、秋の風が部屋に入ってきた。


「涼しいね」

「…………」

「うん? 私はそんなに気にならないよ」


 ちえちゃんからは鼻の奥にねっとり残る、甘いにおいがした。


「早く寝ちゃおう。よっと」


 ちえちゃんをお姫様抱っこして、ベッドに運ぶ。

 扇風機をこっちに向けて、外の風を取り込むと、虫の声が耳に入った。


「コオロギかな? スズムシかな?」

「…………」


 私にも、ちえちゃんにも、わからなかった。




 二週間経っても、三週間経っても、先輩から連絡はない。

 そんな折、マンションの管理会社の人が自宅を訪ねてきた。


「佐々木さん、近隣からにおいの苦情が出ているんですけど、心当たりはありますか?」

「におい、ですか。うーん……あっ」


 私は人形のにおいのことを言うと、見せてもらえないかと頼まれた。

 仕方なく、ちえちゃんを持っていこうと抱き上げる。すると、ちえちゃんの腕がぼとりと取れてしまった。


「古い人形だもんね……。あれ?」


 足も取れてしまう。


「どうかされましたかー?」


 玄関で声がする。


「いえ、大丈夫です!」


 早いとこ持っていかないと。


 ――ごろん。


 ちえちゃんの頭が取れてしまった。

 顔を見ると、目が合う。それはよく知る顔。


 小森先輩の苦しそうな顔だった。


 そんなことより、胴体だけでもちえちゃん人形を持っていかないと。


「すみません。ちょっと人形の部品が取れてしまっちゃって」

「いいんです――うわっ」


 管理会社の人は尻もちをついて、後ずさる。


「ホントにごめんなさい。すぐに人形を洗うので、大丈夫だと思います」


 私は玄関横の洗濯機に胴体を入れ、取れた手足と頭を入れ、洗濯を開始する。

 管理会社の人はどこかに電話をかけているようなので、玄関扉を閉めた。


 部屋に残った黒いシミはどれもとれないでいた。


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