第19話 聖域の入口
北方の空は厚い雲に覆われ、昼でも薄暗かった。
俺たちが進んだ先に現れたのは、山肌を削り取ったような巨大な断崖。その中央にぽっかりと口を開けた洞。まるで世界そのものが縫い目を隠したような入口だった。
「ここが……白縫の壇への道」
セレスが声を震わせる。「聖域の入口」
洞の周囲には白と黒の糸が幾重にも交錯していた。白はかすかに光り、黒は濁った影を放つ。互いが押し合い、火花のように裂け目を生んでいる。
「自然の縫い目じゃない。誰かが意図的に織っている」
俺は針を走らせ、流れを確かめた。「中に“守護者”がいる」
◇
洞へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
音がすべて吸い込まれ、靴音さえ響かない。壁には人の姿を模した織物が並び、糸の眼がこちらを追う。
「気をつけろ」
ユナが短杖を握る。レオンは剣を構え、ガロが盾を前に出した。
その時――洞の奥から揺らめく影が現れた。
四本の腕を持つ巨人。その身体は白と黒の糸で編まれており、顔は仮面に覆われている。
「……《双糸の守護者》」
セレスの声が硬直する。「黒紡会と聖域の両方に仕える存在」
◇
守護者が咆哮を上げた瞬間、洞全体が揺れ、天井から糸の束が降り注いだ。
俺は針を走らせ、《偏重糸》で進路を逸らす。ユナが風で散らし、アリスの炎が燃やす。しかし黒い糸は燃え残り、再び襲いかかる。
「しつこい……!」
ガロが盾で受け止めると、衝撃で洞の床が裂けた。
守護者の四本の腕が同時に振り下ろされる。レオンが剣で一撃を受け、ミレイが光で支援する。だが圧力は凄まじく、勇者隊全員が押し込まれていく。
◇
「リオ! 白の糸を!」
セレスが叫ぶ。
俺は針を突き立て、白い流れを掬い上げた。白布で補強された針先が光を放ち、守護者の腕の一つを縫い止める。
「今だ!」
ユナの風が隙を作り、レオンの剣が仮面に斬り込む。亀裂が走り、中から呻きが漏れた。
「……人間?」
仮面の下で光る瞳は確かに人のものだった。
セレスが顔を歪める。「縫い手……かつて私の仲間だった者よ」
◇
守護者の身体が震え、黒と白の糸が剥がれ落ちる。
「まだ助けられる!」
俺は針を突き立て、《解縫》を施した。
一筋、また一筋。黒い糸がほどけるたびに、呻き声が弱まり、白い光が滲み出す。
やがて糸の束が崩れ、巨人の姿は人間の女へと戻った。
彼女は膝をつき、涙を流した。
「……ありがとう……」
言葉を残すと、力尽きて眠りについた。
◇
「彼女を聖域の外へ運ぼう。まだ息はある」
俺は針で循環を整えながら言った。
セレスは唇を噛み、拳を握った。「彼女も、私と同じ……犠牲者だった」
洞の奥から、さらに深い震えが響いた。
「守護者は一人じゃない」
俺は針を握り直す。聖域はまだ始まりにすぎなかった。