第10話 王都の裂け目
街道の先にそびえる王都は、俺の記憶にあるものとはまるで違っていた。
高く積まれた城壁は黒い煤に覆われ、門には誰の姿もない。見張りの兵の槍が無造作に転がっていて、風に錆の匂いが漂っていた。
「静かすぎる……」
ユナが杖を握り、慎重に周囲を探る。
「人の気配は……確かにある。でも、みんな奥に引き込まれてる」
俺は糸を走らせた。壁に沿って目地を探ると、そこには数え切れない“縫い目”が張り巡らされている。人の動きではなく、儀式の痕跡。
「王都そのものが……織り込まれてる」
声に自分で震えを感じた。
◇
市門をくぐると、街はまるで抜け殻だった。
市場の屋根は落ち、店先には干からびた野菜が散らばっている。だが道の真ん中には、薄い糸が格子のように走っていた。
「踏むな!」
咄嗟にユナの腕を引いた。糸は見た目ただの蜘蛛の巣だが、実際には《捕縫》。触れた瞬間に縛られる。
「……罠だらけだ」
アリスが小声で呟く。「まるで獲物を待つ蜘蛛の腹の中みたい」
勇者隊も顔を強張らせる。ガロは剣を抜いたまま前を睨み、ミレイは祈りを繰り返していた。
「王都の人々はどこに行ったんだ」
レオンの声は低く押し殺されている。
「塔だろうな」俺は答えた。「みんな、織り込まれてる」
◇
奥へ進むほど、街の景色は歪んでいった。
同じ路地を二度、三度と通る。はずなのに、看板の文字が少しずつ違う。人の気配はなく、けれど窓の奥から微かな呻きが聞こえる。
「収穫の途中……」
シアラが羊皮紙に記録を走らせながら言う。「まだ完全には終わってない。だから逆に、解ける可能性がある」
「やるしかないな」
俺は針を抜き、糸を一筋、路地の奥へ走らせた。すぐに反応があった。硬い手応え。向こうからも糸が伸びてきて、俺の針に絡む。
「待っていたぞ、雑用」
声が響いた。影の中から現れたのは、白銀の外套を纏った人物。顔は仮面で隠されている。
「……黒紡会の幹部」ユナが唇を噛む。
仮面の奥から、笑うような声。
「王都はすでに織り機の枠となった。だが核がまだ足りぬ。――お前だ、雑用の糸」
背筋に冷たいものが走る。呼ばれている。墓標から拾ったこの針を、奴らは知っている。
「断る」
俺は短く言い、糸を叩きつけた。仮面の幹部も同時に糸を走らせ、街の縫い目が激しく軋む。
◇
戦いは街全体を巻き込んだ。
俺の糸は屋根瓦を落とし、幹部の糸は路地を裏返す。勇者隊が剣と魔法で隙を作り、ユナの風が流れを制御する。シアラの式文が節を固定し、しらたまが吠えて光を散らす。
「リオ! 押し返せる!」
ユナの声に頷き、俺は《返縫》を発動した。街の格子に溜まっていた重さが一斉に逆流し、仮面の幹部の糸を絡め取る。
「雑用が……この私を……!」
幹部の声が揺らぎ、仮面に亀裂が走った。
だが次の瞬間、街全体が震えた。塔の方角から、無数の黒い糸が奔流のように押し寄せてくる。
「まだ早い! 王都全体が動き出した!」
シアラが叫ぶ。
幹部は仮面を割ったまま、影に溶けて消えた。残されたのは、震える街と、俺たちの荒い呼吸だけ。
◇
「黒紡会の本当の狙いは……」
俺は針を握り直した。塔の頂きに揺れる巨大な糸束が、夜空に不気味な光を放っている。
「――王都ごと、織り機にすることだ」
誰も言葉を返せなかった。だが全員の目に、同じ決意が宿っていた。
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