光を通さない深い闇が目の前に広がっていた
そんな苦しくも懐かしい思い出に浸りながらエレベーターに乗り込み地下へのボタンを押す。
これから勤務する部署は地下の階にあるらしい。というか、この会社に地下があったなんて知らなかった。
地下棟へ行くには専用のエレベーターに乗らなければならず、しかもそのエレベーターは特別なIDがなければ作動せず、おまけにそのエレベーターへ行くために顔認証で通過する通路からでなければ辿り着かないような場所だとか。
方向音痴なので会社の中をぐるぐる歩き回り、必要に迫られて会社のレイアウトを大まかには把握していた俺ですら存在すら知らなかったのである。もしかしたら部署によってはこの通路やエレベーターを知ってる人の方が少ないかもしれない。
人通りは少ないし照明も絞られているし秘密通路みたいでちょっとテンションが上がったのは秘密だ。
目的の階に辿りつき、さあまず第一歩と踏み出そうとして、その足を光速で引っこめた。
ドアの外は真っ暗だった。
「あわわわわわ」
閉じるのボタンを高速連打して自動扉を無理矢理閉める。
エレベーターの扉は何事もなかったかのように冷たく閉ざされ上に登っていく。俺は心臓がバクバク鳴っていて立つのもやっとだった。
真っ暗だった。黒一色だ。
いくらなんでもアレは照明が絞られてるからとか、経費削減で薄暗いとか、そういう物じゃないことくらい分かる。光を通さない深い闇が目の前に広がっていたのだ。
あれに突っ込んで行ったらどこに出るんだ。いや、むしろ何処にも出られないのでは。
「ひえええ……」
一階に戻ったエレベーターが開くと情けない声を上げて飛び出した。
泣きそうになりながら照明が僅かに当たる空間でうずくまろうとした瞬間。
「ユキちゃ~ん!」
天の助けのように神々しく明るい声が聞こえた。
「阿坂さん……っ」
ここで知り合いに会えたことがどれほど嬉しいことか。声が震えそうになりながら目の前の相手の存在に感謝する。いかにも根明で陽キャな笑顔が今は本当に心強い。
「何かあった?」
「い、いえ……」
「ごめんね~。実はユキちゃんに渡そうと思った新しい社員IDを人事部が忘れてたんだって。はい、コレ」
「社員……ID……」
言われるがまま新旧の社員IDを交換した。手渡されたプラスチックケースが僅かな光源に照らされてやけに光って動悸が早まる。
俺がドギマギしてる様子に首を傾げながら阿坂さんがポケットからスマホを取り出した。
「ごめん、ちょっと電話出ていい?」
「あ、はい。どうぞ」
俺が言う前に阿坂さんがスマホをタップした。せっかくの高身長イケメンの顔面がだらしくな雪崩れていくのを慣れた心地で見つめる。
「雅ちゃ~~~ん! どしたの? 俺の声が聞きたかった?」
やはり相手は奥様だった。
阿坂さんは若くちゃらんぽらんに見えて人事部長という役職持ちで、本来は別部署にいるらしい。非常に有能なため人事部が彼を手放したがらず、実際に彼でないと回らない仕事があるので兼務しているとの話だ。
新人研修時にあまりにもラフに声を掛けられたので、てっきり同じ中途採用の人間だと思っていたら後から人事部長と聞いて飛び上がるほど驚いた。
「は? 白縫? 顔見てこいって? なんで? はああ?」
会話の雲行きが怪しくなってきた。見るからに苛々した空気が相手から発せられて思わずちょっと距離を取る。奥様、人事部長に一体何を言ったんだろう……。
「……そりゃ、愛する妻のためなら男は何でもしますよ? でもさあ、……こっちの方が愛してますけど!? 俺の心を弄んで楽しいの!?」
会社で何を聞かされてるんだ俺は。
笑うことも呆れることもできず表情筋を死滅させたまま上司の隣で立ち尽くす。
そしていつも通り奥様に軽くあしらわれた阿坂さんが涙目で通話を終えた。
「……酷い! 俺の気持ちを知ってるくせに……!」
「阿坂部長……」
「今は部長なんて呼ばないで! 泣きたくなっちゃう!」
「すみません」
「聞いてよ~~~! 雅ちゃんが白縫の様子見てから報告してって……!」
「阿坂さんの奥様、あいかわらずその方を気にかけてるんですね……」
「酷いよね……誰が好き好んで愛妻の気にする男の様子を見に行くの……行くけどさ……行くけどさあ……!」
「阿坂さん……」
「……ユキちゃん……」
「はい」
「一緒に行っていい……?」
「むしろ助かります」
本当に。本当に助かる。
阿坂さんが部下の前だというのに奥様への愛を叫びつつ、男の嫉妬全開という醜態を演じてくれたおかげかさっきまでの恐怖体験が吹き飛んでいた。
この人って俺にとっては存在がありがたいな……。
しみじみしながら嫌がる阿坂さんの背中を後押ししつつエレベーターへ再度向かう。
さっきは人生二度目の怪奇現象にテンパっていたが今度は阿坂さんがいるので大丈夫な気がする。安心感が凄い。まだ奥様への愛と恨み言を続ける上司を微笑ましく見守った。
こんなにも仲の良い夫婦を見てるとこっちまで嬉しくなってくる。
初対面から彼の話す奥様への惚気をにこにこ聞いていたせいか俺はこの人にだいぶ好かれているらしい。他の社員に比べて抜群に面倒を見てもらってる自覚があったし、なにせ神社局へ俺を推薦したのもこの人なのだ。聞けば本人の能力を最大限に伸ばせる人員配置が趣味なのだという。それで成果を上げてるらしいので、組織にとってこれほどありがたい人材もないはずだ。
「まずはIDをこっち」
「はい」
指差された箇所には確かに認識画面の黒色ガラスがあった。IDを押し当てると階層ボタンが光る。地下1階のボタンを押すとさっきよりゆっくり降りていく。それを確認して隣の上司を見上げるとスマホを見つめてぶちぶち呟いていた。地下なので電波が入りにくいのだろう。
「あの……」
「なあに?」
「俺、その、白縫さんて方のこと、阿坂さんに報告しましょうか……?」
「へえ……?」
俺の提案に驚いたのか、阿坂さんが気の抜けた声を上げた。
そんなに驚くようなことを言っただろうか。
「阿坂さんは別部署の方ですし、……俺はその、白縫さんて方と、同じ部署なんですよね?」
「それでわざわざ俺に報告しようって?」
「は、はい」
「ユキちゃんてさあ……、優しいよねえ……」
阿坂さんがスマホから視線を上げ腕組みしながら俺を見ている。首を傾けて楽しそうに笑う姿は目を惹くような魅力があって、結婚前はさぞかしモテたに違いないと思った。もしかしたら今も。
地下一階にはすぐ到着した。自動扉が開く前は息を止めて緊張していたが、見えたのは普通のビルの内装だった。照明は無機質に明るく、長く白い廊下を照らし出している。
「……どうぞ」
「あんがと~」
開くボタンを押し続けながら阿坂さんから先に下りてもらう。エレベーターの箱から出ても阿坂さんに特に変わった様子はない。俺もその後を追う。
静かな人通りのない廊下を進むと『視える化推進局』と刻印された銀のプレートを掲げた鋼鉄のドアがあった。鋼鉄……?
「はい、この部屋。前はここ、倉庫だったの」
「あ、確かにそれっぽいです……」
「関係者以外立ち入り厳禁だからね。地下だから火の扱いと空調だけは気をつける事。凄い耐震性能してるけど地震の時は諦めて」
「了解です……」
その火の扱いをまさに面接の時にやられたんだよなあ、と思い出しつつそれに関しては口を噤む。基本的に神社局の業務は他言無用らしい。まあ、それは何処の会社だって同じか。
さあ遂に入室、という所で声を掛けられた。
「あれ、ユキちゃん」
社員IDをうっかり落としそうになり慌てて横を見ると廊下の向こう側から背の高い美丈夫がやってきた。面接官だった人だ。
「挨拶は午後からじゃなかった? 仕事熱心なんだね」
「迷わないように早めに来たんです。それから新しい社員IDの受け取りを……」
「そっか。言ってくれたら僕が迎えに行ったのに」
「そんな……」
お手間を取らせる訳には……、と言い掛けて隣の阿坂さんが黙りこくっていることに気づく。
俺より背が高い二人は視点も近いはずなのに今気づいたとばかりに目を合わせた。
「……お久しぶりです。阿坂部長」
「……ざあっとらしい言い方しやがってえ」
「メールやWEB会議ばかりだったからね。今日はどうしてここに?」
「その『ユキちゃん』に地下棟の案内してたんだよ」
「忙しい君が?」
「いやいや白縫局長の忙しさには敵わないでしょ~」
えっ!?
突然出てきた白縫局長の名前に飛び上がりそうになった。
この人が『白縫局長』!?
阿坂さんが目の仇にしてる、奥様が気にしてるっていう人!?
う、うわ~~~……美男美女で三角関係じゃん……。
態度には出さなかったはずなのに、目を丸くした俺に白縫局長が苦笑する。
「面接の最初に名乗ったんだけどな」
「す、すみません……緊張してまして……!」
「おい、新入社員いじめんなよ」
「僕がいじめられてるんだよ」
「ユキちゃん、そんな事しないもん」
「ずいぶん贔屓にしてるね?」
「お前の近くにやると碌なことにならないんだよ! 本当はこっちでもらう戦力送り出してんだ、大事に扱えよな!」
「分かってるさ」
物理的にも精神的にも雲の上の会話を聞きながら口を引き結ぶ。碌なことにならないって何だろう……なんとなく予想はついてるけど……。やはり危険な現場ということに違いないらしい。
……いや、危険は承知の上だ。
そのために今より給料アップができる部署を志願した。
今の俺が喉から手が出るほど欲しいもの、それは……お賃金!
金のためなら何だってやってやる!
「ごめ~ん、ユキちゃん。白縫、恐かった?」
「え?」
「震えてる」
「武者震いです」
「何で僕が恐いのかな……」
「新入社員が役職持ちに睨まれたらビビるだろうが。くれぐれもいじめんなよ。何かしたら怒鳴り込んでやるからな」
「はいはい」
「腹立つほんとに~~~!」
キー! と長い足で地団駄踏む。
阿坂部長と白縫局長は思っていたより仲が良く、思っていたより仲が悪かった。
歯に衣着せぬ対等な言い合いをしてるということは局長という役職はこの会社では部長と同じくらいの地位なんだろうか。
それにしても阿坂さんの奥様はどうして白縫局長をそんなに気に掛けるんだろう。確かにこれほどの顔面力を持っている人なんて早々忘れられないだろうけど、阿坂さんだって男としては総合的には負けてないような気がする。そもそも結婚相手に選ばれてるんだし。詳しく聞いてみたいけど、直球で元カレ元カノでしたって話だったら気まずいなあ……。
なんとなくだけど、白縫局長って浮気とか不倫とかするような人に見えないんだけど。そういえば面接の時にも景子さんに……。
「……じゃあ、ユキちゃん届けたから俺は帰るね」
ポン、と肩を叩かれ記憶を掘り起こしていた俺はハッと意識を戻す。阿坂部長が上の階に戻るらしい。
「あの、阿坂部長、ありがとうございました。行き方を教えてくださって助かりました」
「いいよ~。IDのこともあったし。言質も取ったし」
言質? と首を傾げそうになったが、阿坂さんの口が三日月のように薄い弧を描いたので白縫局長の報告の件だと気づく。本当に愛妻家なんだな。
「分かりました。その件は後ほど御連絡します」
「ん、待ってるね。白縫も、ユキちゃん頼むわ」
「君に言われなくても分かってるよ。僕の部下だ」
阿坂さんが白縫局長に突っかかってるんだと思っていたけど、白縫局長も阿坂さんをあまりよく思ってないらしい。不倫の三角関係に挟まれてしまったらどうしよう。生きた心地がしない。
フンッ! と鼻息も荒く足音も高らかに帰っていく阿坂さんの背中を心細い思いで見つめていると、肩にトンと何か当たった。何かを払われたような自然な仕草。
「肩にゴミがついてたよ」
「す、すみません。ありがとうございます」
「ここに来る途中で迷ったのかい?」
「は、はい……実は……。だから阿坂さんが来てくれて本当に助かったんです……」
「そっかあ。じゃあ、阿坂クンには礼を言っておかないとね」
「はい。私からも伝えておきます」
「そんなに畏まらなくていいよ。ここは少数精鋭のアットホームな雰囲気だから」
ブラック企業の謳い文句そのままのフレーズに顔が引き攣りそうになったが何とか堪える。頑張れ俺、負けるな俺。部屋に入る前からへこたれちゃ駄目だ。
社員IDを通すと機械音がして施錠が開いた。監視カメラのレンズも幾つも向けられているように見える。関係者以外立ち入り厳禁の部屋なんて緊張してしまう。鋼鉄の重い扉を開けて広がったのは。




