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「……初めての怪奇現象体験だ……」



「たすけて……!」



 社殿の中に体当たりで転がり込み必死で叫んだ。

 体力は本当に限界でもう一歩も歩けない。木の床に崩れ落ちたまま浅い呼吸を何とか繰り返す。

 人の気配のないそこに絶望しかけた、その時だった。







「どうしたの?」



 地獄に仏、とは神社では相応しくない言葉かもしれないがまったくその通りの気分だった。他人の声がこんなに頼もしく聞こえたことはない。

 体を無理やり動かして相手へ顔を向けようとする。白い着物。袴姿。この神社の宮司さんだろうか。声は若い男性だ。



「えっ……」



 彼は倒れこんだ俺を見て驚きの声をあげた。

 それはそうだろう。突然、神社で行き倒れが発生したら誰だってそう思う。

 だけどもう指一本も動かせないほどの疲労で息をするのがやっとだった。

 助けて。たすけて。

 言葉にならない思いで喘ぐように伝えると、彼は痛ましそうに息を吐いた。



「大丈夫。すぐに助けてあげるから。動かないで」



 俺はその言葉にやっと安心して目を閉じる。まばたきすら億劫だった。

 体の動きを最小限まで留めておとなしくする。

 彼の手が肩に触れた。

 触れ合った瞬間気づいたが、俺の体は汗をかいたせいか異様なまでに冷たくなっていた。

 ぬくもりを服越しに感じて息を吐く。ふわり、とあたたかな炎の熱を与えられたような心地になる。強張っていた体から力が抜けていく。



「……誰がこんな酷いことを……」



 彼の呟きが聞こえる。今までずっと続いていた耳鳴りが少しだけ和らいでいく。

 不思議な気分だった。まるで囚われていた四肢が自由になったような解放感。

 足首と手首がじんわりと熱くなった後に血が通い始めたようにピリピリと痛み、それから急に軽くなっていく。



「うぅ……」

「苦しいのかい? もう平気だよ。ちゃんと送ってあげるからね……」



 送るって何処へ?

 病院? それとも俺の部屋?

 ゆっくり視線を上げると若い宮司さんは俺の顔の前に手をかざした。

 ごおっと炎の燃える音がして目の前の視界がクリアになる。曇りガラス越しに見えていた世界が急激に輪郭と色を取り戻していく。劇的な変化だった。



「え……」

「あ……」



 目が合った。

 驚きで目を見開く彼に礼を伝えようと微笑みかけた。



「……ありがとう……」



 ございます、と続くはずだった御礼の言葉は視界を真っ白に焼いた炎で断ち切られた。

 目を焼かんばかりの白光と爆発したような轟音。花火のような、爆弾のような、まるで目の前に太陽が墜ちてきたような恐ろしい勢いの何かが俺と彼の間で発生し、咄嗟に目をつぶる。歯を食い縛って衝撃に耐えた。



「……待って、君はもしかして……っ!」



 彼の呼ぶ声が聞こえた。だが応えることはできない。

 咄嗟に身構えた俺を嘲笑うように。

 次の瞬間、俺は神社の階段にへたり込んでいた。











「は……?」



 昼と夜の合間のような木陰の下。硬くて冷たい石段の感触。風で木々がざわめいている。

 鳥の声。はばたき。地面にはあくせくと働く蟻が荷物を運びながら巣に戻っていった。

 顔を上げると晴天の青空が続いてる。さっきまでの状況が夢だと教えるように、やけに現実的な色の空だった。



「……。」



 思わず両手で顔を覆って項垂れてしまう。

 あんな幻覚が見えるほど精神的に参っていたのか、俺は……。

 というかさっきのアレはどんな白昼夢なんだろう。夢診断か夢占いで確認した方がいいんだろうか。いやいっそのこと、もうメンタルクリニックに行くべき……?

 こんな見知らぬ土地の屋外で失神していたとか健康上の問題がありそうだし、気絶していた最中に見ていた夢があれとか精神面にも問題が起こってそう。ヤバイ。怖い。友達がこんな経験してたら検査入院するよう説得する。

 逡巡したのち、ゆっくり顔を上げて周囲を見渡す。俺のカバンがあった。たしかスマホはポケットではなくこっちに入れてたはず……。

 取り出したそれの時刻を確認して戦慄する。一時間以上経っていた。



「……初めての怪奇現象体験だ……」



 ビビリなので読者恐怖体験などの本は読まないが、応募できるくらいの経験をしたのではないだろうか。それともこれくらいは序の口なのか。新しい世界の扉を開いてしまった……。

 妙な感慨に耽りながらそろそろ石段の硬さに体が痛くなってきたので、のろのろと立ち上がる。大きく息を吐いて階段の上を見上げた。



「……まあ、とりあえず……」



 やっぱり確認しないと。こんなもやもやした気分では帰れない。

 夢の中に引き続きまた同じ石段を登るという奇妙な既視感を覚えながら一番上まで登りきって首を傾げる。



「あれえ……?」



 違う。ここじゃない。

 さっきは橋があった。古そうな木製の橋。

 それから巨大な赤い鳥居をくぐったはず。

 でも、目の前に広がるのはどこにでもある普通のこじんまりとした神社だった。

 頭の中の記憶と比較するように大股で歩きだす。



「せまい……」



 失礼なことを呟きながら神社の境内を歩く。すぐに社務所についた。窓は閉まっていて、今日はやってないみたいだ。人の気配もない。もしかして人が常駐してないタイプの神社なのかも。

 先ほどより随分小さな社殿に視線を移すが、そこも同じように木戸が閉められていて中に人がいる様子は無かった。社務所の脇には自動販売機が置かれていて、あんなにも欲しがった水が当然の顔をして売られていた。夢の中で喉を潤した水は何だったんだろう。



「……。」



 思わず財布を取り出し水のペットボトルを買う。しかし、喉は渇いていないので飲む気にはなれず、そのままカバンの中に入れた。

 あんなにも恐ろしい思いをしたのに、どうやら俺は本当にただ夢を見ていただけらしい。寿命が縮まる思いをしたのに……。

 腑に落ちない思いを抱えながら帰ろうと一歩踏み出した瞬間、社務所の窓口に置かれた紙に目が惹かれた。



「こんな所に……?」



 どこかの会社の求人情報だ。この付近の会社の物だろうか。地元中心なら俺じゃダメかも、という考えが過ぎったが中途採用の文字に引かれて思わずその紙を一枚いただいた。そのまま中を確認することもなくカバンに詰め込むと、社殿にご挨拶して俺はそそくさとその神社から帰ってきたのだ。

 あとから思えばせめて神社の名前くらい確認しておけばよかったのだが、動揺していた俺はそこまで気が回らなかった。

 その神社にあった応募用求人用紙こそ、俺が奇跡の中途入社を果たしたオスクニ建設総合事務所である。あそこで用紙をもらわなかったら今の俺はいない。入社が決定したのであの神社へ報告すべきか迷ったが、名前もどこにある神社なのかもさっぱり分からないことに気づいたのである。神様に恨まれてなきゃいいけど。しかしやはり神社に閉じ込められる怪奇現象なんて二度と御免だ。


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