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鴉に道案内される経験なんて二度とないだろう

 オスクニ建設株式会社。

 これが俺の入社した会社の名前だ。

 オスクニとは何か。漢字表記は押国? それとも雄久仁? もしかして何かの略称なのか? 

 それにまったく答えられないくらいこの会社について何も知らずに入社した。

 なにしろこの会社、どこの求人サイトにも職業紹介所にも求人誌にも載っていないのである。

 このご時世にホームページすらない。俺がこの会社を見つけることができたのはまったくの偶然だったからだ。

 遡ること数ヶ月前。

 俺はその日、トータル十一件目の就職活動の面接予定日だった。

 しかしどういう巡り合わせか電車は遅延、バスは事故に遭ってしまい、知らない駅で放り出されて遭難状態。駅前だというのにタクシーは一台も見つからず、スマホでタクシー会社に電話したが一向に繋がらない。アプリを立ち上げようにもデータのダウンロードが終わらない。しかも待った挙句に画面へ出てきたのは『データの取得に失敗しました』。

 時間に余裕を持って家を出たはずが遅刻のうえ迷子にまでなってしまった。面接先に平謝りで電話をするも「普通、面接は時間に余裕を持って臨むものでしょう、もう結構です」と冷たく電話を切られてしまい途方に暮れる。

 今日は本当に散々な日だった。

 こんなに悪いことが重なるものだろうか。

 さっさと家に帰らないと次は事件に巻き込まれそう。

 しかし、心労と徒労が重なりすぎて完全に体力ゲージが切れた俺は道端の石階段にスーツ姿のまま座り込んでしまったのだ。

 体が重い。心が折れている。人間は一度座り込むとすぐに立ち上がれない。連日の就活疲れもそれに拍車をかけていた。心が磨耗しきっていたのだ。

 特に昨日の面接官は酷かった。完全なるパワハラを受けた。

 履歴書を一目見るや否や「……実家に帰る予定あるの? すぐに辞められるとこっちも困るからさあ」と開口一番言ってきたのだ。

 常識的に考えて実家に戻る意志がないから都内で就職活動をしているのであって、戻る戻らないは俺のプライベートな問題である。何なんだこいつは。戻るんだったらこっちで職を探してないんだよ!

 どうやら俺がすぐ辞めないなら雇ってやってもいいよ、という圧迫面接の始まりだったらしく、その後もちくりちくりと嫌味混じりな言葉を受け続け途中から死んだ魚の目になっていた。多分まともに受け答えしていなかったと思うし、たとえ内定の連絡が来てもあそこには行きたくない。基本的に面接が駄目な会社は総じて駄目である。

 今日は景子さんに部屋で待ってもらって良かった。良い判断をしたぞ、俺。あんなの景子さんには見せたくないし、下手したら背中から飛び出しかねない。うまく止める自信もない。



 喉が渇いた。

 水が飲みたい。

 どこかにコンビニかせめて自動販売機はないだろうか。

 霞がかっていた思考でそんなことを考えるが足に根が生えたように動けない。体が異様に重い。ふいに視界の端に写る見慣れた自分の足に奇妙な違和感を覚える。

 ……あれ、スーツに糸がついてる……。

 どこかで蜘蛛の糸でも引っ掛けたのかも。

 手を伸ばそうとした瞬間、コツンと頭に小石が落ちてきた。

 のっそりとした鈍い動きで顔を上げると、道の真ん中に鴉が一羽降り立っていた。



「……。」



 至近距離の鴉と目が合ってビックリする。固まっていると鴉は小首を傾げ、まるで俺の興味を惹くようにぴょんぴょんと飛び跳ねながら踊りだした。

 何これかわいい。

 疲弊しきった心に動物の踊る姿がやけに沁みる。癒される。

 鴉は俺の視線を確認するように度々振り返り、まるでついて来てとでも言うように歩きだす。



「……。」



 鴉に道案内される経験なんて二度とないだろう。

 俺はほとんど無意識に立ち上がって歩き出していた。脅かさないように飛んで行ってしまわないように。声を出さず、一定の距離を保ってかわいい先導についていく。まるで御伽噺の中に入り込んだような気分だった。

 記憶にある鴉よりも体が大きくて尾羽が長い。その存在感につい目で追ってしまう。

 石階段をぴょんぴょん飛び跳ねて少し登ると俺がいるのを確認するかのように小首を傾げて振り返る。鴉にとっては飛んだ方が楽なはずなのに何故かずっと二本足で登り続けている。本当に俺を何処かへ導こうとしているようで仕草の一つ一つに妙な愛嬌があった。かわいいなあ。

 踊る鴉の姿ばかりを追っていたせいか、視界がやけに朦朧としていることに気づく。もしかして熱中症の症状がでてきるのだろうか。

 ふと、どこか遠くから清水の流れるような音が聞こえてきた。近くに小川でもあるのか、それとも神社の手水所があるのかな。

 涼やかな音に喉の渇きが酷くなる。

 水、水が欲しい。

 ゾンビのように水を求めてふらふら進む足。

 淡くぼやける視界が木の橋を映しだす。

 あれ。こんなところに橋がある。

 この川の音だったのかな、と思ったが橋の下から音は聞こえない。水音はもっと遠くから聞こえているように思えた。

 不思議なくらい全てがぼやけてよく見えない。目をこすって何度瞬きを繰り返しても。そうして遠くばかりを見ているうちに何時の間にか鴉を見失ってしまう。

 橋を越えた向こうには二本の赤い柱があった。見上げるほど大きな鳥居だった。

 その鳥居の上に鴉が止まってジッとこちらを見ている。いつの間に飛んで行ったのだろう。待ってて。すぐそっちに行くから。

 耳鳴りがし始める。視界がかすむ。喉が痛いくらいに乾いていた。

 どうしてだろう。さっきから足が酷く重い。まるで何かを引き摺って歩いてるみたいだ。

 橋を渡って大きな赤い鳥居の元に辿りつく。注連縄から垂らされた白い紙の飾りが風で揺れてカサカサと音を立てている。涼やかなそれに呼ばれている気分になった。

 鳥居をくぐり抜け、境内の中で水を探すが見つからない。おかしいな。あんなにもはっきり聞こえたのに。

 木造の建物が見える。社務所だろうか。

 神社の敷地の中になら社務所あたりにでも何か売ってるんじゃないか。

 近づくにつれ扉がゆっくり開いていく。もう力がほとんど残ってないから助かった。

 さっきまで明るい日の光の中にいたので建物の中は殊更暗く感じた。まるでここだけ夜になったみたいだ。



「……水を……ッ」



 立っていられない。茹った頭がぐらぐら揺れる。

 激しく咳き込みながら沓脱石へ崩れ落ちるように座って項垂れた。どうしよう。本格的に熱中症になってしまったのだろうか。





「……御幸きをお待ちしておりました……」





 声が聞こえた。

 何とか顔を持ち上げると冷たそうな水が入った木製の器を差し出された。視界が透明な水面でいっぱいになった。水。水だ。

 受け取ると一気に飲み干す。清涼な感覚が喉を滑り落ちていく。甘くて冷たくて水はこんなにも美味しいものだったかと感激する。



「はあっ、おいしい……っ!」



 思わず感嘆の声を上げれば、畏まった人の背中が揺れた。その背中に、一瞬だけ不思議な感覚が沸き起こる。

 男性は声を震わせ感極まった声で応えた。





「お渡りの成功をお祈りいたします……!」





 就活中に山ほど聞いたお祈りという言葉に思わず体が止まる。恐る恐る器を下ろしてみたが目の前には誰もいなかった。



「……え?」



 あたりに人の気配は無い。

 無人の玄関は静まり返っている。

 旧家を思わせるような玄関は暗く冷たくて、どこか湿っぽい土の匂いが漂っていた。



「……ええ?」



 木の器を持ったまま呆然としてしまう。

 まさか神社で怪奇現象に遭うとは。

 いや、落ち着いて考えればここは変だ。ここに来るまでも色々変だ。

 もしかしなくても絶賛怪奇現象に巻き込まれ中なのでは……?



「……。」



 両手で器をそっと床におろすと音を立てないように腰を浮かせて玄関から小走りで逃げた。

 息を止めて一気に建物から飛び出す。心臓がバクバクと早鐘を打っている。



「う、うわあああぁぁ……!」



 情けない声をあげながら日の光が差す庭まで出たが、やけに広くてどんなに走ってもずっと庭の中心にいるような気がする。そのうち足が重くなって息が切れだし、走るのを止めた。だけど完全に止まるのも恐くてそのままのろのろと歩き続ける。

 神社の境内は果てしなく広くて明るかった。

 雲ひとつない真っ青な青空が上に広がっている。

 でも、おかしい。

 こんなに大きくて広い神社なのに誰の姿も見えないのだ。

 そもそもさっきから音が何も聞こえない。鳥の声も風の音も。

 耳鳴りがするほどの静けさ。



「……どうして……」



 四肢が異様に重い。

 靴の中に鉛でも仕込まれてそうなくらい左右の足が、肩が今にも脱臼しそうなくらい両の腕が重い。まるで何かの引力に逆らっているように歩けば歩くほど体が重くなる。

 おかしい。確実におかしい。

 このまま此処にいたら俺は……。

 急に足をガクリと引っ張られて転倒した。

 大人になってから真正面から転んだなんて初めてでショックと痛みで今にも泣きだしそう。

 何だこれ、一体何がどうなってるんだ。

 必死で握り締めた両手が砂を握り締める。何かを固い物を掴んだ。でももう、それを確認する余裕すらない。ズキズキと響く膝や腹の痛みを歯を食い縛って我慢する。

 手の中にある固さだけが、今の自分を支える唯一だった。

 無様な呼吸をひっきりなしに繰り返しながら無意識に足を縺れさせながら歩きだす。

 だけどやっぱり景色が変わらない。進んでいるような気がしない。

 青い青い空。

 雲一つない真っ青な空。

 そこに白い月が浮かんでいた。

 真昼の白い月。太陽の代わりのように。

 視界がチカチカと光りだす。熱中症が進行してるんだろうか。

 妙な違和感があった。目を細める。

 空に点滅する光。身体がやけに熱い。

 


「……あ……」



 違和感の正体にようやく気づく。

 ドクリと心音が体中に響いた。

 真昼の青空に、月と、きらめく星々がいくつも輝いていたのだ。

 白い月だけなら何もおかしいことはない。でも、満天の星空のように青空に宝石のような光が散りばめられていたら。

 一拍置いて遅れを取り戻そうと拍動が恐ろしい速さで鳴りだす。

 なんだこれは。

 俺は、目がおかしくなったのか。それとも頭がおかしくなったのか。

 足元から崩れ落ちていきそうだ。

 変だ。ここがおかしいのか。俺がおかしいのか。

 そんなことすらもう、分からない。

 最後に自分を支える何かにヒビの入る音が聞こえて顔を歪める。

 まだ、止まりたくない。終わりたくない。ここで終わったら、何のために俺は……。

 まっすぐ前を向くと蜃気楼のように遠くに見える社殿。せめてあそこに行けたら。

 歯を食い縛って腕を伸ばした。諦めるもんか。こんな所で。

 そう思った瞬間、上空から鴉の鳴き声が聞こえた気がした。



「……連れて行ってくれ!」



 息も絶え絶えでがむしゃらに叫ぶ。

 鴉が目の前を切り裂くように現れた。俺に応えて導くように先へ進んでいく。

 太陽の光を反射するまばゆい羽根。途端に景色が動き出す。

 進んだ!

 叫びだしそうなほど嬉しかった。




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