この世の苦行の一つに就活がある
実家に置いてあった何の変哲もない人形が、実は冥婚として亡くなった身内に嫁いできた花嫁人形だと知った時、この話を書こうと思いました。とても綺麗な花嫁さんでした。
君に神様をあげる
この世の苦行の一つに就活がある。
就活。すなわち就職活動。
日々の食い扶持を稼ぐため己の価値を見ず知らずの他人へ売り込む活動のことだ。
履歴書や職務経歴書の作成の面倒くささはもちろんのこと、やはり何と言っても面接。これが一番キツい。会話の組み立て方の稚拙さや語彙と話題の少なさを痛感させられるし、何より己のコミュニケーション能力の低さをこんなにも目の前に突きつけられる事態はない。
自分はこんなに有益ですよ、お買い得ですよ、と心にもないことを言わなければならないのである。そりゃあ、俺だって己の価値をそこまで低く見積もってない。ちゃんと給与に見合った分は真面目に働くタイプだし、ヤバイことにもズルイことにも手を出す性分じゃない。きっと雇ってくれたらそれなりの成果は出すと思う。仕事を覚えるまでは。
だけど面接は、あれは本当に心の負担が大きすぎる。何度も繰り返す事じゃない。
咄嗟に言い間違えた、言葉の選択を誤った、重要な所で噛んだ、あがってしまい途中から何を言ってるのかわからなくなった、頭が真っ白になって黙りこんでしまった。焦れば焦るほどボロが出るし、相手の心にもないフォローが拍車をかける。誰だってこんな経験があるはずだ。
おおよそ世の中の人間はそんなに面接が得意じゃないだろう。面接大好き人間なんてかなりのレア属性、SSR、選ばれし民、鋼メンタルというやつだ。
そして、おそらく、たぶん、いや、きっと、絶対。
俺の目の前にいる面接官はその鋼メンタルの持ち主だった。
「とても素敵な名前だね」
「は、はあ……」
俺の履歴書と研修報告書を流し見ながら目の前の男性はその端正な顔に笑みを浮かべている。
案内された部屋にノックして入った瞬間、すみません間違えましたと踵を返して出ていく所だった。それくらい目の前の人物は建設会社という場所にそぐわない容姿の持ち主に見えたのだ。
まずびっくりするほど背が高い。確実に百八十は超えてるだろう。
広い肩幅やしっかりとした体躯、引き締まった下半身と机の下で持て余し気味な長い足。
それら全てを兼ね備えたうえに男っぽい体つきに反した優しげで甘めの顔。各パーツが完璧な配置で最大限の仕事をしているせいか、表情の一つ一つから目が離せない。おまけに声も聞き惚れてしまいそうな響く良い声で、名前を呼ばれた瞬間ちょっとだけ意識が飛んだ。生まれて初めての経験だった。場の空気を支配する圧倒的な存在感はまるでここが劇場で彼が主演俳優のような錯覚を起こさせる。
何だこれは。
もしかして本当に部屋を間違えたのか。
芸能事務所の面接に来たんじゃないんだぞ。
ここは絶賛入社中の建設会社だし、俺は面接のために会議室へ来たはずなのに。
「うちはマンションもやってるけど戸建工事がメインなんだよね」
「はい」
「着工する前に行う神事って知ってるかい?」
「地鎮祭、ですよね……?」
子供のままごとのように土を盛ってエイエイ言いながら鍬で崩してるのをテレビで見たことがある。ちょっと恥ずかしい。
「本来は地鎮祭、上棟祭、清祓祭と三つあるんだけどね。今は簡略化されて地鎮祭だけになったんだ」
「そうなんですか」
「その地鎮祭を毎回神主を呼ばずに自前で用意するようにしたのがウチの部署」
「簡略化ですね」
「そのうちに『出る』っていう家屋を祓い清める仕事も兼ねることになった」
さすがに簡略化しすぎでは? という思いを必死で飲み込む。
面接相手は俺の緊張でぎこちない笑みにニコニコと笑顔を返してくる。今までの面接相手と違ってまったく読めない笑顔だ。
「どうしてうちに推薦されたか聞いてるかい?」
「……私の体質に向いてる仕事があると言われたんです……」
実際は給与が今の三倍になると言われて飛びついたのだ。だって三倍だよ?
「体質? 阿坂クン、随分プライベートな事まで踏み込むんだなあ」
「そ、その、始めは雑談だったんです……研修の終わりに人事部の皆さんと打ち上げに行った時、名前の話になって……」
「たしかに目を引くよね」
「その流れで実家の……珍しいしきたりとか……『人形の花嫁』がいる話をしたら……」
「へえ……、何かなそれは。詳しく話してくれるかい?」
面接官の目の色が変わった。思わず唾を飲み込んでしまう。
この人、見た目の良さと仕事のできそうな雰囲気で圧が凄い。
「じ、地元は、信号機も無いようなすごく田舎で……まだ昔の風習とかが残ってまして……。若くして亡くなると、せめて結婚させて一人前にしてあげたいと……人形と結婚式を挙げるんです……」
「ああ、冥婚てやつ?」
「はい……」
「噂は知ってるけど実際にしてたって話を聞くのは初めてだな」
「自分が生まれる前にはもう家にその人形がいました……。とても大きなガラスの箱の中に飾られていたんです。子供の頃、そのお嫁さんに水をお供えするのが私の役目でした……」
「水だけなんだ? 食べ物とかお供えとかしないの?」
「人形なので食事はしないと聞いています。他にも仏壇や神棚、庭に氏神とかの小さな社もあって、お祝い事の時はお膳を、人形のお嫁さんにはお神酒を供えてました……」
「ふうん……。君がしてたんだね……」
「……長男だったので……」
「なるほどね」
飲み会ではなく会社という公共の場で、自分のあまりにもプライベートな話をするのは酷い違和感があった。照れや恥ずかしさから身の置き所がなく、椅子の上でもぞもぞと尻を動かしてしまう。
「……そういう生活をしていたせいか、自分にとっては普通で当たり前のことが、友人やクラスメイト、知人の話を聞く度に他の人とは感覚が少し変わってると気づいたんです」
「感覚?」
「時々、『違和感』があるんです。……その……。……『人間以外』が近くにいると……」
「もっと詳しく」
「え、えっと、つまり、……『人間以外』の存在が、『違和感』で分かるんです……」
「……たとえば『霊』とか?」
「それ以外も……」
「へえ~! 『人間以外』ってそういうこと?」
面接官の彼は上機嫌で相槌を打った。細くしなった瞳の奥に鋭い光を感じて背筋が粟立つ。膝の上に置いた両手の拳をぎゅうっと握り締めた。
「それは助かるよ。ほら、種類が限定されると現場によっては退避させないといけないから……」
「種類、ですか……」
「色々いるからねえ」
色々って何だ。喉まで出かかった問いを無理矢理飲み込む。
きっと契約による守秘義務を盾にして教えてくれないだろう。
「それじゃ、一応実技試験を始めようか」
「実技、試験……?」
人事の阿坂さんから今日は面接だけと聞いていた。しかも実技試験とは。
まったく対策をしておらず青くなる俺に面接官の男は薄っすらと笑みを浮かべる。
「僕としては、もう合格で良いんだけどね」
「え、あ、……え……?」
「……だって君、『視えてる』でしょ?」
ヒュッ、と息を飲み込む。
目を僅かに細めると浮かんでくるのは異様な光景だ。
彼を取り囲む地獄の業火のような炎。激しく燃え盛る火が嘲笑うような形を作っては消えていく。
凄まじい勢いの炎だった。火力が強すぎて時折、彼の姿が見えていない。何故、無事でいられるのか理解できないほど。
……それから、この、息をするのも躊躇うほどの腐臭。
「……そろそろ後ろの美人の顔も拝ませてもらおうか?」
面接官の彼がそう言って笑いながら頬杖をつく。
次の瞬間、ガタンと音がして部屋中が真っ暗になった。
息が止まる。驚き過ぎて動けない。
ブレーカーが落ちたんだろうか。
そういえばこの階、地下だった。窓がない。非常灯すらない。真っ暗だ。
「……?」
目の前の暗闇から火花のように光がちらちらと現れる。そのまま、ボッと音を立てて燃え始めた。
橙色の小さな灯りがぼんやりと周囲を照らす。視線が炎に釘付けだった。
何が燃えているんだろう。炎を灯したそれは昔の人が使ってそうな木の櫛に見えるが、ゆらゆら揺れる光源では特定できない。
櫛を持つ長い指。
俺の目の前に座っていたのは面接官だ。それなら、あの指は彼の物だろう。
火の燃える音と匂い。
「……?」
……いや、何だこれは。何が起こってるんだ。
はくり、とようやく口を開いて喘ぐように呼吸する。
火が燃えている。
有り得るはずのない所で。室内で。すぐ目の前で。
背中を滝のような汗が噴き出した。
「これは【一片之火】(ひとつびとぼす)。暗闇の中でひとつだけ火を灯す行為は隠していた真実の姿を見せてしまう、不吉の前兆だよ」
詠うように笑うように彼が告げる。
木の燃える匂い。血の匂い。それから、腐った肉のような匂い。
それら全てが交じり合った空気に込み上げてくる吐き気。
「う、ぁ……ッ」
立たないと。逃げないと。
呼吸するのがやっとの木偶人形のような体を叱咤して、金縛りを解くように少しずつ体を動かしていく。
動揺でブレる視界の中で彼と視線が絡む。
両目が篝火のように煌々と赤く輝いていた。
「……ッ!!」
目が合った瞬間、彼の体から蛇のような炎が身をくねらせて飛び掛ってくる。
咄嗟に身の危険を感じて椅子から転げ落ちた。今までずっと俺の背後を守っていた温かな空気がゴソリと動く。
心臓が飛び跳ねるようにバクリと高鳴った。どこからか花びらが舞い落ちてくる。
まずい。止めないと!
振り向いた俺の背後から真っ白な花嫁衣裳の女性が現れた。眩いほどに光輝く正絹の打掛け。
「待って! 『景子さん』!!」
大声で止めても白無垢姿の彼女は止まらない。
伸ばした腕から白く透けた存在が通り抜けてしまう。
躊躇いなく懐剣を引き抜き、向かってきた炎の蛇の頭を一刀両断した。血のように飛び散った火の粉を鳳凰の刺繍がされた袖で一掃する。
あっという間の出来事だった。舞い踊るかのような一連の動きに、俺は転がってポカンと見ていただけだ。
「……すごい」
つい先程、俺の命を危険に晒しておきながら面接官は感嘆の声を上げて立ち上がり、やおら拍手まで始めだした。何をしてるんだこの人は。動いたことで景子さんの警戒心が跳ね上がっている。俺の前に立ちはだかり、懐刀を構えて一分の隙も無い。
人ではない者の怒りが空気を通して伝わってきた。空気が帯電したかのように肌に突き刺さってビリビリ痛む。縺れそうな舌を必死で動かす。
「……火を、仕舞ってください。俺じゃ景子さんは止められないんです」
「彼女が『人形のお嫁さん』かい? 想像よりずっと強くて美しい人だね」
「口説いても無駄ですよ。人妻なんですから」
「もちろん、不倫なんてするつもりはないさ。だけど白無垢姿で戦う花嫁なんて想像もしなかったんだ……」
どうやら本気で感動しているようだが子供の頃から俺を守ってきた景子さんからは完全に敵認定を受けている。彼が今も喉を搔き切られずに生きていられるのは、ひとえにこうして話を続けているからにすぎない。俺が会話を止めて彼を睨みつけようものなら次の瞬間容赦しないだろう。焦りで思わずしかりつけるような声になった。
「早く火を仕舞ってください……!」
「分かったよ。ごめんね景子さん、驚かせてしまって。僕は彼の力を試さないといけなかったんだ。許してくれるかな?」
彼が纏う骨をも焼き尽くす火葬場のような炎がフッと掻き消えた。
あまりにも急に無くなったので驚くが、にこやかな笑みを浮かべたまま景子さんに話しかけている。
十人中十二人の女性が頬を染めて許してしまいそうな美男子っぷりだが、景子さんは人形であって人間ではない。冷たく見返すだけだ。
「景子さん……」
俺が呼びかけると途端に花嫁衣裳の彼女は心配そうな表情でふわりとこちらへ戻ってきた。周囲をぐるぐる飛び回り怪我をしていないか確かめている。彼女が動くたび柔らかそうな白い花びらが幾つも舞い散る。
大丈夫だよ、と安心させるように声をかけるとそこでようやく落ち着いたのかいつもの定位置である背後に戻って身を潜めた。背中がほんのり温かい。
面接官がゆっくりと椅子に座り直す。
「なるほど。これが君の推薦された理由か」
「言ってもらえれば、もっと平和的に紹介しましたよ……」
「感動物だね。強い加護の力を感じる。まるで人間の赤ちゃんを守る母猫みたいだ……」
「……そうですね。彼女は俺を小さい頃から知ってるので」
「本当に人形なのかい? 人間にしか見えなかったけど。凄いな、契約で使役してる訳でもないのに自主的に君を守ってる。守護霊なのかな、それとも座敷童子みたいな妖怪?」
「正確な正体は俺にも分からないんです……。人間のように見えるのは、俺たちにそう見えるだけなのかもしれないですし。何で俺を守っているのかも……」
「……君のことを自分の子供だと思ってるんじゃない?」
机の上の履歴書を見直しながらそう問いかけられると言葉に詰まった。
その可能性を考えなかった訳じゃない。でも、若くして亡くなった身内に嫁いだという人形が俺のことを自分の子供だと思って守ってるなんてあまりにも救いがない話だ。
何の因果で人形に魂が宿ってしまったのか、俺を守ることになったのか、理由も原因も分からない。分からないけど彼女は子供の頃からずっと自分を見守ってくれた、家族にも等しい存在だ。背中くらいなら気が済むまで貸したって良い。
だけどさすがにそんなことまで言いたくなくて口を閉ざしてしまう。面接で黙り込むという失態に唇を噛んでいると彼が履歴書から顔を上げ苦く笑った。
「……ごめん。僕もちょっと踏み込みすぎたね。君達の絆の強さに感動しちゃったんだ。……さあ、実技試験は合格。明日から君は僕の部下だよ、ユキちゃん」
「ユ、ユキちゃん!?」
突然、慣れ親しんだあだ名呼びをされ素っ頓狂な声を上げた。何でこの人、俺の小さい頃からのあだ名を知ってるんだ!?
俺の動揺を他所に彼は己の顔の良さを存分に活かした見惚れるような笑顔を浮かべ、駄目押しでウインクまで付けてくる。
「ここまでの即戦力、そうはいないよ。……もう絶対逃がさないからね」
「ひえ」
たすけて。ウインクにちょっとときめいた。
顔が良すぎてさっきまでの暴挙のすべてを許してしまいそう。
凶器のような顔面力に仰け反っていると面接官が立ち上がりこちらへ歩み寄ってくる。背中の気配がもぞりと動いたが、その前に彼が俺へと手を差し伸べた。
「歓迎するよ。視える化推進局祭祀部神祇課、通称神社局へようこそ!」