すれ違いの予感
土曜の夕方。
美咲は、買い物帰りにふと思い立って、駅前の本屋に立ち寄った。
手に取った雑誌をパラパラとめくりながら、ふと視線を窓の外に向ける。
その瞬間、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
(……翔太くん?)
間違いない。あのちょっと無造作に跳ねた髪と、明るめのベージュのパーカー。
隣には、女性がいた。
黒髪のロングに、薄ピンクのブラウス――上品で、どこか柔らかな雰囲気。
2人はカフェの前で並びながら、笑い合っている。
(……デート?)
胸の奥が、じんわり痛んだ。
すると、ガラス越しに聞こえてきた声に、耳が自然と傾く。
「ねえ、覚えてる?私、翔太くんに飲みすぎてだる絡みの電話かけまくってたの。笑」
「もちろん。大学の時でしょ?懐かしいな。」
「なんかさぁ……社会人になってから、そういう風にちゃんと話せる人、全然いなくて。今、彼氏もいないし。」
その言葉に、美咲の指が雑誌のページで止まった。
翔太の反応までは聞こえなかった。
でも、女の子の笑い声が耳に残った。
(なんで、こんな気持ちになるんだろう。)
付き合っているわけじゃない。
翔太が誰とどこで何をしていても、それは自由なはずなのに。
(……今日、LINEしようか迷ってたのに。)
自分の中に芽生えかけていた好意が、足元からすくわれた気がした。
本屋を出て、駅の雑踏に紛れるように歩き出す。
春の風が吹き抜けても、心のざわめきは消えなかった。
(翔太くんって……ああいう子が好みなのかな。)
電車に揺られながら、美咲はずっと胸の奥がざわついていた。
たった数秒、ガラス越しに見ただけ――なのに、頭から離れない。
LINEを送ろうとして、やっぱりやめて。
開いたアプリを閉じる、それだけの動作が、ひどく寂しく感じた。
⸻
「……それで、今彼氏いないんだ。」
駅前のカフェで、翔太は苦笑しながら向かいの女性――大学時代の後輩・由依の話に耳を傾けていた。
「そっか。意外。由依ちゃんって、なんかいつも彼氏途切れないイメージだった。」
「えー、失礼!昔はね、でも今は……大人になるといろいろあるの。」
由依がストローをくるくる回す。
翔太はそれをぼんやり見ながら、ふっと言った。
「俺、今さ。好きな人がいるんだよね。」
由依の手が止まった。
「えっ、そうなの?」
「うん。ちょっと年上で、職場も違うし、なんか……距離感つかみにくい人なんだけど。」
思い浮かべるのは、いつものあの笑顔。
人懐っこくて、気配り上手で、なのにときどきちょっと抜けてて。
そして恋愛にはまったく無防備な人。
「たまにすごく近いと思ったら、いきなり遠くに行っちゃう感じがして。」
「へぇ……」
由依が表情を読めないまま、小さくうなずいた。
「でも、そういうところも含めて、好きだなって。」
カップに残ったアイスコーヒーが、カランと音を立てた。
⸻
美咲は知らない。
今、翔太が自分の名前こそ出さずに、本気の想いを口にしていたことを。
そして翔太も知らない。
さっきまで、その想いの相手がすぐ近くにいたことを。
すれ違いは、静かに、確かに、2人の距離を試そうとしていた。