第7話運命の狭間、揺蕩う真実の影
世界はわずかに変質していた。
それは、日常の些細な違和感――例えば、廊下の壁に刻まれた紋様の形が微妙に異なることや、見慣れたはずの景色がどこか馴染まないこと。
まるで、私の知らない誰かが物語を書き換えたかのように。
「アリシア、お前は……」
エリックが慎重に言葉を選びながら、私を見つめる。
彼の眼差しには警戒と困惑が入り混じっていた。
まるで、目の前にいる私が「本当に私なのか」疑っているように。
「……お前は、何を見た?」
彼の問いに、私は口を開こうとした。
だが、言葉が出てこない。いや――正確には、「言葉を発することが許されていない」感覚だった。
“確定”してしまう。
フェリクスの言葉が脳裏をよぎる。
私は、運命の書を開いてしまった。
その影響で、この世界の何かが変わってしまった。
では、私は一体「何を変えてしまった」のか?
交錯する記憶、見えざる改変
――ザァァァァァ……
頭の奥で、ノイズのような音が響く。
まるで、私の意識の奥深くに埋もれた「本来の記憶」が、何者かによって上書きされようとしているかのように。
私は、確かに「別の世界の記憶」を見たはずだ。
運命改変の力を持つ私は、無数の可能性を知覚できるはずだった。
しかし――
「……思い出せない……?」
何か、大切なものが抜け落ちている。
私が知るべきだったはずの「真実」が、私の意識から滑り落ちていく。
それは、まるで物語のページが一枚抜き取られたかのような感覚。
「アリシア……お前の運命が、歪んでいる」
エリックの言葉は鋭く、それでいてどこか哀しげだった。
「お前は今、“境界の向こう側”を見ている。だが、それを知ることは決して許されない」
「……どういうこと?」
「もしお前が”向こう側の記憶”を完全に取り戻せば、この世界は”崩壊”する」
その言葉を聞いた瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
世界が崩壊する?
なぜ?
私はただ、“知るべき真実”を求めていただけなのに――
囁く影、仕組まれた罠
「……アリシア、君は”知ってはいけないこと”を知ろうとしている」
別の声が響いた。
フェリクスだった。
彼は静かに私の前に立ち、私を見つめる。
「君が開いたあの本は、本来ならば誰も触れてはならないものだった」
「でも、それは”私の物語”だと言ったのはあなたでしょ?」
「その通り。だが、“すべての物語が読まれるべきとは限らない”んだ」
フェリクスの目は、いつもよりも鋭い光を宿していた。
「……アリシア、君は”誰か”に誘導されている可能性がある」
「誰か?」
フェリクスは口をつぐむ。
そのとき――
――カツン。
廊下の奥から、一つの足音が響いた。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
黒いローブを纏い、その目には深い影を宿している。
どこかで見たことがある気がする。
「……アリシア、久しぶりね」
少女は静かに微笑んだ。
だが、その微笑みには奇妙な違和感があった。
「あなたは……?」
少女は一歩、私の方へと踏み出す。
「私の名前は……“リゼ”。あなたと同じ”改変者”よ」
禁じられた真実、そして選択
“改変者”。
その言葉が、私の中で妙にしっくりきた。
彼女もまた、私と同じ「運命を改変する力」を持つ者だというのか?
「あなたは”この世界のルール”を変えてしまった。けれど、それが何を意味するのか、まだ分かっていないのでしょう?」
リゼの声は穏やかだったが、そこには確かな確信があった。
「この世界は、無限に分岐する可能性の中にある。“書き換え”られる前の世界も、書き換えられた後の世界も、すべて”並列して存在”しているの」
「……並列……?」
「そう。そして――あなたが触れた”あの本”は、本来”この世界には存在しないはずの物語”を呼び寄せてしまった」
リゼの言葉に、私は凍りついた。
「つまり……私は”別の世界の運命”を、この世界に持ち込んでしまった?」
リゼは静かに頷いた。
「ええ。だから、あなたの記憶が揺らいでいるの」
私は息を呑む。
今、私の中にある「違和感」の正体は、それだったのか?
私は知らず知らずのうちに、この世界に”別の世界の可能性”を混入させてしまった。
「……それを、元に戻す方法は?」
リゼは私をじっと見つめた後、静かに告げた。
「選択すること。“どちらの物語を存続させるのか”を、ね」
私の胸が、強く締め付けられる。
どちらの物語を、存続させるのか。
それはつまり――
「……“もう一つの可能性”を、完全に消去するということ?」
リゼは頷く。
「そう。決断しなければ、どちらの世界も不安定なまま。やがて”崩壊”する」
私の手が、かすかに震えた。
「私に、そんな選択ができるの……?」
「できる。なぜなら、あなたは”運命改変者”だから」
私は、そっと目を閉じた。
どちらの世界を選ぶべきか。
それを決めるために、私は「すべての記憶」を取り戻さなければならない。
だが、それは同時に――
“私自身の運命すらも変えることになる”ということだった。
私は目を開け、リゼを見つめる。
「……私に、選ばせるつもりね?」
リゼは微笑む。
「ええ――それが、“改変者”の運命だから」
――続く。