第24話破れ
——しかし、ページはすでに破れていた。
破れたページの端が黒く焦げ、空中に揺らめく。そこには何が書かれていたのか、誰も知らない。知らないのに、記憶している。いや、記憶とは呼べない。染み付いた残響、焼き付いた残像、否応なく浮かび上がる影。文字のない文字が並び、意味のない意味が流れ込む。
視界の端で影が蠢く。壁が鼓動している。うねり、歪み、嘲笑う。
「アリシア様」
誰の声?知っている。知らない。知りたくない。
目の前に王子がいる。彼の顔が一瞬にして崩れ、幾千の断片に砕ける。破片は空中で回転しながら、意味のない文字列を形成しては崩れ、また形成する。
——アリシア、お前は
——お前は、何者だ?
地面が揺れる。いや、揺れているのは私か。私の輪郭がぶれ、複数の像が重なり合う。
——いや、待って、待って、待って。
ナイフを握る指が震える。いつから握っていた?どこから持ち出した?
床に落ちた紙片に目を落とす。
『この物語の結末は』
血の文字。違う、インクか。いや、それは判別できない。濡れた何かが滲む。視線が吸い込まれる。どこまでも、どこまでも。
◆
「お嬢様、お食事の時間です」
瞬き。視界が跳ねる。いつの間にかテーブルの前に座っている。銀のナイフとフォークが並び、皿には切り分けられた肉。
「……これは?」
「お食事です」
メイドが言う。顔はのっぺらぼうだ。
皿の上の肉が動く。呼吸している。血が滴る。心臓の鼓動のように、小刻みに痙攣する。
「誰の……?」
「お嬢様のものです」
「私の?」
「はい」
フォークを持つ。ナイフを構える。力を込める。切り分ける。
ざくり。
肉の断面から、無数の目が覗く。私を見ている。笑っている。
「やめて!」
悲鳴を上げる。瞬間、視界が裏返る。白と黒のノイズが走り、言葉が崩れ、時間が解ける。
◆
——私は、どこにいる?
——誰が、私?
床がない。天井がない。壁がない。私は虚無の中にいる。
「アリシア様」
声が聞こえる。
「貴方はどこにもいません。どこにもいない貴方に、救いは訪れません」
「私は……」
「お別れです」
手を伸ばす。何かを掴もうとする。だが、何もない。
世界が崩れる。
私は、誰?
次のページは、すでに破れている。
破れたページの端が黒く焦げ、空中に揺らめく。そこには何が書かれていたのか、誰も知らない。知らないのに、記憶している。いや、記憶とは呼べない。染み付いた残響、焼き付いた残像、否応なく浮かび上がる影。文字のない文字が並び、意味のない意味が流れ込む。
視界の端で影が蠢く。壁が鼓動している。うねり、歪み、嘲笑う。
「アリシア様」
誰の声?知っている。知らない。知りたくない。
目の前に王子がいる。彼の顔が一瞬にして崩れ、幾千の断片に砕ける。破片は空中で回転しながら、意味のない文字列を形成しては崩れ、また形成する。
——アリシア、お前は
——お前は、何者だ?
地面が揺れる。いや、揺れているのは私か。私の輪郭がぶれ、複数の像が重なり合う。
——いや、待って、待って、待って。
ナイフを握る指が震える。いつから握っていた?どこから持ち出した?
床に落ちた紙片に目を落とす。
『この物語の結末は』
血の文字。違う、インクか。いや、それは判別できない。濡れた何かが滲む。視線が吸い込まれる。どこまでも、どこまでも。
◆
「お嬢様、お食事の時間です」
瞬き。視界が跳ねる。いつの間にかテーブルの前に座っている。銀のナイフとフォークが並び、皿には切り分けられた肉。
「……これは?」
「お食事です」
メイドが言う。顔はのっぺらぼうだ。
皿の上の肉が動く。呼吸している。血が滴る。心臓の鼓動のように、小刻みに痙攣する。
「誰の……?」
「お嬢様のものです」
「私の?」
「はい」
フォークを持つ。ナイフを構える。力を込める。切り分ける。
ざくり。
肉の断面から、無数の目が覗く。私を見ている。笑っている。
「やめて!」
悲鳴を上げる。瞬間、視界が裏返る。白と黒のノイズが走り、言葉が崩れ、時間が解ける。
◆
——私は、どこにいる?
——誰が、私?
床がない。天井がない。壁がない。私は虚無の中にいる。
「アリシア様」
声が聞こえる。
「貴方はどこにもいません。どこにもいない貴方に、救いは訪れません」
「私は……」
「お別れです」
手を伸ばす。何かを掴もうとする。だが、何もない。
世界が崩れる。
私は、誰?
次のページは、すでに破れている。
次のページは、すでに破れている。
破れたページには、数式が、顔が、手が、足が、指が、色が、音が、匂いが、すべてが交差している。
それらが混ざり合って、音楽のように響いてくる。
この世界の言葉はもはや意味を持たない。
意味を持っていたはずのものが、今はただの影、色、形、響きとして揺れている。
「アリシア様?」
その声が、ノイズのようにかき消される。
その声の主は誰なのか、もうわからない。
見えない手が触れる。
見えない目が私を見つめる。
その視線が空間を引き裂く。
私はその目を避けることなく、すべてのページをめくり続ける。
次のページ、次のページ。
次のページには、もう何も書かれていない。
その白さが目に刺さる。
私は指先を差し込む。
ページの白が、指先を呑み込む。
指はどこかの隙間に、絡まるように入っていく。
指が沈む先はどこか。
触れても触れなくても、何かが反応している。
私は、まるで絵画の中にいるかのようだ。
ここは世界ではない、夢でもない。
むしろ、あれは夢だったのだろうか。
「アリシア様?」
その声が再び繰り返される。
が、それもまた次第に溶ける。
溶け、消えていく。
ページをめくる手は、動かなくなる。
次のページには、ただの白い塊が広がっている。
それは液体だろうか、空気だろうか、視覚だろうか。
その白い塊が蠢く、変化する。
目の前に、何かが浮かぶ。
私がそれを見つめると、それが変わる。
それは、言葉のようでもあり、映像のようでもあり、存在そのもののようでもある。
そこに、形が生まれる。
何かの手が。
それが私を掴んで引き寄せようとする。
その手は、私に何を求めているのか。
声が途切れ途切れに響く。
「アリシア様、あなたは……」
声が消え、また現れる。
それは、私の中に閉じ込められた記憶のようでもあり、未来から来た何かのようでもある。
それは、私が出会った誰かの記憶のようでもあり、何かを呼び覚ますようでもある。
次に目を開けると、私は、無限に続く螺旋階段を登っていた。
空気は粘性を帯び、足音が異常に大きく響く。
その足音に合わせて、階段の壁が変形し、顔が浮かび上がる。
それは私の顔か、別の誰かの顔か、それともただの幻影か。
しかし、顔が歪むたびに階段は歪む。
無限の螺旋が、無限に回転し、視界が乱れ、視界が歪み、時間が逆回転する。
私は階段を登り続ける。
登って、登って、登り続ける。
けれども、何も変わらない。
全てが同じ場所を繰り返すだけだ。
その時、背後から音がした。
私を呼ぶ声、無数の足音が同時に響く。
振り向くと、影が揺らめき、影が分裂する。
その影の中から、何かが出てくる。
それは王子であり、勇者であり、私自身でもある。
すべての記憶が崩壊し、何かが私に問いかける。
「アリシア様、あなたはここにいるのでしょうか?」
その問いに答えようとすると、全ての言葉が消える。
言葉すらも、形を持たず、空間の中に漂う煙のように消える。
声が消え、音が消え、視界のすべてが消え、私はただひとつ、空間の中で迷子になったように漂っている。
無限の螺旋の中、私はもう何をしているのかわからない。
ただ、登り続けるしかない。
ページをめくり続けるように、ただ無機質に、空間を捉えようとする。
無限に続く、この場所の中で、何が私を待っているのか。
次のページも、すでに破れている。
その破れ目から、さらに広がる広がる。
視界の中で、数えきれない数のページが散りばめられ、そのすべてが崩れ始める。
私はそのすべてを見届ける。
それが何であれ、見届けなければならない。
すべてが意味を持たなくなり、すべてが無限に繰り返す世界に閉じ込められて、私はただ、空間の中で死んだように漂い続けるのだ。