第11話画面の裏側
夜会の喧騒は、まるで夢のように淡く広がっていた。
シャンデリアの灯火が揺れ、豪奢な衣装を纏った貴族たちが笑いさざめく。銀の食器が触れ合い、甘やかな香りが漂う。まるでこの世界が何もかも正常であるかのように、きらびやかな虚構が展開されていた。
だが、その中心にいる私は、違和感を振り払えずにいた。
「アリシア様、今宵の舞踏会もまた、美しいですね」
優雅な微笑みを浮かべたまま、フェリクスが私の手を取る。その手は温かいはずなのに、どこか冷たい。彼の笑顔には確かに情熱が宿っている。それなのに――まるで、仮面を被ったまま私に語りかけているような、そんな感覚を拭い去ることができなかった。
(なぜ? 彼は、私の味方のはずなのに)
そう、味方のはずだった。
だが、世界改変の影響なのか、それとも私の選択が新たな何かを生み出してしまったのか。彼の言動には、時折妙な“ブレ”が生じているように思えた。
「踊っていただけますか?」
私の手を取ったフェリクスが微笑む。その瞳は深く澄んでいて、まるで何もかも見透かしているかのようだった。
「ええ、喜んで」
私は微笑みを返し、彼に手を預ける。
音楽が流れ、私たちは舞踏の輪の中へと溶け込んでいった。
ステップを踏むたびに、絹の裾が揺れる。彼の手が私の腰を引き寄せ、リズムに合わせて旋回する。だが――
ふと、視界の端に奇妙なものが映った。
壁際に立つ一人の男。顔を隠す仮面の向こうから、じっとこちらを見つめている。
(……誰?)
黒い礼服に身を包み、仮面の下の表情はうかがえない。だが、その視線は確かに私に向けられていた。心の奥底に何かが警鐘を鳴らす。
「どうかしましたか?」
フェリクスの声に、私は意識を引き戻された。
「いえ……何でもないわ」
だが、気になる。あの仮面の男は何者なのか。彼がこちらを見ている理由は?
舞踏が終わり、フェリクスが優雅に一礼する。
「素晴らしい踊りでした」
「ありがとう。フェリクスも、さすがね」
礼儀としての言葉を交わしながら、私は再び視線を巡らせた。だが、先ほどの仮面の男の姿は、もうどこにもなかった。
(消えた……?)
ざわり、と背筋を冷たいものが走る。
何かが、おかしい。
そして、次の瞬間だった。
「アリシア様、少しお時間をいただけますか?」
低く響く声が耳元に届く。
振り向けば、そこにはエリックがいた。
冷たい瞳が、まるで何かを試すかのように私を見つめている。
「……何かしら?」
「少し、静かな場所でお話ししたいのです」
エリックの表情はいつもと変わらない。だが、その声の端に、僅かな緊張が滲んでいるのを感じた。
――これは、ただの会話ではない。
「……分かったわ」
私は頷き、エリックの後について舞踏会場を後にした。
廊下は静まり返っていた。遠くで音楽と笑い声が微かに響いている。
「話とは?」
「単刀直入に言います。あなたは……何者なのですか?」
一瞬、空気が張り詰める。
「……どういう意味?」
「あなたの振る舞い、言葉、そして……周囲の変化。すべてが、以前と違う」
エリックの瞳が鋭くなる。
「私は昔からあなたを見てきました。そして今、あなたは、まるで“別人”のようだ」
心臓が跳ねる。
(……気づかれている?)
だが、彼が知る“真実”とはどこまでのことなのか。
「……私が変わったというのなら、それは、成長したからよ」
「本当に、そうでしょうか?」
彼は一歩、私へと踏み出す。
「私には……あなたが、何かを隠しているようにしか思えないのです」
冷たい夜風が吹き抜ける。
私は微笑む。
「貴方こそ……何を知っているのかしら?」
沈黙。
夜会の喧騒が遠ざかり、廊下にはただ、張り詰めた空気が漂っていた。
(この夜は、まだ終わらない――)
(続く)