第10話夜宴に忍び寄る影
世界は音を立てて崩れつつあった。
目の前の教室は、確かに私が知るはずの学び舎だった。しかし、そこに座る生徒たちの顔が歪み、教室の壁には黒い亀裂が広がり続けている。
私は息を呑み、隣の席に座るはずのエリックを見た。
——エリックはそこにいた。
だが、何かが違った。彼の輪郭は不安定に揺らぎ、その顔の半分がモザイクのように崩れている。目元だけは鮮明に見えたが、そこにはいつもの冷静な光ではなく、何か、もっと深い“理解”が宿っていた。
「……君も、気づいているんだろう?」
エリックが口を開いた瞬間、彼の声が幾重にも反響し、まるで別の場所から同時に聞こえているように感じた。私は思わず後ずさる。
「何を……言っているの?」
「もう、世界は綻びを隠せなくなっている。君の力が原因だろう? "運命改変"……いや、"物語改変"と言うべきか。君は無自覚にこの世界を書き換え続けている。だが、それが何を引き起こすか、本当に理解しているのか?」
彼の言葉が胸の奥に突き刺さる。
私は改変した。いくつもの運命を、何度も。
けれど、それは"ゲームの範疇"で許されるものだと思っていた。
「私は……私はただ、破滅を避けたかっただけ……!」
「本当にそうか?」
エリックが椅子から立ち上がる。
——その瞬間、教室の風景が一瞬にして変わった。
床が消え、壁が崩れ、天井がなくなる。
私はどこかの闇に立たされていた。
まるで世界が"場面転換"したかのように。
次の瞬間、私は見た。
——黒い影。
——無数の眼。
——崩れた時間の断片。
音にならない音が、私の脳に直接流れ込んでくる。
「何、これ……?」
「これが、この世界の"外"だよ」
エリックの声がする。
振り向けば、彼は変わらずそこにいた。しかし、背景だけが変わってしまった。まるでスクリーンの切り替えに失敗したような、違和感の塊。
「君が繰り返し改変することで、この世界は本来の形を維持できなくなった。君はこの世界の主人公ではないはずだった。なのに、君は"物語の構造"を無視して、自らの手でストーリーを書き換えている」
「そんなこと、私は——」
「自覚していないのなら、それこそ問題だ」
エリックが指を鳴らす。
——視界が、一瞬で反転する。
私はまた、教室に戻っていた。
時間は動き出していた。
黒板には、今日の日付が書かれている。
私の机の上には、何の変哲もない教科書。
周囲の生徒たちが、何事もなかったかのように会話している。
だが、私は知っている。
ほんの数秒前、私は"外"を見た。
「アリシア様?」
不意に、隣のフェリクスが声をかけてきた。
——彼もまた、知っているのではないか。
私と同じく、この世界の"異常"を。
「どうしました? 顔色が悪いですよ」
「……なんでも、ないわ」
私はそう答える。
でも、心の中では分かっていた。
この世界は、もう"普通"ではいられない。
私が改変するたびに、何かが壊れ、何かが生まれ、何かが失われている。
"運命改変"が、単なる便利なスキルで済む話ではなくなっている。
私は、知りたくなかった。
でも——
「アリシア様、貴女は"このまま"でいいのですか?」
フェリクスのその問いが、胸に深く突き刺さる。
"このまま"とは、どういう意味なのか。
私は何をすべきなのか。
そして、私が目指す"結末"とは——。
その答えを見つける前に、私はまた、次の"改変"を迎えることになるのだった。
(続く)