91話 ワニの魔物②
ドクドクと流れ、あふれる血液。剣を引き抜くと、つかえが無くなったことでより流れが強くなった。血と油、それからヘドロのへばりついた刃。このまま鞘にしまうのは、あまり褒められたものではない。素人のアリアでも、それぐらいならわかっている。
腕を曲げ、一気に伸ばした。その運動により、付着した血やらなんやらを振り落とそうとするが、達人でも何でもないアリアじゃあ、その行為に意味を持たせることは不可能だった。
何度か振り回して腕を痛くして、そうしてやっと無意味に気が付いた。肩と肘関節が、かなり痛んでいる。無理に、それも何度も動かした。可動域を上手く活用するのなら、まだ健全だったかもしれない。調子に乗ると痛い目を見るのは、どうやらすべての事柄に言えるのかもしれない。
「腕痛ったぁ...布使えばよかった。最初から」
そう言うと背負っていた雑嚢から一枚の薄い布を取り出して、赤黒く染まった刃を拭った。薄さのせいで、嫌に冷たい感触とべとべとと引っ付く感触をダイレクトに感じる。そのうち貫通してきて、アリアの手には、赤色が塗られていた。今度こそ、その短い刀剣を、鞘へとしまった。
先ほどまで剣を握っていた手には、今は木の棒が握られていた。先っぽには布を巻いている。松明。と言っても、ガワだけで実用性は皆無の代物である。アリアは、自らが魔法で生み出した炎を光源としていた。本物の炎ではない、作り物だ。だからガワだけあれば良かった。魔法は、自らの望む形を現象化する行為。松明モドキが欲しいなら、松明の代わりとなる木の棒を用意すれば良いだけなのだ。
ワニの魔物の死体を避けながら、四人、奥へと進む。他の標的、つまりワニの魔物を討つ為である。暗く滑りやすい下水道内を、ずんずんと進んでいく。耳に届くのは、水に流れる音と小動物の蠢く些細な音。本来ならそれくらいしか聞こえてこない。場所だった。だが、残念ながら、今回はそれだけでは無かった。
同業者が行進する音。誰かと誰かが、言い合うように会話する音。聞き覚えのある金属同士が衝突する音。
沢山の音が、小さくささやかに響く。耳を澄まさねば聞こえなかったが、通常と比較するには、十分すぎるぐらいの変化だ。四方から感じる同業者の気配。自分たちも負けじと、進める歩幅が、僅かに早まる。
「そういえばアリアさん。あの後にユリウスさんと会いましたか?私、あれから全然、街で見かけないんですよ」
「俺も見てないかな。家の方の畑とか、家畜のお世話で忙しい。とか」
「どうなんでしょう。今度会ったらきちんとお礼を申したかったのですが」
アランとベリッシには、まるでさっぱりな内容だった。アリアとアルトリウスだけが会話を続けていた。そうして歩いていると、またあのワニに遭遇した。今度の個体は、さっきの個体より一回りほど大きかった。
が、大きさが変わろうとも脅威にはならない。スピードも攻撃も弱点もそのほとんどを理解しているのだ。油断慢心をしない限り、この魔物に遅れは取らないであろう。そう思っていたのは、アリアだけではなく他の三人も同じ心持ちであった。
二体三体と、数が増えても、それほどの差はなかった。対処法は、すべての個体に共通しているのだ。ヤツらは、噛む力が最大の武器だ。それと同時に、開ける力が最大の弱点でもあった。
口を開けても、かみ砕く対象を持たなければ、ただ隙を晒しただけ。それだけで終わってしまう。ゲームオーバー、負けである。
数体倒したあたりで、各々にも疲労の色が見えてきた。アランもアルトリウスも、息が上がっている。早々にリタイアした首狩り係のアリア。剣を引き抜くだけでも、相当の筋肉とパワーが必要になる。アリアには、少々厳しい仕事内容なのだ。
互いを支援しながら、首尾よくこなしていく。
「きゅ、休憩しようよ」
ベリッシがそう言った。
「休むっつったって、このベトベトの床じゃあ、中々キツイぞ。下履きがべたついちまう」
「なんか無いの? 良い魔法がさ。アリアの領分でしょ」
「そんなに万能じゃないんだよ、魔法は。俺だってなんでも使えるわけじゃないんだよ」
断るが、休憩した方が良いのは、火を見るより明らかだった。それこそ、アリアの炎を見るよりもだ。
出来るだけ綺麗な場所を選んで腰を下ろす。と言っても、どこもかしこも汚いわけだが。戻ったら、ズボンを洗うか買い換える前提だった。
休み始めると、嫌な感が働いた。えも言われぬ不快な感覚が、アリアの体に降りかかる。
これの状態がなんなのかわからなかった。これから何が起こるのか、それは、この感覚だけを頼りにした場合、良くないとだけはわかった。
その予感が肌を刺激すると次第に、何かが這っているような、引きずるような音がしてくる。
そうだ、ちょうどあの角、前の方にある角から聞こえてくる。ぞりっと引きずる音。一体何の音か。その答え合わせは、案外すぐだった。
音の主は、一回りどころか、先ほどの魔物から、二倍か三倍ほども大きなワニの魔物だった。
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