3 目覚め
本日3話目の投稿です。
執筆に集中するためカフェで作業してましたが、書いてて「公共の場でこいつを書いてていいのか?」と自問自答しました。
結果OKでした。
まだ、ね。
その年の冬の入りに、波瑠が懐妊したことをみんなに告げた。
最初は、時々胃の当たりがムカムカすると言っていたのだが、それ以外はいたって健康だった。
オーレリアンが「食べすぎだ。最近太っただろ」と笑って、制裁におやつを取り上げられていたが、長引く症状に医者にかかったところ、妊娠が判明した。
呆れたことに、呑気な波瑠が妊娠に気付いた時は、既に四か月目に入ろうとしていた。
それに慌てたのがオーレリアンとフェンリルだった。
全ての行事予定を白紙にし、安定期まではと部屋に閉じ込める勢いで、波瑠は堪忍袋の緒が切れて二人をベースキャンプから追い出した。
二人は、ベースキャンプの庭にあるレジェンド来客用のガレージで、ほとぼりが冷めるまで一緒に寝泊りしていたようだ。
波瑠は、か弱い見た目に反してかなり丈夫だ。
悪阻もほぼなく、妊婦にありがちな症状もほとんどなかったからか、出産まで家事や来客の接待を楽しそうにやっていた。
特に、ユーシスの騎竜である赤い飛竜のルベルがお気に入りで、ベースキャンプにやって来ると鱗をタオルで磨いたり塊肉をあげたりと、大きなお腹で甲斐甲斐しく世話をしていた。
まだ野性を忘れていない竜なので、ユーシスがいないと人間を警戒するのだが、何故か波瑠には大人しく世話をされている。
そんなところは主に似なくてもいいのに、とユーシスは思う。
ユーシスにとっても、ベースキャンプは心落ち着く場所に変わりはなかった。それは、波瑠の全てを包むような包容力のお陰だと言えた。
大きなログハウスは以前のままで、そこには依然としてユーシスとレアリスの部屋も残っており、波瑠は一日の大半をそのログハウスで過ごした。
変わったのは、波瑠とオーレリアンの二人の就寝用のログハウスが別にできたことだけだった。
以前と違う痕跡を見るたび、まだほんの少しだけ、ユーシスの胸の奥は痛んだ。
そして、初夏に近い晩春に、少し早めに波瑠は双子を出産した。
オーレリアンの銀髪と、波瑠の温かい茶色の瞳を受け継いだ男女の双子だった。
波瑠似の兄の名都、オーレリアン似の妹の愛生。
オーレリアンが何か月もかけて考えた名前だった。
結婚式同様、国を挙げてと言うわけにはいかないが、波瑠の出産は各国から祝いの言葉が届き、一度王宮で小規模な宴を開くことになった。
特にセリカは、皇帝陛下も臨席したいというくらいで、波瑠は大変恐縮した様子だったが、子供が少し安定する1年後に披露目を行うことになった。
ユーシスも、生まれてから一週間後、遠征から帰ってすぐに双子を抱くことができた。幼い弟妹を世話した経験があったが、家族を抱いた時とは違う感覚だった。
目も耳も未発達で、泣くことでしか自分を守ることができないその赤子に、どうしようもない程の敬愛が溢れた。
紛れもなく自分の主君の子であると、本能で忠節を誓った。
それと同時に、まだ微かに胸の奥を揺らす何かがあった。
披露目の宴は、オーレリアンが娘を、波瑠が息子を抱いていた。
ふた月も経つと、双子にもそれぞれに個性が出てくる。波瑠似で活発な息子の名都と、オーレリアン似で少し人見知りする娘の愛生。
彼らの愛らしさは、人も魔獣も種族さえ超えて虜にしていた。
ユーシスは主君たちの後ろに立ち、万が一も起こらないよう警護するが、そもそもフェンリル一族や赤い竜、玄武が見守る中で、何事かが起きるはずもなかったが。
と思っていたが、また波瑠の荷物に紛れてついてきてしまった床を走り回るマンドラゴラを、客に見つからないよう捕まえたり、幼体化で会場に侵入して各国の美丈夫にちょっかいを掛けるリヴァイアサンとアジダハーカを窓から捨てたりと、案外ユーシスは忙しい。
護衛というより、掃除屋と言った方がいいような有様だが。
レアリスと交代で休憩に入ると、今度はそこに、ユーシスに目を付けた令嬢たちがやってくる。
この国の令嬢たちは随分大人しくなったが、貴賓として訪れている各国の重鎮の家族として来ている令嬢たちだ。
自分はもういい年なのだから、若い他の物件を探せばいいのに、と少しやさぐれた気持ちでユーシスは疲れた笑顔を浮かべた。令嬢たちは、身分が身分だけに、そうそう邪険にも扱えない。
ため息が出そうになるのを堪えていると、遅れてやって来て波瑠と挨拶を済ませたセリカのリヨウとスイランを見つけた。遅れて来たこともあるが、何故か自然と目が向く。
あちらは最初気付かない様子だったが、そのうちリヨウが気付き、スイランに話しかけてユーシスの方を指し示す。それでようやくスイランがこちらに視線を向けたの見て、少し胸が弾むのを感じた。
と同時に、すぐに気付いてもらえなかったことに腹が立ち、意識して甘い満面の笑みを浮かべて「失礼」と断って令嬢たちをかわし、大股でリヨウとスイランに近づいた。
「フォルセリア卿、何故そんな笑みを浮かべて近付いて来る? 怖いのだが」
「何をおっしゃいます。私と公主殿下の仲ではありませんか」
「身に覚えがない仲だな」
「……私は、別の方に挨拶をしてきますね、スイランを頼みます」
「兄上!? 何故わたくしを置いていかれるのです!?」
「では、参りましょうか、公主殿下」
ユーシスが目配せをすると、リヨウは何かを察したのか、スイランを置いて挨拶に行ってしまった。そして、残されたスイランは、流れるようなユーシスのエスコートで、バルコニーの方へと誘導されてしまった。
「何やら、ご令嬢たちの視線が痛いのだが? フォルセリア卿?」
「気のせいでしょう」
臆面もなく言うと、スイランをバルコニーの長椅子に座らせる。
セリカ皇族の盛装をしているので、スイランは竜騎士団に居た頃のような動きやすいものではないからだ。
「隣に座っても?」
断る理由もないので、スイランは鷹揚に頷く。それにユーシスは気を良くし、少し姿勢を崩して座った。
「疲れておるようだな」
「ええ。自分はもう若くないので」
「こんなに説得力に欠ける言い訳は初めてだ」
付き合いは四年近くになるが、円熟味を加えてはいるが、スイランから見てもユーシスは出会った頃と変わらずに十分に若々しくて衰えなど感じない。
尋ねてはみたものの、スイランは先ほど向けられた令嬢たちからの視線で、なるほど、と事情を察した。西戍王に封じられる前、血縁と知られていない時に、ファルハドでも似たようなことが往々にしてあったからだ。
ご令嬢というのは、意中の相手の傍にいる女性が気に入らないらしい。
「まあ、卿には世話になったし、少しの間だけ風除けをやろう」
大概の女性は、身分が高く美しいスイランが近くに居れば、遠慮のない悔し気な視線を寄越しても近付いては来ない。
しばらくバルコニーで風に吹かれながら、二人は丁寧に整備された夏の庭を眺める。
立ち上る厚い雲が遠くに見え、ユーシスは最初に出会ったレンダールの北の地を思い出していた。
あの日は夏も盛りだったが、それでも雲の多い日で、北の地の爽やかな風で幾分涼しさを感じる日だった。
あの日から、月日は飛ぶように過ぎた。
「早いものだな」
ふと呟いたスイランの言葉に、二人とも同じことを考えていたことが分かり、何となく二人で笑った。
出会いがしらで、オーレリアンに求婚したスイランがみんなの度肝を抜いたのを思い出し、また二人で笑った。
「あの時のオーレリアン殿とハルの顔は見ものだった」
互いがまだ自分の気持ちを打ち明けていない時で、今思えば、絶叫した二人が似たような顔をしていたな、とスイランは思い起こす。
そして、隣にいる騎士が、二人を見る時の表情も、ふと思い出した。
スイランが何かに思い当たったのに、ユーシスは何となく分かった。
それは、スイランに知られたくないような、知ってほしいような複雑なことだったが。
「わたくしは不慣れなので、不躾なことを聞いてよいか?」
「お手柔らかに」
素直なスイランに、少し苦笑気味に答える。するとスイランは、神妙な表情になった。
「卿は、ハルのことを好いていたのか?」
「はい、殿下」
幼い子のように真っ直ぐなスイランの物言いに、ユーシスは案外すんなりと肯定することが出来た。
主君の想い人である波瑠に恋をしたことは、決して恥ずべきことではないと、今ならそう思える。
そして、不思議なことに、波瑠への気持ちを振り返っても、胸の痛みは感じなかった。
何となく、その原因は、目の前にいる高貴な女性なのではないか、と思った。
その時、波瑠への激情のような恋は、終わりを告げたのだと感じた。
スイランは、また何かを考えこむような顔になった。見ていて飽きない。
「私は恋をしたことがないのでどうしたら良いか分からぬから、ファルハドを慰めに寄越そうか。あやつなら、卿の気持ちを汲んでやれると思うが」
突然何を言うかと思えば、同じ気持ちを持った者同士で傷を舐めあえと勧めてきた。
ファルハドは最初から波瑠への想いを隠しもしなかったから、スイランにとっての最善がファルハドを寄越すことだったようだ。
そこで、「自分が」と思いつかないところがスイランらしいようでいて、ユーシスは少し焦れたような気持になった。「失礼します」と形だけ断って、スイランの返事を待たずに彼女の手をそっと取った。
「公主殿下自らお慰めいただけないのですか?」
「………………卿は、本当に信用ならない男だな」
まるで、何日も放置してしまった雑巾を見るような目でユーシスを見て、手をパッと外した。
スイランは、黒竜克服の時、ファルハドと交わした会話を思い出した。「顔の良い男は信用しない」と。ユーシスは、いろいろと分かっていてやっていることを、スイランは薄々気付いていたが、今日ほど実感した日はなかった。
あまりにも自分に興味のない返しに、ユーシスは小気味よく感じて笑った。
「それでも、私の顔はお嫌いではないでしょう」
どうしてか、スイランには余計なことを言いたくなる。
悪戯に笑うユーシスを見て、令嬢たちが熱を上げるのは、こういう笑顔を誰にでも見せるからでは、とスイランは思った。
ただ、今日はさすがに疲れているようなので、耳当たりの良い言葉は返さずとも、労いを込めて肯定するくらいならしてやるか、と考え直す。
そして、ふとあることを思い出し、思わずポロッと漏らした。
「卿の顔はたまに思い出す。その時に不快にはならないから、確かに卿の顔は嫌いではないと思う」
固い物言いだったが、スイランがたまに自分を思い出すと聞いて、ユーシスは腹の底が座りの悪いような心地になった。何故自分を思い出したのか、ユーシスはそのスイランの感情を知りたいと思った。
「何故、私の顔を思い出したのか、お伺いしても?」
何かの期待を込めて尋ねると、スイランはさして衒いもなく言った。
「皇帝陛下の直臣の子息と見合いさせられそうになった時、容姿を自慢されてな。思わず卿を引き合いに出したら、あっさりと引き下がってくれたから、それ以降、見合い話を持って来られると、ちょっと思い出すようになったな」
「西戍王殿下ではなく、私を思い出された?」
それほど意地悪な聞き方をした訳でもないが、スイランが酷く驚いた顔をした。
その顔を見て、ユーシスの中で何かが動いた。
スイランが見合い話で兄ではなく、自分を一番に思い出したことに歓喜するも、同時に苛立ちを覚えた。スイランが「結婚する」という、すぐにでもあっておかしくないことに苛立ったのだ。
それが何に起因するかは明白で、ユーシスは、自分は決断が早い方だと思っていたが、これほどまでに劇的に決断を下したのは初めてかもしれないと思った。
スイランも、意図してはいないが、これではユーシスの容姿を気に入っていると言っているも同然と気付き、バツが悪くなって顔を逸らした。
「他国の将軍級の武人で、知り合いは卿だけだからな」
他に引き合いに出す人間がいなかったと言い訳をするスイランに、逃げ道を塞ぐようにユーシスが畳みかけた。
「ご結婚なさりたいのですか?」
「ん? いや、今はまだ。だが、父上もいつまでも黙認はしてくれまい。時機と条件が合えば仕方ないと思うが、できれば武に理解があって、わたくしの家門の息が掛かっていない方が良い」
皇族として生まれたからには、政略結婚は仕方がないと覚悟はしているスイランだが、結婚の理想がないわけではなかった。
それを言えば、目の前の騎士は、性格以外は理想に近いかもしれないと思う。なんとなく、そう思い、どこか上の空で呟いた。
何故問われたのか分かっていない様子のスイランに、なるほど、とユーシスは思う。
「では、いつなら、ご結婚を承諾なさるのでしょう」
「うーん。少なくとも、魔物の脅威が取り除かれるまでは、私も前線に立ちたいから、二年は猶予を貰うつもりだ」
素直に答えるスイランに、ユーシスは笑みを深めた。
「恐らく、ご結婚はもっと早くなるでしょう。私が二年も掛けないようにします。私にもそれなりの準備が必要ですから、一年後でしょうか」
「??? ああ、討伐の話か。フォルセリア卿、無理はするな」
「多少の無理はします。ですから、それまでには覚悟なさっておいてください」
「????? うむ」
何を言われているのか分からない様子のスイランだったが、ユーシスの勢いに気圧されて思わず頷いていた。
多分スイランは、ユーシスの言う「覚悟」を、「討伐を頑張れ」と言われているのだと思っている。
ユーシスは、今はそれでいいと思った。
最後にユーシスはスイランをエスコートして立ち上がると、「風除けの御協力、感謝いたします」と言って軽く身を屈め、スイランの黒髪をひと房掬うと、そこへ口付けた。
スイランは驚きに顔を真っ赤にするが、その様子は窓越しに多くの人間に目撃されたことを、スイランだけが気が付かなかった。
その後スイランが帰途に就く際、「フォルセリア卿は面倒な男だ」と愚痴を零したのを聞いたファルハドがニヤリとしたのに、スイランは不審に思って顔を顰めたのだった。
悪い男ユーシス現る。
完全に肉食獣が復活してますね。
既成事実(捏造)を作られて、どんどん逃げ場がなくなるスイラン。
次回、ユーシス編ラストです。
犯罪予告しときます!