1 騎士の苦悩
お待たせしました。
ポイント交換外伝第1弾、ユーシス編です。
全4話を一気に投稿します。
この世界「エルセ」を蝕む瘴気の根源が、異世界から来た一人の女性、波瑠と、それを導いたエルセ最高の魔術師であるレンダール国王子のオーレリアンによって救われてから一年。その命を賭した魔術師は、未だ目覚めぬ眠りに就いていた。
他国には秘匿されているが、レンダールの一部の人間だけは知っている。
異世界人の波瑠が奇跡を起こして得た神の秘薬により、命を削って「聖女召喚」を行ったオーレリアンが、もう一度その生を取り戻そうとしているのを。
その人の騎士たろうとして忠誠を捧げたユーシスは、ただオーレリアンの眠りと、その想い人である波瑠の安寧を護ろうとした。
オーレリアンと波瑠が、オーレリアンが眠りに就く前に結ばれたことは、何となく察していた。それは些細な仕草だったが、ユーシスはずっと二人を見つめてきたからこそ、小さな変化にも気付いた。
自分よりも大切なオーレリアンと波瑠の幸せが守りたくて心を押し殺したが、眠るオーレリアンに愛し気に話しかけ、触れる波瑠を見ていると、胸の奥に小さな棘が刺さるような痛みが走る。
いつか、この感覚が消える日はくるのだろうか。
そんなふうに思い、ユーシスは目を瞑る。
波瑠は召喚の当初、聖女召喚の儀に巻き込まれた一般人かと思われていた。
そのため、聖女の力を独占したい神殿側から追放されそうになり、そこから救ったのはユーシス自身だ。
そして、庇護して共に過ごすうちにユーシスは、何事にも懸命で穏やかな波瑠に淡い恋情を抱くようになった。
その感情は日に日に大きくなり、レンダールの、そしてエルセの常識に疎い波瑠に警戒されないよう、少しずつ自分との距離を慣らしていった。
最初はオーレリアンの命令で傍にいたが、この世界で聖女に見捨てられて独りきりの波瑠の、最も近くにいるのが自分ということに、少し仄暗い優越感を持ったことも否定できない。
自分に依存するよう、囲ってしまいたい。
騎士道どころか、人間としても褒められるものではない感情が、時折首を擡げた。
目の前で穏やかに微笑む男の心のうちを知ったら、波瑠はきっと、怯えて遠ざかってしまうだろう。だから、感情を悟られないよう、ユーシスは慎重に距離を近づけていった。
波瑠の傍らは心地いい。自分がそう思っていることを他人も感じていることは、容易に想像ができる。それだけに、できるだけ他の男たちを波瑠に近づけさせたくなかった。
その点で、最上位魔獣たちが守る迷いの森に匿われ、波瑠が世俗から切り離されたことは、ユーシスにとって都合が良かった。
そんな中、主君であるオーレリアンも好意を波瑠に向けていることに気付く。騎士としての命を救われた神殿騎士だったレアリスも、また同じく。
二人はユーシスのような淀む感情ではなく、真っ直ぐな好意だった。
それぞれの想いの質は違っても、外の世界に怯える波瑠を、迷いの森で静かに守ることで、全員の意見は一致していた。
だが彼女は、徐々に表の世界に羽ばたき出した。
きっかけは、オーレリアンとユーシスの立場を慮り、レアリスの身を守るために、王宮に自分の意思を伝えようと迷いの森を出たことだった。
波瑠は、ユーシスたちが思っていたよりもずっと、強靭でしなやかな心を持っていた。
冷酷と名高い第二王子イリアスの心を溶かし、レンダール王家の過去の傷を癒した。国外にあっては、反乱の芽すら摘んで、隣国セリカ皇族の関心を得た。
抵抗すら意味をなさない程の人類の脅威である最上位魔獣の魔物の魂まで安らがせ、国の内患であった、大貴族と神殿の謀反も収めた。
そして、この世界の根幹に触れるほどになり、波瑠は、小さく庇護すべき存在から、世界を護るほどの存在になり、ユーシスの腕の中からすり抜けていってしまった。
その中で波瑠は、一人にだけ違う顔を見せるようになる。
彼女の瞳には、自分たちに向ける信頼とは違った色が浮かんでいた。
そして、それを向けられているオーレリアン本人は、自分が違う扱いを受けていても、「まさか自分が」という思い込みからか、その色に気付かない。
敬愛する主君への罪悪感と波瑠への恋情のはざまで、淀む沼のように凝る感情に、二人が誰を想っているか分かり切っているのに、溢れた想いを抑えきれずに、何度も主君の想い人に触れてしまった。
抑えることによってより凝ったその感情は、思いもかけない形で流れ出した。
北の地で、フェンリルが気分転換にと渋る波瑠を連れ出すのに、都合よく近くにいたユーシスを誘ったものだが、フェンリルと波瑠と三人で夜の湖を訪れることになった時だった。
フェンリルの悪戯で波瑠と一緒に湖に落とされ、必死に自分にしがみつく感触と、普段とは違う波瑠の姿に思わず魅入られてしまった。そのことで、ユーシスの箍が少し外れてしまったのだろう。
健気に主君を想う波瑠の姿に、自分の想いにも気付いてほしいと、ユーシスは何重にも包んだ言葉で伝えた。
だが、違う方向に解釈した波瑠は礼を言い、そのもどかしさに褒美を理由に口の端に口付けた。何かを波瑠の心に残すことが出来たらいいと思ったからだ。
その直後起きた事故で、波瑠が湖で溺れた。それを慌てて助け出すが、水を飲んで意識を失った波瑠を見て、思わず冷静さを欠いてしまっていた。
波瑠の絶対的守護者である魔獣フェンリルが見守る中、命に関わることだからと、仕方がないことだからと、言い訳を積み上げながら、呼吸を取り戻すために重ねた唇を、波瑠が息を吹き返した後も長く離すことができなかった。
そして、小さな体を掻き抱きながら額の血を止めるように口付けるのを、フェンリルはただ見ていた。波瑠を傷付けたり泣かせたりさえしなければ、フェンリルは人間のすることに寛容だったからだ。
『そなたも難儀な人間だな』
フェンリルの声で我に返り、自分に対する嫌悪感で叫びたい衝動に駆られる。視線があることを忘れてしまうほど止められない、自分の浅ましさを思い知らされた。
だが、もしフェンリルがいなければ、波瑠を傷つけるような更なる行為に及んでいたかもしれないと思い、そんな自分を再び激しく嫌悪した。
いつからか、自分が波瑠の存在にどうしようもなく依存していることは、ユーシス自身にも分かっていたのだ。
騎士として清廉でありたいのに、波瑠を前にすると自分が獣になったような気がする。
ただ、自分の浅ましさと向き合ったことで、澱のように淀んだ部分が抉られて血を流し、自分の感情から膿が出たように思えた。
フェンリルに礼と謝罪を伝えると、『そなたは、ハルを傷付けぬと信じている』と返ってきた。伝説にも等しい最上位魔獣の信頼は、ユーシスの心を定めさせた。
そこからは、無心に目の前にある、瘴気を殲滅するという目的だけを見つめた。
時々、心の蓋から、想いが漏れ出てしまいそうな時はあったけれど。
そうする中で、自分の身が呪いに侵された。
死を目前にした時、様々なものが胸に去来し、自分が死んでも波瑠の心の中に少しでも自分の居場所があるのかを知りたくなった。
こんな酷い人間を波瑠は泣きながら大切と言ってくれて、それに歓喜する矮小な自分をそれでも波瑠は救ってくれると言う。
ユーシスの中で、仄暗い感情が浄化されていくようだった。
そして初めて、自分の想いを言葉にして告げた。
波瑠は、ユーシスの想いを受け入れて、そして離れた。波瑠なら、そうしてくれると思ったから。
その後、波瑠は自分が言った「絶対に死なせない」という言葉を実行し、ユーシスの命は救われ、その想いは敬愛へと徐々に姿を変えていった。
それは、醜い執着との心地よい決別だった。
それからも、軽やかに自分の想いに決着をつけられるファルハドに嫉妬したり、自分の重い感情に揺らいだりしながらも、大切な存在を支える意義を見つけてからは、自分を壊しそうなほどの激情は、痛みを残しつつ徐々に昇華されていった。
エピローグを除く本編のユーシスの心情をまとめたものです。
完全に犯罪者です。
ユーシスに夢を見ていた方がいらっしゃったら申し訳ない。
第2話からは、新しいお話に入っていきます。