006 薬術師
「魔物の群れだと!?」
ベアトリアさんの大声で我に返る。
降ってわいた突飛な話に、俺の脳も停止していたらしい。
「どっちだ!」
「南です!」
「数は!?」
「わかりません! まだ遠くに大きな砂煙が見えるだけですが相当な大群だと思います! でも、偵察の魔物はもうこの近くまで……」
「くっ、北へ向かっていると言うことは……王都が目的か」
「ど、どうしましょう」
「逃げるしかあるまい」
美人女騎士ベアトリアさんと美少女冒険者シェリンさんの切羽詰まったやり取りが、なんだか霞んで聞こえるような感じだ。
俺の気が遠くなりかけているのかもしれない。
「ともかく、速やかに斥候を排除する。そして荷物を纏め、魔物の進行方向を見極めたのちに撤退しよう」
「はい、わかりました」
「ナタローはどうする?」
「へ?」
いきなり話を振られ、間抜けな返事を返してしまった。
どうすると言われても……
「武具があるなら武装してくれ。見たところ貴殿は良い身体つきをしている。武術の心得があると見た。出来れば援護を頼みたいのだが」
「あ、えーと」
武具は確かにある。
俺が発注した大量の武器防具が。
武術の心得も、多少だがある。
とは言え、それはあくまでも通信空手だ。対人用の。
知らない世界の見たこともない魔物とやらに通用するとは、とても思えない。
だけど、ここで出来ませんとは言えないよなぁ。
客を強盗や災害から守るのも従業員の務めだ。
「わかりました。俺でよければお手伝いします」
「有り難い。シェリンの話ではすぐそこまで斥候隊が来ているようだ。準備を急いでくれ」
「はい」
言うなり踵を返すベアトリアさんと俺。
彼女は店外へ、俺はバックルームへ。
山と積まれた番重を何段か下ろし、ひと振りの剣を鞘ごと掴む。
やたらと軽いが、まさか竹光ではあるまいな。
店外へ向かいながらスラリと抜けば、刀身がギラリと蛍光灯の光を跳ね返す。
紛れもない真剣だ。
剣など触るのも初めてだが、不思議と心強く感じる。
武器とはそう言うものなのだろう。
番重には分解された鎧もあったが、装着の仕方はわからないし、そんな時間もないので諦めた。
「ハァッ!」
「やあぁ!」
外へ出ると、既に戦闘は始まっていた。
ベアトリアさんとシェリンさんが、緑色の小さな魔物に斬りかかっている。
そいつは一応、人のような形をしていて、粗末な衣服と武具を身に付けた奇妙な生物だった。
なんだありゃ?
あれが魔物ってやつか?
『はい。こちらではゴブリンと呼ばれる、妖精に属す魔物です』
あれが妖精……? って、うわ!
アドナイに思考を読まれた!?
『はい。ナタロー様とのニューロリンクを確立いたしました』
ええ!?
なに勝手なことしてくれてんの!?
『インプラント型ではありませんし、非常時以外は回線を切断しますのでご安心を。それに表立った会話は現地人に訝しまれると推察いたします』
むう。
それもそうか。
で、ゴブリンは強いのか?
見たところ、ベアトリアさんもシェリンさんも奮戦してるけど。
『個体としてならば、それほど恐れることはありません。ただし、群れで行動する習性を持ちます』
俺でも勝てるかな?
『無論です』
何とも力強いお言葉なこって。
全く安心できんわ。
でも、手伝うと言った以上、ビビってるわけにもいかんでしょうよ。
覚悟を決めて……行くぞ!
「うおおおお!」
シェリンさんに棍棒で殴りかかろうとしていたゴブリン目掛けて剣を振るう。
だが、『ギゲッ』と嘲笑いながらそいつは避けた。
意外に素早い。
そして戦い慣れてる。
それを実証するように、ゴブリンの棍棒は俺の脛へ命中した。
「痛ってぇ! ……くもない?」
確かに衝撃はあった。
脛に棍棒なんて、普通なら悶絶モノだ。
だが、思ったよりも痛みはない。
まるで段ボールを丸めた棒で叩かれたように。
何だ?
もしかしてこいつら、あんまり力が無い?
それとも、棍棒が腐ってたとか?
邪悪な笑みに歪んでいたゴブリンの顔が怒りへと変わる。
本当に妖精族なのかと疑いたくなるほど醜い。
棍棒を投げ捨て、腰のナイフを抜くゴブリン。
その黄色い瞳が殺意に燃えた刹那、俺は思い切り剣を横薙ぎに振るった。
コロン。
意外と軽い音を立てて転がる緑色の首。
遅れて褐色の血液を噴き出す胴体。
驚愕の目で俺を見るベアトリアさんとシェリンさん。
これは完全なマグレだ。
ゴブリンの殺気にあてられ、咄嗟に剣が出ただけだ。
はっきり言って、超ビビった。
本気の殺意なんて向けられたことがないのだから、それも当然か。
やばい。
今になって膝が笑いそうだ。
『お見事です』
脳内に響くアドナイの声に反応する余裕はなかった。
なぜなら──
「キャアアア!」
シェリンさんの絶叫が間近に聞こえたからだ。
頭で考えたわけじゃない。
でも身体は反応した。
「ナタローさん!?」
シェリンさんの悲鳴。
あれ? 名前を教えたっけ? と、場違いな疑問。
「ギゲゲッ!」
眼前には愉悦に黄色い目を輝かせるゴブリン。
そして、俺の腹から生えた、ナイフの柄。
全身に突っ走る痛み。
そう、ゴブリンのナイフが、深々と……深々と……ん?
またしても思ったより痛くない。
なんで?
「ハァアア!」
「ギィイイイ!」
目の前のゴブリンはベアトリアさんの剣によって頭から真っ二つにされて絶命した。
うわっ、グロッ。
「大丈夫ですかナタローさん!」
「あ、ああ、平気みたいです。シェリンさん」
駆け寄るシェリンさんに笑顔で答える。
なのに彼女は泣きそうだった。
「そんなはずありません! 思いっきり刺されたじゃないですか! 私なんかを庇うから……っ!」
そう言って、腰のポーチから何やら乾燥した葉っぱのようなものを取り出すシェリンさん。
薬草か何かだろうか。
「いやいや、本当ですって。ほら」
俺は白い制服とシャツを捲って腹を見せた。
多少の血は滲んでいるが、深々と、では全くなかった。
若い頃の俺は腹筋を鍛えていたもんなぁ。
って、なんか違う気もするが。
それよりも気になったのは、シェリンさんの発言だな。
こんなに可愛いくて意思も結構強そうなのに、自己肯定感が低いのかねぇ。
「あ、あれ……? でも、怪我はしてますから、治療させてください」
「はい。お願いします」
唾でも付けとけば治るような傷だが、彼女の気持ちを無下にすることはない。
それに、この世界の治療とやらも気になる。
あんな乾燥葉っぱでどうするつもりなのだろうか。
「大地の恵みよ、再び花開き……」
おおっ。
シェリンさんの呪文と呼応するかのように何かの力が集まって葉っぱが瑞々しくなったぞ。
しかもその葉っぱが緑色に光って……すごい、俺の傷がみるみる消えていく……
『どうやら冒険者シェリンは薬術師のようです』
むっ?
知っているのかアドナイ。
『はい。植物等に含まれる薬効を魔術によって引き上げる術師のことです。植物への深い造詣と繊細な魔力操作が必要な、この世界では希少と言える職業です』
へぇ。
すごいんだな、彼女。
真剣な眼差しを俺の傷口へ向けるシェリンの顔を見つめた。
とても柔らかそうな茶髪。
美少女と言うに相応しい面立ち。
俺を本気で心配するその表情。
あれ……?
この子、もしかして俺のことを……
いかんいかん!
勘違いしてはいかん。
昔、思い切り恥ずかしい目にあったじゃないか。
那太郎よ。これ以上、黒歴史を増やす気か?
『ナタロウ様。私もすごいAIです』
ん?
ああ、そうだな。
『店舗の全てを操れますし、なんなら薬だって取り寄せられます』
お、おう。
『私はナタロウ様のためであるなら、どのような苦労も厭いません』
そ、そうか。
アドナイは優秀だもんな。
今後もよろしく頼むよ。
『はい。ありがとうございます』
なんだってんだ急に。
……もしかして、シェリンさんに張り合ってる……?
ははは、まさかな。
「ナタロー! シェリン!」
ビーッビーッ!
ドドドドドド!
ベアトリアさんの鋭い声と、アドナイの発した警告音、そして地鳴りのような地響きは全て同時だった。
まだこの世界に疎い俺でも察する。
魔物の群れが間近に迫っているのだと。
「総数が把握できん。これは思った以上に多そうだ。ナタロー、シェリン。迅速に撤退するぞ!」
「で、でも、どこにですか?」
「くっ、斥候の処理に手間取りすぎたか。最早間に合わん……」
絶望に満ちた面持ちのベアトリアさんとシェリンさんへ、ふとした思い付きを口にしてみる。
「じゃあ、俺の店に籠城するのはどうです?」
『同意し兼ねます』
アドナイによって即座に却下された。
「なんでだよ!」
思わず声に出してしまった俺へ、ギョッとした顔をする二人。
あ、驚かせてごめんなさい。
『ナタロウ様』
なんだよ。
悠長に喋ってる暇なんてないぞ。
『提案がございます』
ん?
どんな?
うわ、やばい!
来た来た!
もうダメだ、逃げるしかない!
『少々負債を負うことになりますが、よろしいでしょうか?』
負債?
負債だろうが贖罪だろうがなんでもしてやるよ!
これを何とか出来るならな!
『承知いたしました。店舗機能のバージョンアップを実行します』