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聖王メルテアへの軌跡  作者: 遠野月
善なるメルテア
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鏡に映るもの

国主の執務室。ストロゼアで最も高き者が座るべき場所。

そこに、岩のような老人が立っていた。



「よく来てくれました」



老人が眉ひとつ動かすことなく言った。

硬い仮面でも付けているのではないかと思うほど、固い表情。

歓迎してくれているのかどうか、メルテアには読み取れない。



「昨夜はよく眠れましたかな」


「え、えっと……その……」


「眠っておった。部屋について早々に。そのせいで夜中に眠れなくなっていたようだが」



ラアトがメルテアの代わりに答える。

メルテアはすぐにラアトの袖を引っ張った。

眠れなくなったのは早く寝たためではない。

とんでもない話をラアトが聞かせてくれたせいだ。


メルテアはラアトの傍へ寄り、ラアトの片耳を引っ張った。

小声で、「変なことを言うとおじいちゃんって呼びますよ」と囁く。

するとラアトが眉をひそめた。両手のひらをメルテアへ向けてくる。



「はは。お二人は仲が良いようです。メルテア様の叔父と聞いていますが」


「叔父のようなものです、国主様」


「そうですか。なんにせよ、支え合っているのでしょう。なによりです」



国主である老人が固い表情をくずし、愉快そうに笑った。

余計なことは聞かないと、暗に言ってくれている気がする。

メルテアはほっとして、国主に深く頭を下げた。

すると国主がメルテアに歩み寄り、頭を下げたメルテアの前で跪いた。



「頭を下げる必要はありません。メルテア様」


「……え?」


「メルテア様は、私が仕えているストロゼアウル家のひとり。私よりも尊いお方なのです」


「え、でも、国主様なのに……」


「国主ではありますが、王ではありません。ストロゼアウル家の相応しきお方が戻られるまで、代理を務めていたのです」



そう言った国主が、メルテアの前で頭を垂れる。

跪いたまま国主の姿を見て、メルテアは心底慌てた。

昨夜につづいて、またしても受け入れがたいことが目前にある。

この老人はストロゼアの頂点に立つ人のはずだ。

小娘に向かって軽々しく跪いていいはずがない。



「や、やめてください。国主様」



メルテアは膝をついて、国主の手を取った。

国主の手は皴だらけであったが、分厚かった。

力に満ちていると、触れただけではっきり分かる。

メルテアは痛感した。目の前の老人が冗談で跪いたわけではないと。


ここからは適当に応えてはならない。メルテアははっきりと悟った。

国主の、岩のような全身がそう語っている。



「……時間をください、国主様」


「それはつまり」


「私はこれまで、小さな町の外れで貧しさと共に暮らす小娘でした。このようなことは夢にも思ったことがありません。国主様の言う、相応しい者ではないと私自身が思っています」


「そのようなことはありません」


「別の人も見つかるかもしれません。私よりもストロゼアウルの血を濃く継いでいる人が。各地でストロゼアウルの血を探し回っている者たちが帰ってくるまで、私に考える時間をいただけませんか」



メルテアは淀みなく言い切り、頭を下げた。

傍にいるラアトのため息が聞こえてくる。

しかしメルテアは後悔していなかった。

いや、後悔しないために考える時間を求めたのだ。


メルテアの言葉を受けた国主が、小さく頷いた。

おそらく最初から、今すぐに答えがもらえると思っていなかったのだろう。



「仰る通りに。メルテア様」



国主が頭を下げる。メルテアも頭を下げ返した。


そうしてメルテアとラアトは、国主の執務室を後にした。

「なにかあればいつでもいらっしゃってください」と国主が言う。

メルテアは国主の言葉に、これでもかというほど深く頭を下げた。

その姿に国主が笑い、ラアトが苦笑いした。


部屋へ戻る途中、初老の男が付いて歩く。

今後のことを話したいらしい。



「ふたつだけお願いがあります」



部屋に着くや、初老の男が恭しく頭を下げた。

今日だけでいったい何度頭を下げられただろう。

こんな小娘に対し、皆どうかしている。

メルテアが困った顔を見せると、初老の男もほんの少し困った顔になった。



「ひとつは、答えが決まるまでストロゼアに留まっていただきたい」


「城の外に出るのは良いのですか?」


「もちろん構いません。しかし最初の数日は少しずつ。城内であっても、長い時間出歩いてはなりません」


「……それは、どうしてです?」


「メルテア様の安全のためでございます」



初老の男が再び恭しく頭をあげた。

その頭を見て、メルテアががくりと項垂れる。

ラアトも初老の男の言動に、なにか感じたようであった。

表情の端に、わずかな苛立ちの色が滲んでいた。



「出歩かれる際は、国主や私と話した内容については他言してはなりませんぞ」


「そんなことしませんよ」


「感謝いたします、メルテア様」



初老の男が再び頭を下げようとする。

メルテアは慌てて男の手を取った。

すると察してくれた初老の男が、視線だけを落として礼としてくれた。

メルテアがほっとして笑うと、初老の男も微笑む。



「それで……もうひとつは?」


「それは、こちらでございます」



初老の男が隣の部屋に案内しはじめる。

隣は衣裳部屋であった。

見たこともない美しいドレスが何十も並んでいる。

奥には侍女らしき女性がいて、メルテアへ深く礼をしてきた。



「こちらをお召しください」


「今からですか?」


「出来れば、今日から。そして、毎日でございます」


「毎日!?」


「左様でございます」



初老の男がにこやかに笑い、奥にいた女性を手招く。

しとりとした美しい女性。年齢はメルテアより二つか三つ上だろうか。

お姉様と呼びたくなる気品を纏っている。



「こちらはメルテア様専属の侍女です」


「シェトレと申します」



シェトレと名乗った女性が静かに頭を下げる。

やはり品のある動き。同性なのに惚れてしまいそうだ。


初老の男がシェトレに後を任せ、退室する。

ラアトも遅れて退室した。

否応なしに、今すぐドレスを着ろという雰囲気になる。

メルテアががくりと肩を落としたが、シェトレの笑顔を見て気を取り直した。


ドレスを着るのは、想像以上に手間であった。

シェトレが手伝ってくれるからいいものの、ひとりで着れる気がしない。

胸部と腹部は恐ろしく締め付けられた。

思わず悲鳴をあげると、シェトレがほんの少し緩めてくれた。



「もう少し楽に着れるものが良いのだけど」


「そのようなものもあります。ですが、最初のうちは最も美しいものを選びましょう」


「怒られる?」


「そのようなことはありませんが、きっと口うるさく言われるでしょう」


「分かったわ。じゃあ、そのうちにね」


「ふふ。ええ、そのうちに」



シェトレが笑う。驚くほどほっとする笑顔だ。

この国に来て初めて、心を許せそうな人に出会えたとメルテアは思った。


それからメルテアの乱雑な髪が丁寧に整えられた。

シェトレが「今夜は洗髪いたしましょう」と言う。

メルテアは少し恥ずかしくなり、頬を赤く染めた。


時をかけて整えてくれた髪は、絹のように滑らかとなった。

洗髪すればさらに綺麗になれるのだろうか。

メルテアはほんの少し、期待してしまう。



「終わりました。メルテア様」



シェトレの透き通った声。

メルテアは顔を上げ、用意されていた大鏡の前に立った。



「……これが、私?」


「とてもお綺麗です」



鏡に映る美しい少女。

メルテアの記憶にある自らの姿の面影はほとんどない。

別人の、絵ではないか。

そう思ったが、動かない少女の傍で、動くシェトレが映っていた。

ここにいるのは間違いなく、自分自身だと理解させられる。


シェトレが、戸惑うメルテアを部屋の外へ連れ出した。

ラアトと、初老の男が待っていた。

メルテアの姿を見た瞬間、初老の男が目を大きく開き、感嘆した。

あまりに褒めてくるので、メルテアは頭の中が真っ白になった。

ラアトはというと、片眉をわずかに上げただけであった。



「本当に毎日着るのですか?」


「お願いいたします。お部屋にいらっしゃる間は、楽なお召し物で構いませんので」


「……それなら、まあ」



なんとか耐えられそうだ。

メルテアは苦い顔をしつつも頷くのだった。

第一章はこれで終わりとなります。


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