善なるメルテア
「メルテア様はもっと上等なものがお似合いになると思います」
初老の男が孫娘をほめちぎるような勢いで言った。
「これでも十分です。これほど良いものを私は着たことがありませんから」
メルテアは頬を赤らめ、俯く。
今はもう、家を出た時に纏っていたみすぼらしい服ではなかった。
街の娘たちが着る服よりも、やや上等なもので身を包んでいる。
メルテアの新しい服は、初老の男が道中買ってくれた。
最初はドレスを勧められたが、もちろん即座に断った。
分不相応と思っただけでない。着心地が悪そうに見えたからである。
「これよりは、もっと良いものを見て、手に得ることとなるでしょう。メルテア様はストロゼアウル家の御令嬢となられたのですから」
初老の男の言葉が高く鳴る。
馬車の旅がはじまってより、何度聞いたことだろう。
メルテアは「御令嬢」とい言葉がどうしても慣れなかった。
想像もできない世界であり、他人事のようにしか思えないからである。
それでも受け入れようと、メルテアは努めた。
隣に座っているザルバラアトの存在が、現実逃避を許さなかった。
メルテアは馬車の外を見て、小さくため息を吐いた。
二日前に高鳴った心は、すっかり静かになっている。
メルテアはそのまま、三度ほどため息を吐いた。
直後、馬車がわずかに揺れた。
進路をかすかにずらしたらしい。
どうしたのだろうと、メルテアは外の様子を窺った。
「……っ、馬車を止めてくれませんか!?」
メルテアは馬車の外に向けていた目を丸くさせ、叫んだ。
その声に驚いた初老の男。首を傾げつつも御者に指示を出した。
間を置いて、嘶く馬が足を止めた。
止まると同時に、メルテアは馬車から飛びだした。
「どうしましたか!?」
「倒れている人がいます」
「え?」
「少し待っていてください!」
メルテアが駆けて向かう先。道の端で蹲っている男がいた。
声をかけると、男がわずかに顔を上げた。
男が表情をひどく歪めている。身体のどこかを痛めているらしい。
傍へ寄ると、男の脚から流れ出ている真っ赤な血が見えた。
「刀傷だな」
後ろから追いかけてきたザルバラアトが言った。
蹲っている男が頷く。
男は旅の途中、強盗に遭ったのだという。
盗む前に脚を斬るのは、取り返そうとする気持ちを折るためだ。
「近くの街か村へ寄り道できませんか?」
メルテアは初老の男に深く頭を下げた。
戸惑う初老の男。当然の感情だ。助ける義理はないのである。
助けるつもりがないからこそ、馬車の御者もこの男を避けたのだ。
この男のように傷付き倒れている者など、どこにでもいる。
しかしメルテアは諦めなかった。何度も頭を下げて懇願した。
そうするうち、ついに初老の男が根負けした。
怪我人の同乗を許し、近くの集落を探すこととなった。
幸い、すぐ近くに村があった。
怪我人を下ろした後、村の医者に請われてメルテアは手当てを手伝った。
「君はいつもこうなのか」
怪我人と別れて、村を発つ直前。
ザルバラアトがメルテアを見て首を傾げた。
「どういうことですか?」
「怪我人など、どこにでもいるであろう」
「目の前にいました」
「目の前にいたら、誰でも助けるのか」
「私が出来るかぎりは」
メルテアははっきりと告げる。
身の一部となっている善行。それを為すことは当然のことなのだ。
教えを守ることで、尊敬する母に一歩ずつ近付けると信じている。
ザルバラアトの目が、不思議そうにメルテアを見ていた。
やがて虚空を見つめて、「そういうことか」と小さく呟く。
「怒っているのです? ラアト」
メルテアはザルバラアトをつついた。
ラアトと呼ぶことにしたのは、馬車の旅がはじまってすぐのことだ。
邪王として知れ渡っている名で呼ぶのは具合が悪いからである。
ラアトというのは、ザルバラアトの幼名であった。「風」を意味している。
現代では比較的普通に使われているので、都合がいい。
つつかれたラアトが、メルテアに視線を戻す。
虚ろを覗く表情のまま。
「怒ってはおらぬ」
「それならいいですけど」
「馬車が待っておる。早く戻るぞ」
ラアトが翻り、馬車へ向かう。
しかしメルテアは動かなかった。ラアトの背が、少し遠く感じたからだ。
「……ラアト。……私、本当にこのまま行っても良いのですか?」
不安を覚えたメルテアは、心に溜まっていた言葉を吐きだした。
ラアトの足が止まる。
静かに振り返ったラアトの表情は、もう虚ろではなかった。
どことなく、優し気にも見える。
「何度も言うが、問題ない。悪いことにはならぬ。万が一のことがあっても、余が傍におる」
「……それも心配なのですけど」
「なぜか」
「……だって」
生きる世界が違うという理由だけではない。
ストロゼアは、邪王ザルバラアトを打ち倒したことで生まれた国だ。
つまりラアトにとってストロゼアは敵国である。
とすれば、ラアトと共にいるメルテアにとってはどうか。
少なくとも手放しで安心できる味方の国ではない。
メルテアは唇を強く結んだ。
魔法のようなことばかり信じるわけにはいかない、と。
万が一のことがあれば、怪我ではすまない。
先ほど助けた男よりもひどい目に遭う可能性すらある。
なにひとつ覚悟せず進むわけにはいかない。
「メルテアが心配していることは起こらぬ」
そう言ったラアトが、メルテアの持つ小さな袋を指差した。
袋の中には、メルテアの数少ない私物。
そして、壊れたあの木箱が入っていた。
箱と、ラアトにかけられていた呪いを指しているのか。
それとも呪いから解かれた力を指しているのか。
どちらにしても、ラアトは何らかの確信を持って答えているようであった。