最下段の貴族たち
最下段の挨拶に向かう時間になると、メルテアのもとにグムヴァレが寄ってきた。
メルテアは果実のジュースをほんの少し飲み、肩の力を抜く。
テアネのことを思い出して、さらに力を抜く。
必要以上に疲れたり緊張すれば、また誰かに気を遣わせ、テアネの二の舞になりかねないからだ。
「もう平気です、グムヴァレ様」
「畏まりました」
短く答えたグムヴァレが、素早くエルダのもとへ行く。
エルダが一度メルテアのほうを見て、心配そうな表情をした。
メルテアは問題ないことを身振りで伝え、ゆっくりと立ち上がる。
それを合図に、エルダとテンドラ、オウラも立ち上がった。
メルテアはエルダの傍へ寄ると、決められていた通りの時間で挨拶したいと伝えた。
予想通り、エルダが眉根を寄せて反対する。
しかしメルテアは曲げず、再三エルダに頭を下げた。
とうとうエルダは折れ、「顔色が悪くなったら中断する」という条件を付けてメルテアに従った。
大広間の最下段へ降りていく間、二段目にいた数人の貴族が、メルテアに声をかけてきた。
その行為は規則通りでなかった。最下段の貴族たちに与えられた時間だからである。
護衛騎士たちが退けようと立ち回ったが、メルテアはそうしないよう騎士たちに伝えた。
「最下段の貴族の時間を延長しますから、退けようとしないでください」
メルテアはそう言い、声をかけてきた貴族たちに返礼した。
野心を抱いた目をした貴族には一言返礼した。
心配そうにしてくれる貴族や婦人たちには、その手を取って感謝を伝えた。
メルテアには、人の内心を読み取る自信があった。貧しい生活を長くおくってきたからである。
人間というものは外見を重視するものだ。
貧しいメルテアの姿を好ましく思う者は、これまでほとんどいなかった。
しかし心配してくれる者もいた。
メルテアのことを知らない者もいたが、メルテアの善行に返礼するために近付いてくれるものが確かにいた。
「ありがとう存じます」
一人の婦人の手を取り、メルテアは微笑む。
似ているわけではなかったが、かつてメルテアに寄り添ってくれた村の人々の姿が重なって見えた。
そう見えるだけで、メルテアは懐かしいような、ありがたいような気持ちになって、目頭を熱くさせた。
貴族の中にも、こうしてメルテアの本当の姿を見ようとしてくれる者もいる。
長く善行をつづけてこれたのは、こうした想いに支えられてきたのだと実感した。
二段目の貴族たちに返礼し終えると、メルテアたちは最下段へ降りていった。
そこにいた貴族たちの姿を見て、メルテアは少し驚いた。
遠目には分からなかったが、なんとか着飾っただけの普通の人々も混ざっていたからである。
声をかけてくる者の言葉遣いもやや砕けていた。
メルテアは一瞬にして、ここが晩餐会の会場なのかどうか分からなくなった。
「ああ、姫様! ご機嫌麗しゅう!」
「さあ、こちらへ! こちらへ!」
顔をほころばせて笑う貴族たちが、メルテアを手招きする。
メルテアは途端に緊張が解け、招かれるがままに向かおうとした。
しかし、やはりと。
すぐさまエルダがメルテアを制止してきた。
多くの貴族たちが見ている中なのだ。互いに品を保たねばならないということだろう。
エルダの手によってメルテアは我に返り、息をついてから貴族たちへ一礼した。
最下段の貴族たちはわずかに寂しそうな表情をしたものの、メルテアに向けて恭しく礼をした。
「では姫様。こちらの席へ。我らのほうから順に参りますゆえ」
「ありがとう存じます。お言葉に甘えます」
用意された椅子にメルテアは腰かける。
その椅子は晩餐会のために用意されたものではなかった。
ゆったりとして座り心地がよく、柔らかな毛皮のおかげで腰が冷えることもない。
メルテアの疲労を事前に案じて、入念に考えたうえでのもてなしだとメルテアは察した。
貴族たちの挨拶は、それぞれ非常に短かった。
それもまたメルテアの疲労を案じてのことであるらしかった。
「お会いできて光栄です、姫様。姫様のもと、ガルアがますます繁栄しますように」
「私もそう祈ります。あなたは南方出身でしょうか?」
「その通りです。南部訛りをご存じで?」
「ええ。知り合いがいました。もうずいぶん会っていませんが」
「そうでしたか。御無事であればいいですが」
南部訛りの男が、表情を暗くさせる。
ストロゼアの南方はネロブロムシア家によって併合された地域だ。
とはいえ未だに内乱が起こっている。
多くの文化を抱えているがゆえに、法がなかなか整備されていないからだ。
南方を行き来している者と連絡がつかなくなった時点で、訃報同然と皆が察している。
「あなたも気を付けて」
「ええ。感謝します、姫様」
南部訛りの男が、次の者に挨拶の時間を譲って去っていく。
最下段の貴族たちの半数以上は、南方領土の貴族であった。
そのうちの半数が軍人で、顔にまで傷がある者が多かった。
そう言えばオウラも傷があったなと、メルテアはオウラに視線を向ける。
オウラはメルテアの視線に気付いていたようであったが、あえて目を合わせてはこなかった。




