務め
控室に繋がる回廊に出てすぐ、メルテアは長く息を吐きだした。
堅苦しい世界からようやく抜け出せたからだ。
正直なところ、粗相した使用人に救われたとまで思っている。
「ユーファ。どの控室に行けばいい?」
「案内します、殿下」
「こっちですよ、殿下!」
「リリナ。殿下は疲れているのですから、静かに」
ようやく出番だと張り切るリリナを、ユーファが窘める。
リリナがはっとした表情でメルテアを見て、「申し訳ありません」と頭を下げた。
その小さな頭を、メルテアはそっと撫でる。妹がいれば、きっとこういう感じなのだろう。
二人が案内した先の控室に入る。
メルテアは崩れ落ちるようにして椅子に座った。
笑顔の形でカチカチに固めていた顔も、だらりと緩める。
今ではもう、このように気の抜けた姿を見せられるのは侍女たちだけだ。
メルテアは少し休んだ後、新しいドレスに着替えた。
ユーファとリリナだけでなく、他の使用人も呼んだため、ドレスを着るための時間は短く済んだ。
「ただいま戻りました、殿下」
ドレスを着替えてすぐ、シェトレが控室に入ってきた。
不機嫌そうなラアトもシェトレの後ろに付いて入ってくる。
どうしたのだろうとメルテアは首を傾げたが、理由はすぐに分かった。
粗相した使用人を連れてきたからだ。
粗相した使用人は、メルテアの姿を見るや震えあがった。
顔面蒼白とはこういうことを言うのだろうと、メルテアは使用人の顔を見て小さく息をつく。
「お、お詫びの申し上げようもございません……!」
使用人が震えながら跪いた。
声も可哀そうなほどに震えている。
「こちらへ来てください」
「は……はい……!」
「あなたの名は?」
「……テアネ、と、申します」
テアネと名乗った使用人が、メルテアの前で再び跪いた。
メルテアは内心戸惑う。これほどまでに恐がられるとは思っていなかったからだ。
もしかするとすでにラアトとシェトレによって叱られたり脅されたりしているのかもしれない。
「テアネ。私はあなたを叱りはしないわ。もう十分に罰を受けたもの」
「で、ですが」
「必要な叱責は、シェトレとラアトがしてくれたでしょう?」
「……は、はい」
「ではその教えを胸に、また励んでください」
そう言ってメルテアは、テアネの肩をとんと叩いた。
直後、テアネが泣き崩れた。
張りつめていた緊張の糸が切れたためか。
それともメルテアの言葉が予想外で混乱したからか。
どちらにせよ、テアネが泣き止むまでしばらくの時がかかった。
泣いているテアネの傍に腰を下ろすメルテアを、ラアトが見ていた。
ラアトの目は、やはり不服そうであった。
咎めるべき時に優しくすることなどあってはならないと、目だけで語っている。
「あり得ぬことだ」
テアネを去らせたあと、ラアトが声を上げた。
あまりに大きな声であったため、リリナが身体をびくりと震わせた。
「厳しくせねば、同じ失敗をするに決まっておる」
「ラアトとシェトレが厳しく言ったのに、私が言う意味なんてないです」
「人の上に立つ者の務めを蔑ろにしてはならぬ」
「それならラアト。私の務めを果たします。人に厳しくするだけではダメだと、あなたに言います」
「……なに?」
「テアネは多くの人の前で恥をかきました。叱責も受けました。私に謝罪もしました。それ以上のことをテアネに望むことは私が許しません」
語気を強めて言うと、ラアトがぐっと唇を結んだ。
その後、ラアトが反論してくることはなかった。不服そうな様子もない。
時折メルテアの姿を見て、なにかを思い出しているような表情を見せた。
もしかすると落ち込ませてしまったのだろうか。
メルテアは心配になった。ラアトに謝ろうと、何度か顔を覗き込む。
すると察したのか、ラアトのほうから「この小心者め」と笑いかけられた。
「メルテアはそれで良い。此度は俺が悪かった。すまぬ」
「ありがとう、ラアト。私を気遣ってくれて」
「良い。……そういう約束であったからな」
「……約束? しましたか?」
「……いや、すまぬ。なんでもない」
ラアトが苦笑いして誤魔化す。
その目はやはり、メルテアの姿を見ながらも、なにか別のものを思い出しているようであった。




