本物
「お疲れさまでございました、殿下」
戴冠式を終えて、自室。
倒れるように椅子へ腰を下ろしたメルテアに、シェトレが声をかけた。
「……もう限界」
「晩餐会まで時間があります。少しお休みください」
「……明日まで寝てしまいたいです」
「そうは参りません。マッサージをいたしますから、それでなんとか」
「分かりましたあ……」
がくりと項垂れる。
すでに戴冠式用のドレスは脱いでいたので、シェトレがすぐにマッサージをはじめてくれた。
メルテアはその心地よさにすぐさま落ちる。
固い椅子でないことをこれほど感謝したことはないと思いながら。
眠りに落ちた先。
メルテアは誰かに声をかけられた。
夢の中であるためか。言葉が分からない。
声をかけた者が男であるか、女であるかすら分からなかった。
メルテアは声をかけた者になにかを答え、頷いた。
瞼の裏に、白い光が揺れている。
自分の髪の光だと気付いたのは、しばらく経ってからであった。
「起きたか」
ラアトの声。
マッサージを終えたらしいシェトレの隣で、ラアトが腕を組んでいた。
「……晩餐会は、もう終わっていたり……?」
「するわけなかろう」
「ですよね……」
メルテアはがくりと項垂れる。行かずに済めばいいのにと、何度も願ったのだが。
戴冠式とは違い、晩餐会ではなにひとつ喋らなくていいというわけにはいかない。
ラアトとシェトレも近くにはいるが、そうそう助け舟を出せはしない。
出来るかぎり、メルテアの力だけで乗り切らなければならないのだ。
「それほど構えずとも、今の君に気安い言葉をかけられる者など、まずおらぬ」
「……どうしてです?」
「容姿だけは人の美しさを超越している。容姿だけはな」
「……言い方ぁ」
「国主とグムヴァレも傍にいるであろう。安心して良い」
そう言ったラアトの手が、メルテアの頭の上に乗った。
分厚い手が、白い髪を優しく撫でていく。
しばらくの間、メルテアはラアトの手の下で甘えていた。
歳相応に扱われる安心感が、今は非常に心地良い。
しかしふと見上げたとき、メルテアは心の内で首を傾げた。
ラアトの目に、寂しさを混ぜたような色が垣間見えたからだ。
――どうしたのだろう?
メルテアは尋ねようと思ったが、叶わなかった。
「晩餐会のための支度をお願いします」と、部屋の外にいた者が伝えに来たために。
メルテアは再びドレスで着飾った。
支度を手伝ってくれた侍女は、シェトレ以外に二人。
どちらもメルテア専属の新しい侍女である。
ひとりは、ユーファという名であった。
シェトレより背が高く、やや無表情。しかし忠義に厚いということで推薦された。
もうひとりは、リリナという少女。
メルテアよりも幼く、年齢は十四だという。
「ユーファとリリナも一緒に来てくれるの?」
「私たちは外で控えております。ご用があればすぐに参りますので」
「そう……残念だわ」
「あとで晩餐会のお話を聞かせてください、殿下!」
「そうね、リリナ。お話ができるよう、気をしっかり持っておくわ」
活発なリリナの頭を撫で、メルテアは気を引き締める。
これまで徹底的に仕込まれた、食事の作法。
もはやこの日のために学んだといっても過言ではなくなった。
もちろん明日以降も王女としての生活はつづくが、今日以上の緊張感はきっとないだろう。
支度を整え、シェトレら侍女とともに部屋を出る。
ラアトが外で待っていた。
メルテアよりも控えめの格好であるのに、やはりラアトのほうが王族らしく見える。
立場が逆であればどれほど良かっただろうと、これからも定期的に思わされるに違いない。
「やはり容姿だけは良いな」
「それはもう。本物には敵いませんが」
メルテアは苦笑いする。
ラアトの正体を知らないシェトレたちは首を傾げ、「殿下は間違いなく本物です」と口を揃えて言った。




