変貌
「さあ、殿下」
シェトレがメルテアの背後へ回った。
メルテアが纏う長いドレスの端を手に取る。
もう一人の侍女も同じようにしてメルテアのドレスの端を持ちあげた。
直後、奥の扉から重々しい音がひびいた。
「参りましょう」
メルテアは頷き、進む。
開かれた扉の先。
百を超える貴族たちが並び、控えていた。
右奥のほうに、国主エルダとグムヴァレがいる。
左奥には、テンドラとゼムの姿が見えた。
貴族たちは微動だにしなかったが、視線だけをメルテアへ向けていた。
野から現れたストロゼアの王女が、どのような者なのか。
噂通りの善人か。
それとも見た目だけの小娘なのか。
メルテアの一挙手一投足を値踏みしているのが見て取れる。
(不思議だな)
多くの視線を受ける中。
メルテアは自らが冷静であることに驚いていた。
震えあがって、歩くことすらできないかもしれないと思っていたのに。
心が澄んでいる。
ラアトの不在によって満ちていた不安が嘘のよう。
一歩進むたび、石の床がカツンと高く鳴る。
音がひびくたび、式場内の空気までも澄んでいった。
歩む先に、パスズ神教の神殿長が立っていた。
メルテアにティアラを与えるのは神殿長である。
戴冠式がはじまる前。メルテアは神殿長のことを勝手に老人と想像していた。
ところが目の前にいる神殿長は想像とまったく違っていた。
どう見ても二十代ほどの若い男が、メルテアを待っていた。
メルテアが一歩近づくたび、神殿長が祈りの言葉を歌う。
神々しくもあるが、奇妙な旋律。
誰かを祝っているようでもあり、呪っているようでもある。
メルテアはその歌を受けながら、神殿長の前で跪いた。
「メルテア=レニ=ストロゼアウル」
頭上から神殿長の声。
メルテアの名が注がれる。
「ストロゼアウルの子に、聖なる祝福を与えん」
再び、声が注がれた。
その声を聞く最中、時がかすかに止まったような感覚を覚えた。
(なんだろう?)
不思議に思ったが、微動だにできない。
戴冠式の最中。大事な瞬間がこのあとに控えているからだ。
メルテアは目を閉じた。
頭をやや下へ傾ける。
神殿長の手が、横に設けられていた台の上へ伸びた。
台の上には白銀のティアラが置かれていた。
神殿長はティアラを取ると、メルテアに向かって二歩、ゆっくりと歩み寄った。
白銀のティアラ。メルテアの頭に戴く。
メルテアは頭の上にわずかな重みを感じた。
しかしその重みを意識した時間は、ほんの一瞬だけであった。
「これは奇跡だろうか!!」
厳かで澄んだ空気を破るように、誰かが叫んだ。
その叫び声を皮切りに、別の者も声をあげた。
それらの声は歓喜のようでもあり、畏怖を孕んでいるようでもあった。
声は次第に大きくなり、ついには式場にいたすべての者が騒ぎだした。
冷静であったメルテアも、さすがに目を開ける。
何事かと、静かに、ゆっくりと顔を上げた。
(どうしたの?)
目の前にいる神殿長の表情が固まっていた。
メルテアを見たまま、まばたきもせずに。
メルテアは不思議に思って、ついに振り返った。
すると後ろでメルテアのドレスを持っていたシェトレも、驚いたような表情で固まっていた。




