後ろ盾
二十一日が過ぎた。
さすがのメルテアも、豪華な部屋に慣れてきていた。
毎日清掃されている居間と寝室。メルテアもまた、出来るかぎりそれらを汚さず乱さず過ごす所作を身に着けた。
要はゆっくりと行動すればいいのだ。それだけで品よく見える。
そろそろメルテアを外に出したいと、初老の男が何度か訪ねてきた。
今のところ、メルテア以外にストロゼアウルの血を継いだ者は見つかっていないらしい。
そのため次に進む準備を整えたいという。
初老の男が三度訪問を重ねた後、メルテアはついにいくつかの決心をした。
そのうえで、改めて国主に会ってもいいと思うようになった。
「その前に、はっきりとしておくべきことがあろう」
初老の男に応えようとしたメルテアを、ラアトが抑えた。
「ストロゼアで力ある貴族はどこだ?」
「後ろ盾を得たいわけですか」
「無論である。メルテアはストロゼアウルの血を受けてるが、ごく最近まで市井の娘であった。それを知ってもなお、メルテアを受け入れ、支える貴族はおるのか」
「抜かりありません。後程お話しするつもりでしたが」
「今、話せ。ここへ来て、メルテアも逃げ出すことなどないからな」
「……畏まりました」
初老の男が頷く。
あの日、メルテアを半ば強引に馬車へ招いたという自覚が初老の男にはあるのだ。
それをラアトに見抜かれたと知り、初老の男が申し訳なさそうした。
やや怖気づいた初老の男は、ストロゼアの有力な三つの貴族をひとつひとつ丁寧に説明してくれた。
第一は、ラズフロスカル家。
海に面した東方領土を有している。交易に力を入れているためもっとも財力がある貴族だ。
第二は、ハイマーラント家。
北方と西方の領土を有している。ストロゼアの軍を統括しており、内外ともに強い発言力がある。初老の男はグムヴァレ=ハイマーラントという名で、ハイマーラント家のひとりであった。
第三は、ネロブロムシア家。
五十年ほど前に併合された南方領土を有している。多くの文化を内包していて、有能な人材を数多く輩出しているという。
「それらとは別に、パスズ神教もあります。貴族ではありませんが、ストロゼアはパスズ神教を蔑ろには出来ません。第四の勢力ともいえるでしょう」
そこまで初老の男グムヴァレが話すと、ラアトの表情が険しくなった。
怒っているわけではなく、なにかを思い出すようにして虚空を睨んでいる。
見かねたメルテアは、ラアトに「どうかしましたか?」と声をかけた。
するとラアトの表情が元に戻り、なにかを飲み込むようにしてから「なんでもない」と虚しそうに答えた。
メルテアはラアトが気になった。
自らの国を滅ぼしたストロゼアに居ることは、やはり辛いだろう。
強い葛藤を抱え、メルテアの傍にいるのかもしれない。
しかし今それを尋ねるわけにもいかず、メルテアは苦い顔をする他なかった。
「後ろ盾のことですが」
グムヴァレが言葉をつづけた。
メルテアとラアトは、グムヴァレへ視線を向けなおす。
「我ら、ハイマーラント家がメルテア様をお支えいたします」
「ハイマーラント家の主は、どなたなのですか?」
「現国主の、エルダ=ハイマーラントです」
「国主様が!?」
メルテアは国主の顔を思い出す。
たしかにあの岩のような老人は、軍人然としていた。
ハイマーラント家がストロゼアの軍を束ねているのなら、納得の貫禄である。
「メルテアにを支持しない勢力はあるか」
ラアトが静かな声で尋ねた。
先ほどまでの虚ろな表情はもうない。
「現在、ラズフロスカル家は我らハイマーラントと近い関係にあります。現国主エルダを支えているのもラズフロスカル家であります」
「ネロブロムシアはどうか?」
「彼らは今のところ、ストロゼア全体の政権などに手が回らない状況です。多くの異文化を抱える南方領土を治めていますから。もしそれがなくとも、メルテア様を支持するでしょう」
ネロブロムシア家は元々市井の出であるという。
メルテアの出自にとやかく言えるはずがないとグムヴァレが言った。
それはそうかなと、メルテアは納得した。
むしろ他のふたつの貴族たちより仲良くなれる気がする。
第四の勢力であるパスズ神教は、完全に中立であるらしかった。
大きな政策には口を出すが、邪魔することはこれまで無かったという。
「他に気になることはありませんか?」
「特にはない。だが、メルテアが公に王女となる前に、ラズフロスカル家の当主と会う機会はあろうな?」
「もちろんでございます。実のところ、二日前よりこのストロゼアの王城に滞在していただいております」
「なるほど。それゆえ急かしてきたわけか」
「はは。はっきり申されますな。もはや隠し立ていたしません。左様にございます」
「ならば良い」
ようやく納得したのか、ラアトがメルテアの後ろへ控えた。
やはり王様なのだなと、メルテアはラアトの言動に感心した。
これではどちらがストロゼアに迎えられる立場なのか分からない。
しかしラアトがここまで物事を確認するのは、すべてメルテアのためなのだ。
「悪いようにはならない」と言った責任を果たそうとしているのだろう。
(だけど、どうして?)
ラアトの言葉通りであるなら、ひとつ目の呪いが解けたことで領土と財宝がメルテアに与えられるはずである。
あれこれとお膳立てしなくても、いずれは魔法のような力で決められた道が整えられるのではないか。メルテアはここへ来るまで、なんとなくそう思っていた。
しかしラアトの言動を見るかぎり、そう簡単なことではないらしい。
首を傾げるメルテア。
その背を、誰かがとんと叩いた。
「しっかりせよ」
ラアトの声。
どうしたのかと思った瞬間、グムヴァレの顔がメルテアの目の前まで迫っていることに気付いた。
「あ、わっ、と、すみません」
「いえ。もしや体調が優れませんか?」
「考えごとをしていただけです」
「熟考されることは良いことです。それで、メルテア様。ラズフロスカル家の主に会われますかな?」
「構いません。会う部屋を整えてください」
「畏まりました」
グムヴァレがほっとした表情で頭を下げる。
やっと話が進んだと思ったのか。肩の荷が下りたと安堵したのか。
どちらにしても、これまで見た中で最も気の抜けた表情をしていた。
思わずメルテアが笑うと、グムヴァレが「あっ、これは失礼」と恥ずかしそうにして、再び頭を下げた。
グムヴァレが退室し、ラズフロスカルの主と会うまでの間。
メルテアはシェトレが選んだ最も品の良いドレスを着た。
それは華やかに過ぎず、白を基調としたものであった。
着替え終わったあとにラアトがメルテアを見て、「ほう」と短く唸った。とりあえず、良くは見えるらしい。
「ラズフロスカルの主とは、メルテアが話すのだ。俺は口を出さぬ」
「どうして?」
「俺が出しゃばると、俺も、メルテアも悪く目立つ」
「……私にできるかしら。ラズフロスカル家に気に入られないといけないのでしょう?」
「無用な心配だ。余計なことを言う必要はない。むしろほとんど喋らなくても良い。この二十日間してきたように、外面だけ美しくしておれ」
「……言い方ぁ」
「はは。そうだな。ともかく安心していて良い」
ラアトの笑顔に、メルテアはほっとする。
しばらくして、グムヴァレの使用人がメルテアの部屋へ訪れた。
ラズフロスカル家と会う準備が整ったという。
思いのほか早かったことにメルテアは驚いたが、ラアトに動じている様子はなかった。すでにある程度準備していたのだろうと。
メルテアは気を取り直し、立ち上がる。
手を添えてくれていたシェトレの温もりが、緊張をほんの少し取り除いてくれた。




