We'll Take A Glass Together
令和三年某月末日。
「本日を以て弊社は解散となります。長年の……」
地球規模のパンデミックにより業績悪化の一途を辿った我が勤め先は、赤字が嵩む前に同業種の会社に吸収合併されることになった。
合併っていっても、長ったらしく喋る社長のご子息様名義の会社に吸収されるだけ。同族経営の社長様に於かれましては、何らダメージはない。
社員?
パワハラ・セクハラ、労働基準法違反に低賃金のブラック企業がこの世から駆逐されて万々歳。
「それなりの地位を用意するから、息子の会社にくるんだろう?」
なんて、当たり前に聞くハゲで体臭のきっついオッサンの顔が――。
「無理です、嫌です、謹んでお断りいたします!」
私の脊椎反射な大声の拒絶に、口と目が点のタコっぽくなったから超ウケた。
『マジで? それはウケる~』
スタンドに置いたタブレットから、SNSや掲示板で言うところの「草を生やす」って感じの笑い声が聞こえて、私も「フン」とばかりに鼻を鳴らした。
手には最近かった錫のコップ。物が凄く良くてお値段もそれなりなソレで飲む麦茶はとても美味しい。
麦汁じゃない麦茶、だ。
『じゃあ、あれ? この先は当面ヒマって訳です?』
「そうですね、まだ就活したくないなぁ。出来たら半年ぐらい遊びたい」
『ふぅん。そんじゃあ、前からのお約束のアレできるんじゃないです?」
「ああ、できますよ。ちゃんとプレイヤーも買ったし」
買ったんだ、最期のボーナスでポータブルBlu-ray・DVDプレイヤー。液晶の画面が結構大きくて見やすいし、良音。推しの良すぎる顔が更によく見えるわ、天才かって思うぐらい上手な歌が更によく聞こえるんだ。
『それなら長いお休みの第一歩として、お披露目公演のDVDにしましょうよ』
「そうですね、初のオンライン同時鑑賞会の記念にもなるし」
画面の向こうには、穏やかに笑うロングヘアの女性。
友達なんだけど、実際にあったのなんて2回くらい……いや、3回か。
『っていうか、これ私らが最初に会った演目ですよね。若冲さん』
「そうですね。それまでサイトやらなんやらでやり取りしてたけど、初めてちゃんと会ったんですよね? その時のもかれこれ4年くらいお付き合いしてたのに」
『ですです。私らお互いにウチヨソの交流小説書いてて、キャラ同士が熟年夫婦だったのに』
「あれねぇ。ミュシャさんがメッセに突撃してこなかったら、なかった話でしたよね」
『勇気だしてよかった!』
ころころと画面の向こうの彼女・ミュシャが笑う。
ミュシャっていっても、彼女は日本人。ハンドルネームを好きな画家から取ったそうだ。私の「若冲」っていうハンドルネームだって好きな画家なんだから、私達の感性は似通ってるんだろう。
私と彼女の出会いは、ネットの小説投稿サイト。
そのサイト上で偶に行われる小説家同士が、自分のキャラと他者のキャラとを交流させる小説を書くっていう企画で知り合った。
私が作ったキャラと、彼女の作ったキャラが小説の中で出会い、仲良くなり、時に価値観の違いからぶつかり、それでも違いを認め合い話し合いまた仲良くなる。そのやり取りは当然外の人、つまり小説を書く私達にも影響した。
小説を通じて彼女の価値観を知り、また私の価値観を知ってもらい、共有できる事柄が増え、そしてその交流小説のハッピーエンドを迎えてもなお、私達の交流は終わらなかった。
まあ、終わらせたくなかったから、私は彼女を沼に沈めることにした訳よ。
そう、演劇沼。
最初は慎重に、私の好きな劇団員の公式プロフィール、勿論劇団がSNSに流しても大丈夫なように用意している写真付きプロフィールを、そっと私のSNSで共有して。
「この子が私のキャラのモデルさんなんですよー」と、顔の良いその人をアピールして、その人のどの辺を参考にしているだとか、その人の素敵エピソードとかをさりげなく流していった。
彼女は私のキャラを、私以上に愛してくれているようなところがあったから、その情報に食いついてくれた。
そうなればこっちは沼の住人を生まれた時からやってるようなものなので。
「YouTubeに公式さんがダイジェストを上げてくれてますよー」とか「演劇雑誌でそのモデルさんの特集が組まれるみたいです!」とか、どんどん情報をばら撒いて、ここが素敵、あそこが素晴らしいなんて囁き続けた。呟きを利用して囁くとか、どんな下手くそな冗句かと思うだろ?
でも効くんだ。特に素質のある人には。
劇を見に行けばその感想も呟き、その演目の良さを刷り込み。
そういう地味な努力の結果、半年くらい過ぎたあたりで運命の出来事があった。
なんと、彼女の好きな漫画を原作に劇団が公演を行うというのだ。
幸いにして私もその漫画が好きだったのでチケットを取る事が出来た。この感想は必ず伝えるとも約束した。
そして迎えた観劇日、なんとその日はDVD・Blu-ray収録日だったのだ。
劇はそれはもう素晴らしかった。いう事なしの一時だった。
その興奮覚めやらぬうちに、彼女にどのくらい原作を再現できたかも、どのくらい凄かったかもきちんと伝えた。勿論その日がDVD・Blu-ray収録日であったことも。
それから僅か二日後。
『DVDかBlu-rayを買ったら、若冲さんと同じ舞台を観る事になるんですよね?』
そんなメッセが私の元に届いた。
ええ、コロンビアポーズ決めたよ。もう絶対沼に片足突っ込んだじゃん。これ、私が「そうですよー! 同じ空間で観劇したも同然!」と返せば、沼に背中から突き飛ばしたことになるんじゃないの? これはやるべきじゃない? いま、その時じゃない? いつやるの? 今でしょ!?
結果は私の大勝利。これが沼の住人のやり口なんだ。
劇団にはお金を落とすファンが増え、私には萌えを語れる友が増え、一石二鳥じゃないですかー! やだー!
私は実にいい仕事をした。うん。
画面に映らないようにしつつ、私は頷いて祝杯を挙げる。
飲んでるのは麦茶だから、酔ってはいない。
『それにしても何年働いてたんですっけ?』
「えぇっと、高校出てすぐだから干支一周?」
『よくもまあそんなにブラックに耐えましたね? マゾなんです?』
「人聞きが悪い、私はドSですよ! いや、今思えばそれも洗脳状態だったんじゃないですかね? 『ここで保たない奴が他所にいって通じるわけない』ってよく言われたし」
『ああ、解るぅ。私も言われましたよ~』
「何というブラック企業遭遇率。100%じゃないですか、やだー」
でもそんだけ働いてたら、社会はちっとは優しくしてくれる。次の働き口が見つかるまでは面倒見てくれる制度がある訳だし、しばらくはのらりくらりしてよう。
画面の彼女が労わるように笑って、持っている青い切子を掲げた。
私、知ってる。彼女も飲めない人だから、あの切子に入ってるのは凄く美味しいフレーバーティー。
『では祝杯あげましょうか、若冲さんのブラック企業脱出成功を記念して』
「明日からニートですけども」
『それは一旦忘れてもろて』
「忘れます。はい、忘れました」
プロージット!
これ、たしかドイツ語で「乾杯」だ。
私も彼女もとあるスペースオペラが好きなんだよね。
かろんと錫のタンブラーの中で氷が音を立てる。
私の世界は今日この時からバラ色に染まるのだ。
お読みいただいてありがとうございます。