部屋に戻れなくなった鶴屋さんと過ごす修学旅行の夜
「あいつ等、裏切りやがって……」
そう独りごちる。
高校二年の沖縄修学旅行の夜、ホテルにて『女子グループの部屋に遊びにいってくるわ!』という書置きをおかれ同室の友人、本倉に置いてきぼりにされていた。
恐らく別室の二人の友人も一緒に向かっただろうな。
ふざけんなよ! 待ってろよ俺を! 後から行ける訳無いだろ!!
もし合流して「えっ?河西君なんで来たの?」なんて言われたらトラウマになるだろうがっ!!
何か部屋に1人でいるのが嫌になってこっそりホテルを抜け出し、ホテル前の砂浜に座り込んで夜の海を見つめる。
周囲に人影はなく、遠くの方に人が歩いているのがわかった。
寄せては返す波の音を聞きながらぼけーっと遠くの水平線を見つめていると不意に背後に気配がした。
「河西健吾! こんな時間に何をやっている!」
やばい!? 教師か!
そう思って慌てて立ち上がり振り向きざまに「すいません」と言いながら頭を下げる。
……反応が無い。どうしよう頭を上げていいんだろうかと考えていると頭の上でクスクスと笑う声が漏れ聞こえた。
「河西くん! 冗談だよ、冗談!」
「……なんだ鶴屋さんかぁ、驚かせないでよ~」
ほっとしてしゃがみ込んでしまう俺を見て彼女はごめんごめんと笑う。
鶴屋ナナミ。同じクラスで学級委員長務めている笑顔がとてもよく似合う女子だ。
彼女と俺は、俺が副委員長を務めてる関係でそこそこ仲が良い。
たまに一緒に帰るくらいには良好な関係を築けていると思う。
「鶴屋さんはどうしてここに?」
「河西くんがホテルから出て行くのが見えたからちょっと気になってさ。それで、河西くんはどうして1人砂浜に座ってたの?」
言えねぇ……本倉に置いてかれたから不貞腐れてなんて……。
「言えない事? あ、誰かと待ち合わせとか?」
「いやいやいや、違う違う! ただ、その海が見たくなってさ」
「海が?」
「そうそう。滅多に来れない沖縄の夜の海だもの、見ておきたいなって思ってさ」
「おー、確かにそうだね。よし、じゃあ私もじっくり見ていこう」
そう言うと彼女は俺の隣に座り込み、静かに海を見はじめる。
言った手前、嘘でしたなんて言える筈も無い俺もまた再び遠くの水平線をぼーっと見はじめた。
しばらくの間辺りを静寂が包む。
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「なんかさ。良いよね」
鶴屋さんがふいにそんな言葉を呟き、俺は彼女の方を向いた。
彼女は正面を向いたまま海を見つめている。
いつもはポニーテールにして纏めてある髪は下ろされており、眼鏡を今は掛けていない。
妙に大人びた横顔は、普段の明るい笑顔が似合う彼女とまったく違う印象を感じた。
「お互いに会話が無くても、気まずくならないこの感じってさ……なんかいいよね」
「そうだねぇ」
彼女と一緒にいる時に会話が途切れても気まずいと思った事はない。
それ自体も丸ごと心地良い感じがして好きな時間だった。
「……明日の自由行動の時間って河西くんはどうするの?」
「明日かぁ。班の連中と国際通りで買い物する予定だね、本倉達が予定を変えなければ」
あいつ等、自由行動は女子グループと一緒に回りたいって言ってたからな。
ヘタしたら班行動じゃなくてバラバラになるかもしれん。
先輩から聞いた話じゃ単独行動じゃなければ班で行動しなくても注意されないみたいなんだよな。
「河西くんが良ければ私と一緒に回らない? 学級委員として二人で皆の様子を見て回ろうよ?」
「おお! いいね! こちらこそ鶴屋さんで良ければお願いしたい所だよ!!」
俺を置いてったあいつ等などポイッよポイッ!
いや、むしろありがとうと言いたいね! お蔭で鶴屋さんと回れる事になりました!
「じゃあ、決まり。明日はよろしくね」
「こちらこそ明日はよろしく」
二人して真面目な顔をしてペコリと頭をさげる。顔をあげ目があうとお互いプッと吹き出して笑いあった。
そこから他愛も無い話が続き時間が過ぎていった。
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「そろそろ消灯時間が近くなってきたね」
「あっ、そうだね。そろそろ戻らないとやばいな」
「それじゃ戻ろっか」
鶴屋さんは立ち上がり服についた砂を払う。俺もそれに倣って砂を払い二人でホテルに向かった。
エレベーターホールに向かい二人でエレベーターを待っているとスマホに本倉からメッセージが届いてることに気付く。
『やべえ、女子の階のエレベーター前にコバ先がいて部屋に戻れん。階段の方にもいるっぽい」
ん? なんでだ?? まだ消灯時間には時間があるはずだ。
「どうしたの?」
スマホを見て固まった俺の様子が気になった鶴屋さんにスマホを見せた。
彼女は良いの?という表情をしたが、すぐにスマホ画面の文章を読みあっ!と何かを思い出した。
「そういえば消灯一時間前からは部屋から出ちゃダメなんだった……」
「マジか……消灯時間後だと思ってた」
「私は忘れてた……」
「抜け出してる所見つかると、明日の自由行動は教師と過ごさなきゃならないんだよね?」
「うん……。どうしよう……ずっとここにはいられないし……」
いつまでもここにいたらホテルの人に連絡されるだろうしな。
不安そうな鶴屋さんの為にもここはすぐさま行動だ。
「よし! とりあえず7階に行こうか!」
「7階?」
「5階と6階がウチの学校で貸しきってる階で5階が女子、6階が男子だよね?」
「うん、そうだよ」
「7階に行ってから6階に階段で降りて一時的に俺の部屋に避難しよう」
「階段に先生がいたらどうするの?」
「その時はきちんと先生に謝ろうよ。例え怒られて明日の自由行動が教師と一緒になっても
二人でいれば二人で回ってるようなものじゃん?」
「ふふっ、そうだねっ。それじゃ行こう!」
到着したエレベーターに乗り込むと7階へと向かった。
▼
無事部屋に着いた。
ここまで来るには語るも涙な冒険劇が……あるわけない。
6階の階段には付近にも教師の姿は無かった。
もしかしたら見回りに出ていたのかもしれない、その隙に急いで俺が泊まってる部屋に滑り込んだ。
鶴屋さんは今、キョロキョロ部屋を見渡してる。
いや、ホテルの部屋だしそんな変わらないと思うんだけど。
「こっちが河西くんのベッド?」
「ああ、そうだよ。隣が本倉のベッド、上に荷物とかアイツの制服が乗ってて散らかってるでしょ」
「河西くんの方は整頓してるんだね。あっ、座ってもいいかな?」
「どうぞ」
ぽすんと音を立てて彼女はベッドに座る。隣を軽くぽんぽんと叩かれたので俺も彼女の隣に座った。
「……さっき、カッコ良かったよ」
「うえぇ!?」
か、かっこいい!? 俺が!?
「すぐに行動を示してくれて。私、どうすればいいのかパニくってたんだよね……折角約束したのにダメになりそうでさ。それに『教師と一緒になっても
二人でいれば二人で回ってるようなもの』って言ってくれて嬉しかった。そうだよねって思えて落ち着けたからありがと」
な、なんか照れる!
「あ、あのさ……私!」
彼女が意を決して何か言おうとしたその時、隣の部屋から叫び声が聞こえた。
「えっ!? な、なに!?」
「……もしかして教師の見回り? 部屋に入ったのか?」
「あったね……そのイベント」
忘れてたっ! 昔の生徒が色々やらかした結果、教師が部屋まで一度見にくるんだった!
ホテルからわざわざ予備の鍵を借りて部屋まで見回るんだよな。どうする!?隣の部屋に入ったって事はもうすぐここに来る!!
「どうしよう!?」
「と、とりあえず電気を消して! っとそうだ!ベッドに入って寝てるフリをしよう!」
それぞれベッドで寝てれば鶴屋さんを本倉と勘違いしてすぐに出て行ってくれるはずだ!
俺の提案に頷いた鶴屋さんと共に電気を消して慌ててベッドに潜り込んだ。
……おかしいこんなはずでは。
なんで、なんで俺は今鶴屋さんと同じベッドの毛布に包まれて隠れているんだ……?
俺の予想ではそれぞれのベッドに別れて寝たフリをするはず……?
……!! あいつのベッド散らかってたんだった! そりゃあ鶴屋さんあっちにいかないわ!
『ここが河西と本倉の部屋か。暗いな? 寝ているのか?』
やばい! きたきたきた!?
えっ?
――鶴屋さんに強く抱きしめられた。
「こうしないと毛布の膨らみでバレちゃうから……」
本当に小さな、小さな声でそう耳元で囁かれる。
カーテンを閉め忘れたため星と月の明かりに照らされ毛布を被っているにも関わらず、彼女の顔が眼前にあるのが分かった。
シャンプーと彼女の香りが混じり合い呼吸をする度、脳を揺さぶってくる……。
『こっちが本倉のベッドだな。ということは河西が寝てるのか。本倉は抜け出したか』
先生が何か言ってるようだが頭に内容が入ってこない。
ただただ、こちらを見つめてる彼女の瞳から目が離せなかった。
自分の心臓の音が五月蝿い。
うるさい黙れ静かにしろ。そう思っても周囲の音が掻き消える様な騒がしさを出している。
――だというのに鶴屋さんの小さく呼吸をする音はやけに耳に届いてきて……。
そのうちに彼女の顔が少しずつ、近付いてくるような気がした。
あ……れ……? …………キス……す……る…………?
鼻先が触れそしてついに唇が―――――――
『ん? 何だか毛布の膨らみが大きい気がするな?』
その言葉の意味を頭が理解し急に意識が浮上した。
それは鶴屋さんも同じだったのだろう唇が触れるスレスレで止まった。
『気のせいか?』
気のせいだ! だから、早く行ってくれ!
『めくってみればわかるか』
やばいやばいやばいっ!!この状態でめくられたらマズイ!!
その時、呼び鈴がなった。
『おい、河西開けてくれ』
どうにか女子の部屋から抜け出して戻ってきた本倉だった。余り音が響かない程度にノックを繰り返しドアを開ける事を催促してる。
先生は毛布をめくることをやめ『本倉か』と呟きドアのほうに向かった。
『やっと、開けてくれたな。あぶなかっ……』
『おかえり本倉。さてここじゃ寝てる河西に悪いから先生の部屋に行くぞ。お説教の時間だ』
『へへへっ! ……勘弁してもらえませんか?』
『駄目だ! 来い!』
ドタバタと声と音がしてドアが閉まる。どうやら先生は本倉を連れ立って出て行ったようだ。
「……行った?」
「……多分」
二人してムクリと起き上がり周囲の様子を窺う。
実は出て行ったと見せかけて隠れていました、なんて事になったら大変だ。
そっとベッドから降りると部屋に備え付けのトイレと風呂場も見て周り、完全にいなくなった事を確認し安心してハァーと息を吐いた。
「焦ったぁー」
「ほんと危なかったよね」
「本倉大丈夫かな?」
「……ダメかも。抜け出した人で普段から先生に目をつけられてる人って先生の部屋でそのままお泊りになるから」
「あいつ、目をつけられてるもんなぁ……」
「お調子者だもんね」と笑顔を浮かべる鶴屋さん。
その言葉に同意しようと彼女を見て、先程までの状況を思い出してしまった。
……キスしそうになったよな。
つい彼女の唇を見てしまう。
顔が熱を持ち赤くなってきている事がわかり今、薄暗い部屋であることに感謝した。
顔色を見られてしまったらクソ恥ずかしい。
「河西くん? どうかした?」
「い、いや、なんでもないよ。それより部屋の中まで見回りにきたって事は鶴屋さんの部屋にも先生達が見回ってくるんじゃ?」
「あっ、それなんだけど」
そういって彼女はいつの間にか手にしていた自分のスマホをこちらに向けて画面を見せてくる。
『ななみんドコにいる? こっちは誤魔化しておいたよ』
「ああ、友達が誤魔化してくれてたんだな。 ……ん?」
『河西くんのトコ。 もしかしたら戻らない……かも?』
あれ? これ鶴屋さんの返信だよな? 戻らない……?
スマホの画面から目を離し、彼女に目を向けると彼女はニコリと微笑みベッドの方にトコトコと歩いていく。
「まだまだ部屋に戻れないようだし、夜も長いしさ……お話しよ?」
「お話しするのは吝かではないんですが……どうしてベッドに潜り込んでるんです?」
寝転んで隣をぽんぽんするのやめてもらっていいですかっ!?
「どうしてって、もしかしたら先生が戻ってくるかもしれないしその時は隠れなきゃダメでしょ?
それに話し声でバレるかもしれないけど近くにいたらヒソヒソ声でも大丈夫だし」
そこだと近くにいすぎて俺が大丈夫じゃないんですが!?
「あとね……。確認したいことがあるんだ」
「確認したいこと?」
そう聞くと彼女はコクリと頷く。
確認したいことってなんだ……?
「さっきすっごくドキドキしたんだ。このドキドキが先生に見つかりそうだったからなのか……。
それとも……健吾くんとベッドの中で抱き合ったからなのか、知りたくて」
彼女はベッドの上に座りなおすと、先程夜の砂浜で見た時のような大人びた表情を浮かべ静かに両手を広げた。
「確認しよう?」
――――俺の心臓はこの日、人生最大の爆音を轟かせた。
次の日、自由行動にて。
「あれってななみんと河西くん?」
「仲良さげに手を繋いでるねぇ」
「あの二人いつの間に付き合ってたの?」
「それがねぇ!」
「河西の裏切りものぉぉぉ!」
「本倉! お前はこっちだ!」