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仕返しの始まり

 サクシード侯爵邸へ連行されたセフィーユは、子爵家と侯爵家、同じ貴族でも地位も財産も権力も大きな隔たりがあることを、あらためて知った。


 帰宅してからセフィーユから片時も離れない息子を、隠居していた前当主夫妻がにこにこと見守る中、彼女はその日の内にサクシード侯爵家の親戚筋に当たる伯爵家の養子になり、翌日にはクレインとの婚姻届けが受理されたのである。

 既に準備していたんだと悪戯が成功した子供のように笑うクレインに、セフィーユは只々唖然とするしかない。


「てっきり妾かなんかになると思っていたのに……侯爵家って怖い」


 あれよあれよという間に気がつけば侯爵夫人となっていたセフィーユが、ぽつりと呟く。

 すると新妻の呟きに彼女の腰を抱いたクレインが、彼女の愛らしいミルクティー色の髪へキスを落とした。


「心外だな。私が愛する人を妻として迎えないような不誠実な男だと思っていたの?」

「平民が伯爵令嬢になるなんて聞いたことがなかったので……」

「だから言っただろう? 侯爵家の権力の前には身分なんて関係ないって」

「ソウデスネ」

「約束通り、これからはずっと一緒だ。勿論、妾なんて娶るつもりはないから安心してね」


 晴れやかに笑うクレインに、セフィーユは一体自分の苦悩は何だったのかと頭を抱えそうになりながらも、幸せな気持ちで満たされた。


「さて、ではそろそろ仕返しの仕上げをしようか」


 ミルクティー色の髪を弄びながら黒く笑って囁いたクレインの声は酷く小さく、セフィーユの耳には届かなかった。



 サクシード侯爵が結婚したという噂は国内にあっという間に喧伝された。

 新婦が喪中のため結婚式は来年に持ち越されたが、お披露目のため夜会を催すこととなり、国中の貴族を呼んだ盛大なパーティが開催されることになった。

 開催日は、ちょうどセフィーユが子爵家を出て一月後のことだった。



 夜会当日、クレインの隣に立ち羨望や好奇の眼差しを受けながらも主要な来賓へ何とか卒なく挨拶を終えたセフィーユは、喉を潤したくなり飲み物が置かれているテーブルへ向かった。

 果実水へ手を伸ばそうとすると突然手の甲に痛みが走る。

 一瞬何が起こったのかわからなくて呆然としたセフィーユだったが、自身の足元に転がった扇を見て、自分の手の痛みの意味を悟った。


「セフィーユ! アンタこんなところに隠れていたのね!?」


 扇をぶつけられた手を擦りながら声がした方を振り向くと、そこには真っ赤な顔をしたジュリアが仁王立ちしていた。

 今日の彼女のドレスはいつもより際どい胸元で、何かもう見えてはいけない部分が見えそうな程、胸の肉が布地から溢れていて目のやり場に困る装いである。

 しかもこの夜会の主役兼主催者であるセフィーユに扇を投げつけた彼女に、周囲の者達が呆気に取られて見つめていることに、まるで気付いていなかった。


「お父様! セフィーユがいたわ!」


 セフィーユを指差して、はしたなく大声で父親を呼ぶジュリアに周囲の貴族達が露骨に眉を顰める。

 娘の声にわらわらと集まってきた叔父一家は、セフィーユの姿を見ると口々に怒声を浴びせてきた。


「セフィーユ! この性悪女!」

「くそっ! 子爵家にあんなに借金があるなんて聞いていなかったぞ!」

「お前のせいでうちは借金を負わされたんだ! お前が返せよ! 今ここでその綺麗なドレスを剥いて娼婦として売り飛ばしてやる」


 伸ばされたケイルの手に決別した筈のあの日の苦い記憶が甦り、強張ってしまったセフィーユの身体を優しく引きよせてくれたのは、氷の眼差しをしたクレインだった。


「私の愛する妻に勝手に触れないでいただきたい」


 セフィーユの固くなってしまった身体を擦る、甘く溶かすような手つきとは真逆に発せられたクレインの氷点下の声音に、周囲の貴族が息を飲む気配がしたが、叔父一家だけは捲し立てるのを止めようとしない。


「サクシード侯爵、聞いてください! この性悪女は爵位を譲渡すると言って自分の家の借金を私に肩代わりさせたのです!」

「きっとクレイン様もセフィーユに騙されているのよ! 目を覚まして! 何だったら私が代わりに侯爵夫人になってあげるから!」

「そうね! ジュリア! それがいいわ! セフィーユは鞄に虻を仕込むような意地悪な女で侯爵夫人など務まりませんわ! 借金があるとわかっていれば爵位の譲渡など受けなかったのに、私達は騙されたんです!」


 叔父一家の勝手な言い分にセフィーユは溜息を吐きそうになるのを堪える。

 唾を飛ばす勢いでセフィーユに詰め寄ろうとする叔母とジュリアの露出過多な肌には、よく見れば茶色い染みのような痕があり、虻さん達がいい仕事をしてくれたんだと思わず笑みを浮かべると、クレインが小声で「虻?」と不思議そうに言い眉を寄せた。

 そのクレインの表情を見て何やら自分達の都合がいいように誤解したケイルが、大袈裟に金髪の頭を揺らしながら大声でセフィーユを糾弾した。


「爵位だって父親が亡くなったセフィーユでは子爵家を回せないというから、我が父が良心から引き受けてやったというのに恩知らずな娘なのです! 父は爵位など本当は煩わしかったのですが、田舎者で貴族が何たるかもわからず平民になりたいと言い出した可哀想な姪のために受けてやったというのに、恩を仇で返されたのですよ!」

「へぇ……」


 頷いたクレインに気を良くしたのか、叔父一家がこの機を逃さず一気にセフィーユを追い落とそう口を開くより先に、笑みを浮かべたクレインが叔父に訊ねる。


「そんなにお困りなら爵位を返上したら如何ですか?」

「そ、それは……」


 言い澱んだ叔父に、瞳を泳がせた叔母に、明らかに不服そうな表情を浮かべた兄妹に、セフィーユは噴き出してしまいそうになる。煩わしいなどと言っていたが、やっぱり爵位は手放したくないらしい。

 叔父一家の表情で借金は嫌だが爵位は欲しいということがバレバレになってしまい、周囲の貴族達から失笑が漏れる。

 クレインも嘲りの表情を浮かべながら首を傾げた。


「尤も返上しても借金はなくなりませんけれど」

「な、何!?」

「譲渡する相手がいるか、徳政令でもない限り借金はなくなりませんよ? あんな悪法は早々発布されませんけどね。そもそも借りた金を返すのは当然のことです。貴族が爵位を返上したからといってそれまでの借金をなかったことにすれば、今後貴族へ金を貸す商人はいなくなってしまいますから」

「そう……なのか?」


 知っていて当然のことを知らず辺りを見回した叔父に、呆れた周囲が侮蔑と憐憫の眼差しを向けながら小さく頷く。

 周囲の反応に一瞬だけポカンとした表情を見せた叔父だったが、クレインに抱き寄せられるように立つセフィーユへ指を突きつけると怒鳴り声をあげた。


「しかし借金は元々この女の父親である前ロズベルト子爵がしたものなのだから、返済はその子であるセフィーユが支払うべきだ!」

「書類上セフィーユは貴殿に子爵位も財産も全てを譲渡しており、貴殿もそれに同意したとなっていますから無理ですね。しかも前ロズベルト子爵がした借金は、全て貴殿が負ったものを肩代わりしたと聞いています。それならば貴殿の理屈の通り、子爵家の借金は貴殿が返して然るべきですね。そもそも爵位の譲渡という重要な書類を確認もせずにサインしたわけではありませんよね? ロズベルト子爵」

「……くっ!」


 クレインの言葉に、悔しそうに呻き声をあげる叔父の袖を叔母が引っ張るが、叔父はわなわなと震えるばかりである。


「ただ優雅な暮らしをするのが貴族ではありません。それに伴った責任を負い能力があるからこそ権力と富を持つことが許されているのです。失礼ながら重要な書類の確認さえ怠るような貴殿や貴殿のご家族に、その能力があるとは思えませんね」


 新緑の瞳に蔑みの色をのせて微笑んだクレインに、反論しようとケイルが口を開いた所で、シュッっと風を切る音がした。


「それはともかく、妹君の扇をお返しいたしますね」

「い、いひゃい! ふがが、ふが!」


 いつの間に拾い上げたのか、クレインはセフィーユにぶつけたまま床に落ちていたジュリアの扇を、ケイルの口内に突っ込んでいた。


「私のセフィーユを傷つけた罪は万死に値しますからね。本当は八つ裂きにしても飽き足らない位ですけれど、すぐに殺ってしまったらつまらないですし」


 うすら寒い事を淡々と呟きながらケイルの口内へグリグリと扇を押し込むクレインに、周囲は目を瞠っているが当の本人は意に介した様子もなく、「ああ、それから」と凍えるような笑顔を浮かべた。


「先程から誰の名前を呼び捨てにしている?」

「へ?」


 扇の先端についた羽飾りを喉の奥まで突っ込まれ、吐き気を催したらしいケイルから手を離したクレインは、地を這うような低い声を発する。


「セフィーユは私の妻でサクシード侯爵夫人である。たかが子爵家の人間が侯爵夫人を不遜にも呼び捨てにしていいと思っているのか? それからそこの女、誰が貴様に我が名を呼ぶことを許した? セフィーユへ扇を投げつけたばかりか、自分が侯爵夫人になってやるだと? 不敬もそこまで突き抜けると笑えるな。一体どこからその自信がくるのやら。

 その破廉恥なドレスで異性の気を引くつもりなのだろうが、生憎私には盛りのついたメス豚にしか見えない。ああ、こう言っては豚に失礼か」

「何ですってぇ!?」


 クレインの言い分に周囲の貴族からクスクスと笑う声がして、ジュリアは怒りなのか羞恥なのか全身を震わせると、セフィーユを睨みつけて歪んだ笑みを浮かべた。


「私より田舎者のセフィーユがいいなんて認めないわ! 大体あばずれなのはその女の方よ! クレイン様はその女の淫乱ぶりを知らないだけよ! 本性を聞いたら結婚を取りやめたくなるわ! だってセフィーユはお兄様に夜這」

「衛兵! ここにいるロズベルト子爵家の嫡男ケイルを捕縛しろ! 罪状は婦女暴行と傷害だ!」


 ジュリアの言葉を遮るように発されたクレインの命令に、夜会に参加していたご婦人方から嫌悪の悲鳴が上がり、衛兵がケイルを取り囲む。


「我が領内の若い娘が何人も訴え出てきている。幸い計画性はなく犯行も杜撰なため未遂で済んでいるようだが、領主として見過ごすことはできない」

「お、俺は自分の子爵領の女しか襲っていないぞ! サクシード侯爵領になんて行ってない!」


 焦ったケイルは子爵領での罪を自ら白状したが、侯爵といえども他領は治外法権のため太々しい態度は崩していなかった。どうせ捕まるわけがないと高を括った態度である。

 セフィーユが、自分だけでなく大切な領民にまで手を出そうとしていたのかとギリギリと歯を食いしばると、優しく頬を撫でられる。

 見上げるとクレインがセフィーユの頬を撫でながら、叔父に黒い笑顔を向けていた。


「私は自分の欲望の捌け口のために人を襲うようなケダモノがいる家と、交流を図るつもりはありません。今後我がサクシード侯爵家は、ロズベルト子爵家とは一切取引を行いませんのでそのつもりで」

「そ、そんな!」


 素っ頓狂な声をあげた叔父に、クレインは嘲るように笑う。


「尤も取引を行う材料も持っていないようですが? 奥方も令嬢も布地の面積の割に随分高価なドレスを身に纏っているようですが、領地もないのにどうやって購入されたのか不思議ですね」


 新緑の瞳に影を載せて薄く笑ったクレインの顔は悪魔のように美しかった。


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