消えない過去
あれはまだ父が亡くなる数ヶ月前のことだった。
例によって前触れもなくいきなり一家で押し寄せた叔父たちは、珍しく夕食を早めに切り上げると早々に離れに引き上げていった。
高慢で傍若無人な態度から執事や使用人達に嫌われていた叔父一家は、子爵邸へ宿泊する際は必ず本邸ではなく離れが宛がわれていた。
いつもは去り際にジュリアがヒステリックにセフィーユへ悪態をつき、その隙にケイルや叔母が何かしら調度品をくすねながら離れへ行くのに、この日はそれもなかった。
訝しく思いながらも父が病気だから一応気を遣ったのかと、叔父一家が早々に離れへ行ってくれたことに安心したセフィーユは、自室で就寝しようとベッドで横になっていた。
その時突然ガラスが割れるガシャンっという音がして、何者かが部屋の窓から中へ侵入してきたのだ。
侵入者は、恐怖と混乱で動けないセフィーユへ近づくと、力任せに彼女をベッドへ押し倒す。
圧し掛かられ恐怖に怯えながらも、眼前に迫った侵入者の顔を見たセフィーユは愕然とした。
彼女の瞳に映っていたのは、下卑た笑いを浮かべた従兄のケイルだったのである。
「ったく、お前がさっさと俺と結婚しないのが悪いんだからな!」
そう言って碧眼を情欲にギラつかせた従兄は、抵抗しようともがいたセフィーユの両手を、いとも簡単に片手で拘束する。
恐怖と驚愕で声も出ないセフィーユの顔を覗き込みながら、馬乗りになったケイルが舌なめずりして厭らしく湿った唇の口角を上げた。
「ま、無理やりってのも楽しめそうだから、いいけどよ」
「……い、いや! 助けて! ……イ…様!!!」
セフィーユは驚愕と恐怖で声にならない声で叫んだが、両手両足を抑えつけられ抵抗らしい抵抗ができないまま夜着に手をかけられる。
薄い夜着の布地が裂かれる音が室内に響きセフィーユが絶望で自死を考えた時、勢いよく扉が開く音がして執事と使用人達が部屋へなだれ込んできた。
使用人達は帚やハタキを振り回し、セフィーユの上にいたケイルを散々に叩きつけ窓際まで追いやると、胸元がはだけたセフィーユを毛布でくるんで助け起こす。
「我慢にも限度というものがあるのをご存知でしょうか? お嬢様に手を出すなど言語道断でございます!」
執事のこれ以上ない程怒りを含んだ声に、ケイルは舌打ちをして窓枠から梯子に足をかけた。するとバキバキバキという音とともに「ギャー」という悲鳴が複数木霊する。
慌ててみんなで窓の外を覗くと、壊れた梯子と共に落ちたケイルの下に叔父一家が下敷きになっているのが見えた。
その光景に、叔父は一家で夜這いの様子をデバガメさながら覗き見する気だったことを悟り、セフィーユは憤怒と羞恥と憎悪でどうにかなりそうだった。
「見下げ果てたご一家でございますな。どうしてあのような輩がのうのうと生きているのでしょう。私は旦那様のことはお慕いしておりますが彼らの扱いだけは納得ができません」
階下を覗きながら憎々し気に呟いた執事に、セフィーユは蒼白な顔のまま黙って頷く。
父が病気になり爵位が目の前にぶら下がった叔父は、こともあろうに既成事実を作ろうとセフィーユの部屋へ息子のケイルを夜這いに忍びこませようと画策したらしい。
叔父がケイルに指示し、叔母とジュリアが証人となり一家で夜這いを成功させようと企んでいたことを、使用人の一人がたまたま離れで聞きつけ慌てて執事に相談したためセフィーユの貞操は守られた。
だが、未遂とはいえ夜這いをかけられたなどと噂になれば、貴族令嬢であるセフィーユの縁談は絶望的だ。それにセフィーユが受けた恐怖と恥辱も消えない。
それまでセフィーユは父にお金を無心し傍若無人な振舞いをする叔父一家を嫌ってはいたが、父が言うように身内だから仕方がないと思っていた。
しかし無理やりの夜這いは到底許せるものではなかった。
未遂だろうが、あんな屈辱を味わわされた方は心に深く傷が残るのは必至なのに、そんなことも解らないなんて最早人間ではなくケダモノである。
「ケダモノに屈して自死を考えたなんて悔しい……絶対に許さない……」
まだ震える指先を強く握りこんで、セフィーユはこの時復讐を決意した。
病床の父には何も告げなかった。
ただでさえ病気で苦しむ父に、これ以上心労をかけたくなかったというのもあるが、叔父に甘い父を信用できないという気持ちもあったからだ。
迷いつつも執事にだけ打ち明けると彼は「よく決心されました」と破顔したばかりか、サクシード侯爵家の協力を取り付けてきてくれた。
借金と爵位返上のことを聞いたクレインは、何度もセフィーユに援助の申し出をしてくれたが頑として受け入れない彼女に根負けし、渋々ながらも尽力してくれた。
但しセフィーユは夜這いのことは一切クレインに話さなかった。
クレインとセフィーユは幼い頃から兄妹のように仲が良かった。セフィーユの中でそれがいつしか恋心に変わって、身分の違いから諦めていた矢先のケイルの夜這いだった。
今でも時折思い出すと、あの時の恐怖と屈辱に身体が震えてしまい、こんな自分を情けないと思う。
だが、クレインに話さなかった理由は別である。
幾ら諦めた相手とはいえ、クレインにだけは、好きな人にだけは、ケダモノに素肌を見られた屈辱も未だに消えない恐怖も、知られたくなかったのである。
セフィーユが彼と会わずに隣国へ逃げようとしたのも、叔父達の報復を恐れただけではなく綺麗な自分のままクレインの前から消えたかったのだ。
しかし、どこで漏れたのか、自分の消え去りたい汚点を好きな人が知ってしまった。
その事実に、セフィーユは目の前が真っ暗になった。