恋歌~RENKA~
手に持った携帯電話に表示された時刻は午後2時50分。
「…まだ、逃げられる」
ボソッと私は低く呟く。そう、今ならまだ、逃げられるのだ。
「でも……どうしよう?」
迷いは未だに結論を出していない。
私がいるのは街中にあるカフェ。店の奥の席で、周囲からはあまり眼につかない場所をあえて選んだ。その原因はあと10分で訪れるはず。
「どうしよっかな~」
グダグダするのは本当は好きじゃない。でもこれから来る相手のことを思うと、身も心もズシッと重くなるのだからしょうがない。いや、そもそも迷うぐらいなら、やっぱり最初っから断れば…。
「あの…哀咲、蓮香さん、ですか?」
か細い声で名前を呼ばれ、私はとうとう来るべき人が来てしまったことを知った。
恐る恐る顔を上げると、テレビで良く見る顔に今は大きな帽子とメガネをかけた青年がいる。
「…はい。えっと、『輝羅』のキーボード担当の柊さん?」
「うん、そう。ああ、でもゴメンね。待たせちゃったみたいで」
キレイな顔で苦笑されると、グッサリ胸に刺さるものがっ…!
「いっいえ! 私の通っている高校がここの近くにあったんで、早く来ただけです。気にしないでください」
「ありがとう。それじゃあ行こうか」
「そっそうですね」
私の今の顔、引きつっているだろうな…。
伝票を持とうとした手は、だけど先に彼が取ってしまったので空振りに終わる。
「待たせてしまったお詫びに、ここはボクが」
「でっでも…」
「いいから。それに哀咲さんはまだ学生なんだから。社会人が奢るのは当然だろう?」
「…それならお願いします」
「うん」
…この人、ふんわりした雰囲気を持ちながら、有無を言わせない空気を出す。流石は今人気急上昇中のバンド、『輝羅』のリーダー。見た目で人格を判断しちゃいけないな。
「スタジオはここから歩いて十分ぐらいだよ」
「はあ…」
「今日は先に話した通り、ボク一人だから安心してね」
……そこが一番安心できないんだけど。
彼と私は会うのがはじめて。関係性を問われれば…作詞家と作曲家。私は作詞をし、彼は作曲をする。だけどやり取りはパソコンを使ったメールだけ。
こういう奇妙な関係がはじまったのは、思い起こすこと1年前。彼のバンド・『輝羅』が作曲した曲をHPで流し、それに合った作詞を外部から募集していた。
そして元々文芸関係が得意だった私は、それに応募してしまったのだ。そして結果は採用。そしてお礼を貰って、終わり―とはならなかった。作曲担当の彼に、作詞としての才能を惚れ込まれ、その後も作詞家として活動してしまった。
だけど私はまだ高校3年生。ゆえに作詞家としての活動は極秘とし、覆面作詞家として動いていた。
彼が作った曲に、私が歌詞を書く。―その関係はとても良いものだったのに。
数週間前、彼から実際に会ってみないか?と誘いのメールが来た。
けれど私は元々冷めた性格をしていて、あまり人と関わることが好きじゃなかった。だから断り続けていたんだけど…彼の熱意に負け、一度だけという条件付きで会うことにした。
都心のとあるビルの地下に、『輝羅』の活動場所であるスタジオがあった。よくテレビで見る収録スタジオや、応接室やキッチンまである。階を全て使った『輝羅』専用の仕事場に来れるなんて、友達に言ったら絶叫されそうだ。
「いつもここでメンバーと集まって、曲の練習や打ち合わせなんかをするんだ」
「そうですか」
「でも本当にここで良かった? どこか食事の美味しい所とかの方が…」
「いっいえ! 私、『輝羅』が普段どんな所で活動しているのか、一度知りたかったのでここで良いです!」
『輝羅』は個性の強いメンバーがそろう、いわゆるビジュアル系バンド。けれど容姿をゴテゴテ飾ったものではないので、受け入れやすい。
特にキーボード担当の彼は、ふんわりした雰囲気と可愛らしい顔で人気が高かった。…そんな人の前で食事をするなんて、とてもじゃないが精神が保てない! 一口二口で腹がいっぱいになりそうだ。
階の中を全て案内された後、応接室に案内された。続きのキッチンで紅茶を淹れて彼は、私の正面のソファーに座った。
「感想はどう?」
「良い所だと思います。ここから『輝羅』はヒット曲を生み出していると思うと、何だか感動します」
私は素直な感想を口にした。実際、『輝羅』が出す曲はいつもトップ3に入るし、受賞も何度もしているから。
「けれどそれは哀咲さんの…いえ、蓮香さんと呼んでも良いかな? あなたのおかげだとも、メンバー内で言っているんだよ」
「はあ…。でも私はあくまでも作詞提供だけですけどね」
「そこが大きいんだよ。恥ずかしながらウチのバンドには良い作詞をする人がいなくて…。蓮香さんと出会えたのは、ボク達の幸運だと思っているよ」
そう言ってニッコリ微笑みを浮かべられると…うっ! 芸能人スマイルが眩しい! 太陽の光に負けないぐらいの輝きを放っている。
「そっそうですか…」
「ええ。…ところで蓮香さん、ちょっとご相談があるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
新曲の作詞だろうか?と気を抜いていた時、いきなりガシッと両手を掴まれた。
「ボクとお付き合いしてくれないかな? もちろん、結婚前提にっ!」
ああ、彼のキレイな顔がこんな間近に迫ってくるなんて、何て贅沢……じゃなくて!
「えっ! 作詞家としての就職じゃなくてですか?」
って、私もとんでもないことを口に出しているな。
「それももちろんだけど、できればその…ボクの側で、書いててほしいんだ」
真っ赤な顔で眼を伏せるところなんて、下手な女よりも儚げで美しい。こういうの、歌詞にしたら良いのができそう。
「正直に言うと、先に夢中になったのはあなたの歌詞の方なんだ。『輝羅』にとても合った歌詞をいつも書いてくれるから、興味を持った。でも実際会ってみて、何て言うか…この人とならずっと頑張っていけるって思って……」
「歌詞に惚れられたのは嬉しいですけど…。私なんか、どこが良いと思ったんです?」
今の私は腰まで伸びた髪を三つ編みにしてメガネをかけている。しかも着ているのは学校のブレザーの制服。一昔前の女子学生っぽい姿の私を見て惚れるなんて、まず有り得ないと断言できる。
「芸能界ならもっとキレイで可愛い人、いっぱいいると思うんですけど」
「そういうのは見飽きたんだ」
うわっ…。真顔でハッキリ言ったよ、この人。
「でもあなたは周りに流されないタイプに見えるし、芯の強い人だと思う。他の誰にも、譲りたくはないんだ」
熱っぽく語ってくれるのは嬉しいんだけど、…微妙に引っかかるのは何故?
「絶対に後悔なんかさせないから、ボクのところに永久就職してください!」
…ああ、結婚ってそういう言い方あったっけ。思わず遠い目をしてしまう。
「…柊さんが作曲をして、私が歌詞を書く夫婦生活?」
「うん! 良いと思わない?」
このキレイな人の側でずっと…。それは結構、魅力的な誘いかもしれない。今はまだ慣れない部分が多いけれど、この人、私好みの顔しているし、何より面白い人だ。
人生、最後まで退屈せずに済みそうならば、パートナーとしては良い相手なのかも。
「…じゃあ、これからよろしくお願いしますね」
精一杯の笑顔で言うと、彼は満面の笑みを浮かべた。
「大好きだよ、蓮香さん!」
「きゃああっ! いきなり襲ってこないで!」
…やっぱり早まったかもしれないと思う。
<終わり>