05「あくまで精霊だから」【ハンドレッド】
――シャツにしてもズボンにしても靴にしても、いつもと違うものを身に付けていると、窮屈で動きにくいものだな。
「おわっ!」
「あっ、ごめんなさい。今は、左からだったわね」
右足で左足を踏んだマーガレットが謝ると、ハンドレッドはドンマイとばかりに笑いながら言う。
「気にしなくていいよ。さっきは、僕も間違えちゃったから」
「フフッ。お互いさまね」
マーガレットが微笑んでいると、ナンシーはパンパンと手を叩き、二人に注意を促してから告げる。
「仲がよろしいのは結構ですけど、基本的なステップを覚えることをお忘れなく」
「んもぅ。ナンシーったら、スパイダーなんだから。褒められると伸びるタイプなのよ、私」
「それを言うなら、スパルタです。お嬢さまがダンスの授業をサボタージュされていなければ、こんなに厳しくいたしません」
ナンシーが毅然とした態度で言いきると、ナンシーは頬を膨らませながら不満を口にし、ハンドレッドに同意を求める。
「それは、どうかしら? 慣れないことをして、疲れちゃったわ。休憩しましょうよ。ねぇ、ハンドレッド?」
「そうだね。僕も、この固い靴を脱ぎたいよ」
結託している二人に、一人アウェーに置かれたナンシーは、利き手と反対の手首の裏を見て腕時計が指し示すアナログの文字盤を確認し、鞭を休めて飴を与えることにする。
「小一時間ほど、休憩にしましょう。紅茶を淹れてきますので、楽にしてお待ちください」
「わ~い」
「やったね、マーガレット」
喜んでいる二人を部屋に残し、ナンシーはスタスタと部屋をあとにした。
*
――テーブルマナーというものも、なかなか慣れない。ディナーの席でナイフやフォークが並んでいるのを見ると、どちら側から使うのが正しいのか、いつも迷ってしまう。
マーガレットとハンドレッドの二人は、レースのテーブルクロスが掛けられた丸いテーブルを囲み、紅茶と軽食を嗜んでいる。ふと足元を見れば、二人はダンスシューズからスリッパに履き替えていることが見てとれる。
「私は、こってりしたクリームチーズより、あっさりしたアプリコットジャムのほうが合うと思うわ。ハンドレッドは、どう思う?」
雪だるまのような形のブリオッシュをひと口大に切り、その切り口へ柄の長いスプーンでジャムを塗り広げつつ、マーガレットが向かいの席にいるハンドレッドに話を振ると、ハンドレッドは戸惑って言葉に詰まる。
――困ったな。僕は人間と違って味覚が無いから、何がコッテリで、何がアッサリなのか、サッパリわからない。
「ウーン、そうだね」
「マーガレットお嬢さま。あんまり、ハンドレッドさまを困らせてはいけませんよ。誰しも、甲乙つけがたいことの一つや二つあるものです」
「あっ、それもそうね。ごめんなさいね、変なことを聞いて。急に言われても、選べないわよね」
「あぁ、うん。僕のほうこそ、うまく言えなくてゴメン」
ハンドレッドは、そう言ってマーガレットにぎこちない笑顔を向けたあと、ナンシーにアイコンタクトをした。するとナンシーは、ハンドレッドの近くで、そっと耳打ちする。
「私も、生命人形だということを、よく忘れられますから」
「大変だね」
「私は、もう慣れましたから」
「僕は、まだ慣れそうにないな」
囁き合っている二人に、マーガレットが興味深そうに訊ねる。
「二人でコソコソと、何を話してるのよ? 私にも教えて」
「失礼しました。ウエストに余裕が無い服をお召しですから、食べにくいかと無用な心配をしてしまいまして。――そうですよね?」
「あぁ、そうそう。大したことじゃないんだ」
「な~んだ。でも、ハンドレッド。この季節にロングチュニックじゃ、可笑しいわよ?」
「フフッ。そうだね、マーガレット」
和やかな雰囲気のまま、優雅なティータイムは、しばらく続いた。
――僕には、こういう楽な格好のほうが落ち着く。欲を言えば、おなかに大きな前ポケットがあるアノ服が一番だけど。でも、妖精でなくなったら、こんな服装をしていられないんだろうな。一人前の紳士になるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。