11「マーガレット、十八歳の夏」
それから、四年あまりもの月日が流れた。
「おかえりなさいませ。卒業、おめでとうございます」
「ただいま、ナンシー。理事長さんの自慢話が無かったら、もっと早く終わったわ」
「おつかれさまです。――トランクをお貸しください」
そう言ってナンシーは、胸元に緋色の刺繍が入った白いワンピースを着たマーガレットの手から旅行鞄を受け取ると、手早く荷室に積み込み、右側のドアを開けて乗車を促す。
「こちらへどうぞ」
「ありがとう、ナンシー」
マーガレットが着席したのを確認し、ナンシーは右側のドアを閉め、素早く左側へ移動して運転席につくと、シートベルトをしてハンドルを握り、マーガレットがシートベルトを装着したのを見てから一声かける。
「準備はよろしいですか、マーガレット奥さま」
「えぇ。早く出してちょうだい。きっと今ごろ、ハンドレッドが待ちくたびれてるわ」
「そうですね。それでは、発車いたします」
貴婦人を乗せた黒塗りのツーシータは、雪華石膏で出来た憂え顔のマリア像が見守る横を、滑るようなスムーズさで走り出した。
*
「そろそろ新妻は、愛の巣に到着したころだろうか?」
ソファーに横になっているギルバートが、ふと顔を上げて窓の外を見ながら呟くと、フェルナンデスは、ウエストコートのポケットから懐中時計を取り出し、竜頭の上にある突起を押して蓋を開けると、その文字盤を見ながら応える。
「さぁ。まだ、移動中ではないかと。それにしましても、まさか、あのサマーハウスを新居になさるとは」
「良いだろう、別に。あそこは、二人の出会いの地なんだから。このために、わざわざ防寒対策までしたんだ」
フェルナンデスは、そっと手袋を外すと、疑わしげな目でギルバートの手を握りながら言う。
「俺の目が届く範囲に置かないと、何かあったとき不安だ。あぁ、マーガレットに、もしものことがあったら、どうしよう」
「おい、本音を読むな。今度は、チャイナドレスを着せるぞ」
「ハイドレンジアさまを妻とされても、大学を卒業して外交官となられても、マーガレットさまに対するシスコンぶりは、一ミリも目減りしませんね」
手を振り払って片眉を吊り上げるギルバートに対し、フェルナンデスは余裕の笑みを浮かべて言った。二人がいる書斎の窓下の茂みでは、浅葱から薄紅にかけてグラデーションに、紫陽花が咲き乱れている。
*
すっかり背が伸びて逞しくなったハンドレッドが、書斎でペンを走らせている。
「暑さにしても寒さにしても、それから空腹にしても。どれ一つとっても、大変だけど。……これは、特別に面倒だな」
人間として生きる辛さを痛感しながら、ハンドレッドは書き物をする手を休めると、机の上にペンを置き、窓辺に向かう。すると、遠くのほうに一台の黒塗りの高級車が、屋敷に向かって近付いてくるのが見える。
「引き継ぎ書類へのサインは終わってないけど、それより、おかえりのキスを優先しなきゃね。ジェントルマンとして、レディーの機嫌を損ねるわけにはいかないもの」
そう言って、ハンドレッドは適当に机の上の書類を片付けると、いそいそと部屋をあとにした。




