見知らぬ世界と見知らぬ少女
気付けばそこは森の中だった。
聞こえてくるのは、風に揺れる木々の音や空を飛ぶ鳥のさえずり。
そして近くに何かいるのだろうか、獣じみた低いうなり声も耳に入ってくる。
さっきまで大学で心理学の講義を受けていたはずなのに、どうしてこんなところに俺は立っているんだろうか。
言葉による相手の心への干渉、無意識の感情を引き出し、無を有に変換させる術について。
俺の仕事に少しでも役に立つかと思い、受けてみた講義だったが、ほとんど既知のことだったながらも、なかなか面白い分野を取り扱っていて、それなりに楽しかったのだが……
まあ、このままここに突っ立っていても仕方がない。あてはないが、とりあえず、今向いている方角に向かって足を進めてみることにしよう。
「あ? なんだ?」
歩いていると、木の陰から生き物がひょこっと目の前に飛び出してきた。
「うさぎ……? いや、サイの子供か? なんだこの動物は?」
その生き物は長い耳と愛くるしい赤い目を見たら、うさぎなのだが、額から生えた角と3つに分かれた長い尻尾と、これまで見たことないような異様な姿をしている。
そいつは俺の方を気にすることもなく、そのまま長い尻尾を引きずり、ぴょんぴょんとうさぎのように跳ねながら姿を消した。
「歩きにくそうなやつだな……」
それにしても、ここらにはあんな妙な生き物が他にもいるのだろうか。
もしかしたら、最初に聞こえてきた唸り声の持ち主も同じような異様な姿をした生き物なのかもしれない。
あの低い鳴き声からして、きっと危険な生物だろう。
……できれば出会いたくない。
なるべく早くこの森を抜けたいところだ………
「っと。思ったそばから」
歩いていると目の前に、開けた土地が見えてきた。
森の先端だ。
さて、森を出た先はなにか……
「お、街か。これは運がいいな」
森を出ると、煉瓦造りの建物が並んだ小さな街がそこにはあった。
街に入り、しばらくうろうろしていると、近くをガタイのいい男が通った。
「すまない……ここはどこか教えてもらえないか?」
とりあえず、俺はその男にそう尋ねてみた。
ここが日本でないことは何となく想像がついている。まずは、自分がいるだいたいの場所を特定して、今いる状況を整理しなければならない。
「ここか? ここはミッカの街さ。なんだ、お前。旅のもんか?」
「まあ、そんなところだ。ミッカの街か。ちなみにここの国名も教えてくれないか?」
「クレミス国だが、あんた一体どこからきたんだ?」
男は不思議そうな目で俺を見てくる。
確かに少し変な質問をさてしまったかもしれない。
「いや、俺もクレミスの出身だよ。旅でだいぶ歩いたからそろそろ国を出たからかと思ったんだが、どうやらまだだったようだな」
「はっはっは。クレミス国はデカイんだ。国境はここからでもまだまだ先だぞ。まぁなんで旅してるのかは知らんが頑張りな!」
「ああ、ありがとう」
もちろん俺はクレミス国の出身ではないし、旅なんてしているつもりもない。
そもそもクレミス国なんて国は聞いたことがない。
俺の知る限り、そんな国は地球上にはないはずだ。
さて……困った。
一体何がどうなっているんだ?
俺は今、何かドラマの撮影に巻き込まれているのだろうか。
この街や森はドラマの舞台で、今の男も俳優として演技をしているだけなのか。
どこかにカメラがあって俺を撮っているのだろうか。
しかし、どこにもカメラがある気配もなければ、通りゆく人たちも自然体すぎる。
それに、そもそもそんなドラマの撮影なんてものに俺は一切関わりがない。
「…………だとするとここは地球ではない?」
何をバカなことを、と思うかもしれないし、全くもって現実的ではないが、もうこれしか思い浮かばない。
先ほどの生き物といい、聞いたことのない国名といい、俺が住む世界には存在しないものがこの短時間であまりにも多くありすぎる。
「さて、どうしようか」
街というくらいだから宿もあるだろうが、森で目が覚めたときには、財布もなければスマホもポケットから消えていたため、現在、一文無しだ。
しかしながら、お金がなくとも宿くらいどうとでもなる。
誰かの家に泊めて貰えばいいのだ。
幸いなことに仕事柄、目利きには自信がある。
俺一人を泊めてくれそうな人を見つけることは大して難しくはない。
「……………あれはいけそうだ」
少し周りを見渡すと、建物の壁と壁の隙間に向かって一人で何か喋っている少女を見つけた。
「おいで〜怖くないよ〜こっちにおいで〜〜……」
「おい。ちょっといいか?」
「うきゃっ!!」
俺は見つけた少女に近づき、後ろから声をかけると、彼女は変な声をあげ、肩をビクッとさせた。
「二、ニャァ〜〜」
そして、壁の隙間にいた猫がそんな彼女に驚いて隙間の奥に向かって走り去っていった。
「あ、あぁ〜。猫ちゃん……ガクリ」
一人で何かしゃべっていると思いきや、どうやら彼女は猫に向かって話しかけていたらしい。
「なんだ……悪いことをしたな」
「い、いえ。大丈夫です……」
謝った俺に対し、彼女はそうは言いながらも、かなり落ち込んでいるのが目に見えて分かる。
「あ、えっと、ところで何か私に用ですか?」
露骨に落ち込みながらも、彼女は俺に向かって本題を聞いてきた。
「ああ。俺は旅をしていて、ついさっきそこの森を抜けてきたんだが、道中、獣に追われて財布を落としたみたいなんだ。だから今、手持ちがほとんどなくてね……ここら辺で格安で泊まれる宿がないか聞きたいんだが」
「そ、それは大変です! でもこの辺の宿はどこも最低800リールはしますし……」
リール……なんだ? 通貨か?そんな通貨聞いたことないぞ?
「そうか。今は数リールしか持ってないな。困ったな
……今晩どうしようか」
初めて聞く通貨に多少驚きながらも、俺は自然体で、困ったように見せかける。
「あ、あの。お困りでしたら、良かったら今晩、私のうちにとまりますか?人一人分の部屋はありますし……」
「いいのか?こんな見ず知らずの俺なんかを……」
「は、はい。今晩だけなら……私、目の前に困っている人がいるのを見捨てられないので」
想定通りだ。
一目でわかった。彼女がこういう性格であると。
仕事上で、数多くの人を見てきた俺にとって、人の持つ雰囲気でその人のだいたいの性格を読み取ることなんて造作もない。
「ありがとう。じゃあ、今晩だけよろしく頼むよ。俺の名前は御影侑李だ」
「ユウリさんですね。私リナ=アルムントです! お任せください!」