とある世界の片隅で ~そして羽は舞う~
むらっとしてやった。後悔はしていません。
その日は学園生活の最後の日だった。今日という日を終えれば、明日よりはそれぞれ別の道を歩んで行く事になる。学生として最後の日を皆、友人達と楽しんでいた。
明日より元学生達はこのまま国に仕える者達と、外交としてトーチク国へと赴く者達の主に二種類に分かれる。
招待された彼らの親や、他国の賓客も彼らの様子を目を細めて見守り、会場には賑やかな雰囲気があふれていた。
しかし、その雰囲気を壊そうとする一団がいた。それに気付いた者が、慌てて教師に報告に行こうとするも時すでに遅し。
生徒達の親や、他国からの来賓もある中で、その声は突如大きく響き渡った。
「聞け! エメラルディア・マウヤール・シベリアン令嬢!」
歓談中に聞こえてきた大声に周囲にいた者達がざわめく。突然の大声に眉をしかめる者すらいた。
その場に居合わせた者達が何事かと、一斉に声の方を見やる。
突如起こった騒ぎの中心にいたのは、他国貴族のとあるご令嬢。
そしてそのご令嬢と婚約をしている筈のこの国の第三王子だった。あろう事か、婚約者では無く見知らぬ少女を傍らに置いて。王子と少女を守るかのように複数の男達もいる。彼らはこの国の重臣達の息子であった。
ここ最近の王子達の様子をよく見知る者は意味ありげに。聞いてはいたもののどうせ一時の熱だ、大した事はあるまいと、さほど気にしていなかった者は焦りながらも、彼らの様子に声を小さくひそめながら囁き合っている。
クドゥル国の重臣である彼らの親達も、大した事はないとタカをくくっていたが故に、突然の事態に慌てて飛び出そうとするも、周りの者達に説明を求められて身動きが取れなくなってしまっていた。
そんな周囲の混乱の中で騒動は進んで行く。
「そう大声を出されずとも聞こえておりますわ。レグホーン・ブラン・クドゥル殿下。何用でございましょうか? この様なめでたい日に、その様なご様子で」
王子達と相対して凛と立つ、エメラルディアと呼ばれたそのご令嬢は美しかった。
漆黒の艶やかな、夜を切り取ったような長く美しい髪。切れ長でアーモンド型の、彼女の名前の由来にもなったエメラルドの瞳。女性らしいしなやかな体は見る者を魅了する。
突然の出来事にもうろたえず、悠然と対応する様は、コーシカ国の大貴族のご令嬢に相応しい堂々とした姿であった。
ピリピリと緊迫する中でも彼女の動じぬ凛とした姿に、見ていた者達は思わず感嘆の声を洩らす。そんな周囲の様子が気に入らないのか、彼はさらに声を張り上げた。
「何だと!? 自分がアイラにした事ですらも覚えていないと言うのか!」
「突然その様に言われましても……私には分かりかねますわ、殿下」
あくまでもゆったりと、しかし、王子の言葉にはしっかりと返答する。
「そもそも、この様な席で私以外の女性をお連れになるとは……。お忘れかもしれませんが、私は殿下の婚約者ですのよ?」
逆に王子に対し、皮肉を込めながらそう言うと、切れ長の緑の目をチラリと王子の隣に立つ少女に向ける。
幼い頃には王子達と共に遊び、こっそりと人目を盗んで一緒に眠った事すらあるエメラルディアは王子に対して呆れた表情を見せていた。
もっとも、幼い子供達が寄り添って眠る姿は国王夫妻にしっかり目撃されており、微笑ましいものとして許されていたのだが。それを自身の兄から後日知らされたエメラルディアは、顔から火が出そうな……これ以上はこの場では自粛するとしよう。
話を戻して令嬢の視線の先、王子に支えられるようにして立っているその少女は、茶色の髪に黒い瞳を持った、令嬢と比べるとあまりにも劣るごく普通の容姿だった。
あえて言うならフルフルと怯える様が可愛らしいと言うべきだろう。それ以外は特筆する事もない普通の少女だ。
エメラルディアの視線から守るように、王子が少女を後ろに庇う。婚約者であるはずの彼女を見る目は、敵を見るかのように鋭かった。
「しらばっくれる気か……。ならば私とて容赦はせぬ。この場にて宣言しよう! 私、レグホーン・ブラン・クドゥルはエメラルディア・マウヤール・シベリアンとの婚約を破棄する!!」
その言葉に驚き、クドゥル国の関係者が飛び出して来ようとするが、残念な事にそれよりも王子の発言の方が早かった。その言葉に聴衆がざわめく。
周りのざわめきを勘違いしたか、クドゥル国第三王子はさらに声高らかに宣言する。
「そして私はこの、アイラ・ブラウン嬢と結婚する事をここに宣言する!!」
高らかに告げられた言葉に、周囲はさらに一斉にざわめいた。王子のように大声を上げる者こそ他にはいないものの、それぞれが知人や縁戚関係にある者としきりに話し合う。賓客として呼ばれた者達もまたしかり。
しかし、今回騒動の中心人物の関係者、この国に滞在しているエメラルディアの家族の反応は、周囲の想像とは違って大人しいものであった。まるでこうなる事を知っていたかのように。
事実、彼らはすでに知っていた。婚約者である自分達の娘よりも、クドゥル国の庶民であるアイラと王子の親密な関係を。
王子達は気付かずとも、彼らの目は至るところにあるのだ。平和に慣れきったクドゥルの者には決して真似出来ないだろう。
それでいて放置していた。この後、エメラルディアの庇護を離れた彼がどうなるかを知っていて。
「婚約破棄とは。随分な仰りようですわね? この度の私達の婚約は両陛下からの深きご厚意で、非常に喜ばしい事だ、と結ばれたものでしたのに。私との婚約を破棄するというのは、どのような結果を招くのか……よくお考えてのご決断ですの?」
「黙れ! 私は元々この婚約に賛成した覚えはないのだぞ! それに、私の愛しいアイラに貴様がした事を忘れたとは言わせぬ!」
あくまでも優雅に振る舞うエメラルディア嬢と、むやみに大声を張り上げる王子。せっかくの最後の席が、とその場で静かに傍観していた自国の者達ですらも、あまりにも非常識な王子に対して批判的な目を向け始めていた。
そんな周囲の状況にも全く気付かず、言葉を続けるレグホーン王子。同時に少女を守って取り囲む男達の雰囲気がどんどん尖っていく。
「貴様はアイラに侮辱的な言葉を投げつけた! そればかりか、アイラの身をすら傷付けたのだ!!」
「侮辱的と仰いますが、それは『複数の殿方と未婚の女性が親しくするのは淑女としてよろしくない事ですわ。ましてや、相手側の男性に決められた相手がいるならなおの事。色々と疑われましてよ?』と言った事でしょうか?」
「その通りだ! アイラがそばにいる事を私自身が認めたのだ! 侮辱以外の何物でも無いだろう! それにアイラを傷付けた事をはぐらかす気か!?」
普通ならば、非常識と言われるだろう。アイラ嬢の行動は周りで見ていた者達の、特に女性の怒りを買う行動だった。
いくら王子本人が許したからとてやってはいけない事だと、周囲の者達はエメラルディア令嬢に対して肯定的だった。それに気付いていないのは当事者の王子達だけである。
「いいえ、そちらに関しても覚えておりますわ。先日の庭園での事でしょう。彼女が近くを通った時にうっかり、手が当たってしまった事ですわね。勿論ワザとではありませんでしたので、キチンと謝罪は致しましたのよ? お詫びの品も後日改めて届けましたし」
「詫び? あれが詫びだと!? あんなおぞましい物を送りつけておいて、アレが詫びなどとまさか本気で言っているのではあるまいな!? 貴様の正気を疑うわ!!」
「そうは仰いましても、我が国では人気の品でしてよ? 無理を言って手に入れましたのに……」
エメラルディアの言葉に、王子の怒りは冷めるどころか、ますますヒートアップしていく。少女の周りの者達も一切周りを見る事もせず、怒りが頂点に達していた。口々にエメラルディア令嬢に喚き立てる。
「もう良い! 貴様の戯言は聴き飽きたわ! どうせ婚約は破「一体、何の騒ぎでしょうか。これは」姉上っ?」
王子の言葉に被せるようにして出て来たのはクドゥル国の第一王女だった。
王子から姉上と呼ばれた彼女の容姿もまた、第三王子たるレグホーンと良く似ていて、白に近い銀髪黒瞳がとても美しい。頭に抱く赤の宝玉がキラリと輝く。
その姿に場が一瞬で静まり返り、王子達以外が一斉に膝を折った。頭を垂れたまま、エメラルディアが柔らかな声で謝罪する。
「お久しゅうございます、レイヤ殿下。今日と言う日に、この様な騒ぎを起こして申し訳ありません」
「メディ、構いませんわ。頭を上げて下さいませ。話は以前より貴女から聴いておりましたし、騒ぎも最初から見ておりましたもの。……それにしても、我が弟ながら愚かな事をしましたね。レグホーン」
エメラルディアの事を『メディ』と親しげに呼ぶレイヤ王女。彼女達は親しい仲であった。国の違いはあれど互いを親友とし、これまで仲睦まじくしていたのだ。以前までは当のレグホーンも。
最近ではエメラルディアから弟の事で相談を受けていて、国王夫妻もその件で話を詰めていた矢先の出来事だった。秘密裏に婚約破棄出来るならば不問とするが、公になってしまった場合には……。
今回の件では王子が断りもなく起こしてしまったため、王女が出て来ざるを得なくなってしまったのだ。まさか、このような場で起こるとは思ってもいなかったが。
これで、秘密裏に婚約を破棄する事は出来なくなった、と王女は怒り心頭であった。
そんな王女はエメラルディアに対していた優しげな雰囲気などカケラもなく、キッと弟と件の少女、その取り巻きを睨みつけると厳しい口調でレグホーン王子に言い放った。
「何を考えてこの様な事を? しかも、このめでたい日を台無しにしてまで。貴方は我が国の誇りに泥を蹴り付けよう、とでも言うのかしら?」
「ち、違います! 私はエメラルディアの卑怯な振る舞いを隠してはおけず……!」
「卑怯は貴方の方でしてよ、レグホーン。この様な大衆の場で女性を、しかも他国の貴族の女性を辱めておいて。貴方はこれがどのような結果になるか、ご存知なかったのかしら?」
王女に言われてやっと周囲の目に気が付いたようだが、すでに手遅れだった。口から出した言葉が戻る事は決してない。彼らにも時は戻せないのだ。
顔を蒼白にさせて佇む王子を守るように、アイラと呼ばれていた少女が前に出る。咄嗟に少女の周りにいた男達が止めようとするも、それを振り切る。
「も、申し訳ありません! レグ様は悪くないんです! レグ様の優しさに甘えてしまった私が「私は貴女の発言を許したかしら?」……え?」
「私はこの国の王女でしてよ? その私に対して、庶民である貴女は許しも得ずに話し掛けようと言うのかしら? しかも、婚約者でもない貴女がレグホーンを愛称で呼ぶのはどうして?」
「あ、え……でも、あの、学校では……皆平等、なのだと、レグ様が、良いって、その……」
ハァ……
全く何も分かっていない少女のしどろもどろな言葉に、周囲から呆れたため息が漏れる。子供の時間は、もう終わりなのだ。
「平等なはずありませんでしょう。何のために血統があるとお思いなの? 私は王女、貴女は庶民。本来ならば同じ部屋にいる事すらあり得ませんわ。それが許されているのは何故だと思っていて? 今日という日がめでたい、特別な日だからですわ。レグホーンは王子であるが故に、継承権が無いからこそ学園に通わせておりましたのに……」
王女の言葉を聴いて、忙しなく目をあちこちへと彷徨わせる少女。どうやら、やっと周囲の反応に気付いたようだった。冷たい視線が自分達を取り囲んでいる事に気付き、ヒッと小さく悲鳴を上げ体を震わせる。そんな少女を守るように取り囲む王子を含む男達。
「アイラ! ……姉上! いくら姉上てあろうともアイラを怯えさせるなど「両陛下からのお言葉を伝えるわ」何を……っ!?」
いきり立つレグホーンの言葉を再び遮りながら、淡々とした口調で国王夫妻の決定を言い伝える。
「今回の騒動を起こした最重要責任者として、第三王子のレグホーン・ブラン・クドゥルは王族籍を剥奪し、両陛下の意向としてトーチク国へ。並びに本来王子を諌めるはずだった役目を放棄したとして、学友の貴方達も貴族籍を剥奪して同様に。そして最後に……王子を堕落させた罪としてアイラ・ブラウンは平民籍を剥奪してコシール国へ。あとは通常通りのものとして、我が国への責はそれ以上は無いものとする。それが両陛下の下された決定ですわ。これは覆される事のない事実ですの「姉上!!」もう今さら遅いですわ」
両陛下の容赦のない決断に身を震わせる王子達。周囲はその決定に、ざわめきつつも納得顔だ。中には安堵している者達すらいる。
何しろコシール国は小国とは言え、その軍事力は決して侮れるものではなかった。例えば、クドゥル国の民が束になって掛かればある程度の反撃は可能だろうが、最終的にどれだけの被害が出るかは知れたものではなかった。
トーチク国はと言うと、比べるのもおかしい程に強大な国であり、クドゥル国には勝ち目など砂つぶ程にもありはしない。定期的に外交官を送り込んでいるのがその証拠だった。
どちらと敵対しても利益はない、それ故の両陛下の苦渋の決断だった。
「メディ、貴女には不服かもしれないけれど、これで許して貰えないかしら? 私はまだ、貴女と親友のままでいたいのよ。こんな事を仕出かしておきながら、ムシの良い話だとは思うけれど……」
王子に両陛下の言葉を伝えた時の様子とは全く異なり、女性らしい儚げな姿でエメラルディア嬢に懇願する王女の姿に、周囲の同情も集まる。切り捨てられ、愕然とする王子以下の者達には、当然とばかりの冷たい視線が送られていたが。
「レイヤ王女、そこまでのお言葉を頂き感謝の念に堪えませんわ。これからも私とお友達でいて下さると私も、その……とても、嬉しいですわ……」
先程見せた、王子と相対していた時の凛とした姿とは真逆の、女性らしい恥じらいを見せたその姿に険悪だった雰囲気もほぐれていった。
「そう言って頂けると私も嬉しいわ。今後とも仲良くして下さいましね?」
「えぇ、私こそ」
そう言って微笑み合う姿に、周囲の者達は王子達の事など忘れ、温かい拍手を送るのだった。
背後でトーチク国の人間達に連れて行かれる王子達や、アイラを取り囲むエメラルディアの家族の事など気にもせず。
「あぁ、そう言えば、殿下。貴方はお忘れだったようですが、私の家名は『シベリアン』ではなく『サイベリアン』でしたのよ? もっとも、もうお呼び頂く事もないでしょうけれど……」
これって悲恋なんでしょうか。
ヒロイン達に合掌。
ネタバレは活動報告にて……。