その5 翔平・女難の日
こちらのお話には、拙作「秋暮れて」 http://ncode.syosetu.com/n6726dc/ のキャラクターが登場しております。
未読の方は、ネタばれ注意です(というほどのこともないですが…)。
「あ〜っ、だりぃ……」
駅前のショッピングモールの中で、茶髪のツンツン頭をばりばり掻きながら、今井翔平はこれで何度目かになる不平の声をあげた。
「ったく、あンのバカ女……。いくら寝不足だからって、ヒステリーもいい加減にしろっつーの――」
と、口に出してしまってから、さきほど家で全く同じ台詞を吐いて、今まさに我が家に棲みついている、恐ろしい「妖怪」にはったおされたことを思い出す。
その名も、「妖怪・イクジヅカレ」だ。
その妖怪は、こう言った。
『うっさいわねえ、このオタンコナス! いいから黙ってお姉さまに言われた通りのもん、買ってくればいいのよ、アンタはっっ!』――
翔平は、溜め息をつく。
そして、はたかれた後頭部をちょっとさすりつつ、再びぶーたれた。
「『オタンコナス』って、なんだソレ。いつの時代の人ですかっつーんだよ、アンタは。大体、どんなナスだ、そりゃあ! 昭和の生まれかよ、あの女はよ――」
大き目のショッピングカートのかごに、ぽいぽいと適当に頼まれた商品を放り込む。いきなり家をおん出されたため、普段着のTシャツにダメージジーンズの軽装である。
「紙オムツに〜、粉ミルクに〜、おしりふきシート……って、どこにあんだっつーの、そんなもん――」
うんざりしながら、店内を見回した、その時だった。
「……おろ?」
翔平は、今この瞬間に至るまで、まさか自分がこの人生で、他人を二度見、いや三度見することがあろうとは思いも寄らなかった。
(え……? まさか、うっそだろ……?)
そのまさかだった。
翔平の視線の先には、自分のクラスメートが立っていた。
長身、強面のイイ男。いつも寡黙で、ものすごく近寄り難いのに何故かめちゃくちゃ女にはもてて、実は自分の友達の親友でもあるらしい、その男。
(佐竹……だよな? え? なんで……??)
それを認識したあとでさえ、その相手がこんな所に立っていることが信じられない。
彼の押しているショッピングカートの上にも、翔平の入れたような商品がいくつも見えたことで更に驚いた。
(え? ベビー用品買ってんの? ……なんでこいつが??)
そもそも翔平は、結構な情報通である。
別にさほど親しくもないクラスメートであるとしても、その家族構成ぐらいは当然のように、この頭の中に入っているのだ。そこを検索してみるに、目の前のこの男には、確か父親がいない。そして、姉妹もいないはずだった。
だから、今日の自分のように、乳児の子育てに疲れた姉が赤ん坊と共に実家に舞い戻ってきて、その弟を買出しにこき使うなどというヘビーなシチュエーションになるはずがないのである。
……だとすれば何故、彼にベビー用品が必要なのか。
疑問符だらけの頭でぐるぐる考えるが、勿論答えなど出るはずがない。
しかし、端正なその横顔をちょっと顰めるようにして、スマホの画面をながめつつ、その男がこう呟いたところで、翔平は目を剥いた。
「『おしりふきシート』……わからんな」
(どひ――――!!)
このくそ真面目な男の口から、よもやそんな台詞が聞けようとは。翔平は、その場で視界がブラックアウトしかかって、済んでのところで踏みとどまった。
が、当の相手はごく普通の顔で、近くを通りかかった店員など呼び止めて、早速その在り処を尋ねている。至極、しれっとした顔だ。
翔平は思わず、大きな声を出していた。
「あっ! なあなあ、佐竹っ……!」
さすがにちょっと驚いた顔で、相手が振り向いた。それはやっぱり、私服姿の佐竹だった。だがしかし、私服のせいかもしれないが、とても高校生には見えなかった。
「今井……? どうしたんだ、こんな所で」
翔平はすかさず、ぺいっと手の甲でつっこみを入れる真似をする。
「いや、それは俺の台詞だろって。俺はバカ姉貴のおつかいだけどさ。お前こそどーしたんだよ? 高校生が、ベビー用品になんの用?」
大学合格は決まったものの、卒業式まではまだ少し間がある。一応まだ、お互いに肩書きは「高校生」だ。隣に立っていた女性店員が、明らかに「あら、この子、高校生だったのね」という顔になる。
「…………」
が、佐竹はちょっと眉間に皺を寄せただけで、その質問には答えなかった。
と、ちょっとのあいだ黙っていた、女性店員が声を掛けてきた。
「あの、おしりふきシートでしたら、こちらの棚です。どうぞ――」
「ああ、はい。済みません」
促されて、佐竹がそちらへ歩き出す。翔平もすかさず、それに続いた。
「あ! 俺も俺も! それ、探してたんだわ――」
へらへら笑いながら、さも当然のように、一緒にカートを押して歩いていく。
「な〜な〜。まさかとは思うんだけどさ――」
歩きながら、これ以上ない軽さでもって、隣を歩く強面野郎に聞いてみた。
「どっかで『作っちゃった〜』、とかじゃねえよなあ? 赤ん坊」
前を歩いていた店員が、びくりと一瞬、体を固くしたようだった。向こうを向いてはいるものの、全神経がこちらを向いたらしいのがわかる。
「…………」
見れば、佐竹がおっそろしい目でこちらを睨み下ろしていた。
(……あ。違うのね……)
「良かった良かった」と思いつつ、翔平はへらっと笑った。
「な〜んつって。冗談だってばよ〜。その目、怖えからやめてくんね?」
ひらひら手を振って見せながら、にやにやその目を見返した。
「…………」
佐竹は一応納得したのか、黙ってまたぐいと前を向いた。
……が、そのままその視線が固定した。
「お?」
この男にしては非常に珍しい反応だ。不審に思って、翔平はその視線の先を辿る。
「あれっ……?」
通路の向こうに、見た事のある美少女が立っていた。というか、今まさに、凄い長身の美女がその子を引きずるようにして大股にやってきたところのようだった。何か、高そうなパンツスーツの女である。美人だが、結構年はいってるっぽい。
その大女が、開口一番、こう叫んだ。
「煌ちゃん! やっぱりここだったのね――!」
(は? 『あきちゃん』って、一体だれよ――。)
と、疑問に思う暇もなかった。
長身美女は脇目もふらずにずかずかこっちにやってくると、佐竹の面前に立ちはだかった。腰に手を当て、びしっと佐竹の鼻先に人差し指をつきつける。
「いくら煌ちゃんでも、このあたしに隠れてなにかしようなんて、百万年早いんですからねっ!? さあ! お母様に白状なさい! 今回は一体、何があったの!?」
大女の背後では、それからしたら可愛いぐらいの小柄な美少女が、口をぱくぱくさせつつ真っ青になってこちらを凝視して凍り付いていた。その視線は、明らかに佐竹の買おうとしている品物に突き刺さっている。もちろんそれは、ベビー用品の山だ。
「あ。やっぱ、真綾たんか〜……」
休日のはずだけれども、彼女はきっちりと自分の学校の制服に身を包んでいる。いつもの深緑色をした品のいい、白桜女子学園の制服だ。ふわふわした茶色い長い髪の毛も、白いリボンもいつものとおりだ。
「けど、なんでこんなとこに……?」
科戸瀬真綾は、「大変いいところ」のお嬢様だ。普段は運転手つきの高級車で送迎されての移動ばかりで、こんな庶民の来るような日用品を扱う大型店に、自ら来ることなどない人種だろうに。
しかし、少女は翔平の言葉尻にひっかかったような顔で、じろりとこちらを睨んだだけだった。
「真綾……『たん』?」
「なんですのそれ」、とばかりに半眼になってこちらを睨んでいる少女の視線を、柳に風とばかりに受け流して、翔平は佐竹の方を向き、とっとと話題を変えた。
「なあなあ、この人だれよ? お前の何?」
「…………」
が、佐竹はそんな質問は「ガン無視」だった。
ものも言わずにカートの方向を変え、店員の後を追っていく。
「あ、おいって! 佐竹ぇ?」
「なあに? 少年」
と、いきなり目の前の女が返事をした。
「はい?」
と振り返れば、次の瞬間、がしっと肩を掴まれる。物凄い握力だった。
「で? あなたこそ、あたしの煌ちゃんの何なのかしらぁ?」
にっこり笑ったその顔の、目だけが絶対に笑ってはいなかった。
○●○●○●○
「や〜ねえ、ほんと! 別に隠し立てするような話でもなんでもないんじゃないのお! あきちゃんったらほんっと、秘密主義!」
両手にベビー用品の入った包みを持った息子を相手に、長身の美女が怒涛のように喋りかけている。
「ほらほら、わかったからさっさと帰りましょ! かわゆい小ムネちゃんが待ってるんでしょ〜? きゃ〜楽しみ! どんなプリティーなベビーかしらあ!」
そんなことを次から次へといいながら、強面のクラスメートの母親が高らかな哄笑とともに息子を連れて去ってゆく。二人の行く先は、どうやら内藤の家らしかった。
翔平と真綾は二人の背中を、ショッピングモールの入り口で呆然と見送っていた。
「なんだったんだぁ? ありゃあ……」
翔平は脱力して、ぽりぽりと後頭部を掻く。
真綾は真綾で、まだ驚愕から抜け切れていないような血の気のない顔で、その場に石のようになって立ち尽くしていた。
「あ? どしたの? 真綾たん」
途端、ぎゅっとまた睨みつけられた。
「……その呼び方、やめてくださいます?」
目つきが異様に怖いのは、さきほど佐竹のお母様から知らされた、とある事実が原因だろう。
どうやらこの真綾の科戸瀬家は、海外事業の一環で、弁護士であるというかの佐竹女史との繋がりがあるらしいのだ。真綾の方で車の中からあの大女を見つけて声を掛けたら、そのままこういう事態に巻き込まれたと、つまりはそういうことであるらしい。
「あ〜。まあ、あんま落ち込むなよな? 真綾たん」
相手のダメだしなどどこ吹く風で、翔平は彼女をそう呼んだ。
「あの野郎、もう『本命』がいるみてえじゃん? とっとと諦めて次いこ〜よ、次! な?」
その途端。
すぱ――――ん!!
と、いい音がショッピングモール前の歩道に響き渡って、通行人がはっとこちらを向いた。
頬に激しい痛みを感じて、何が起こったかをまだ理解もできないうちに、真綾はぶるぶる震えながら言い放った。
「もうっ……、もうっ、放っておいてくださいませんこと!?」
「…………」
翔平はもう呆然として、思わず痛む頬に手を当て、ぽかんと相手を凝視するしかない。
「無神経で品のないお馬鹿さんなんて、大っ嫌い! わ、わたくしをっ……」
真綾はもう、ぎゅううっと、両の拳を握り締めて仁王立ちだ。
見る間にその目に涙が盛り上がって、翔平は心底、ぎょっとした。
「わたくしをっ、『真綾たん』だなんて、呼ばないでっ……!」
そう言い放ち、真綾はくるっと踵を返すと、猛然と駆け去って行ってしまった。
「……ってえ……」
すりすりと、今はたかれたばかりの頬を撫でる。
「ってもま、しゃーねえよなあ……」
肩を落として、溜め息をつく以外のことなどできようか。
あの、大女。
えらいひと言、言っていきやがったもんな――。
そう、あの女は言い放ったのだ。
それも、店の真ん中で、臆面もなく。
それもなんだか、いやに嬉しそうだった。
『あらやだ! あきちゃんったら!』
『祐哉きゅんと、もうそんなとこまで行ってたの!?』
『いやあん、もうっ! とうとう、愛の結晶ができちゃったのね――!?』
はああ、と盛大に溜め息をつき、翔平は紙オムツ等々の詰め込まれた買い物袋を提げたまま、真綾の駆け去ったほうへ向けて合掌した。
(うん、しょーがねえ。BL出演の女キャラって、大概こういう運命だもんな。)
この辺の知識については、あの凶暴な姉がこっそりと部屋に隠していた、「そういう漫画」によるものが非常に大きい。ついでに言うなら、結構な免疫もつけさせてもらってしまった。
まあ、自分が望んでそうなったわけではないのだが。
(まっ、とにかく。)
ここは、諦めるが吉だろう。
それが真綾にとっても佐竹にとっても、また内藤にとっても互いのためだ。
「しっかし、あの祐哉とはねえ……」
ぼりぼりと頭を掻く。
世の中、わかんねえ。
けどまあ、とりあえずこれだけはわかった。
「今日はぜってー、女難の日だ――」
なにやら「サーティークの」ってタイトルに偽りあり、になってきましたね…。
まっ、またそのうち出てくるでしょ!(苦笑)
なお、あんまり翔平君が「そっちの道」に理解がありすぎるようだったため、四行ばかり書き足しました。あしからずご了承くださいませ^^;