獅子王伝 滝川太一篇 その弐 箱根攻防戦
転校してきた風間唯衣(実は姉の大久保姫佳)との初デート。
速水貴真とのジャンケンにより、負けた彼が会長に勝った僕は副会長に就任した。
最初の大仕事である文化祭を無事に終了し、時間が出来た僕は姫佳嬢を連れてY市に出掛けた。当時中学生だった母の佐世子さんが遊びに来て、初代獅子王瀬尾総一郎と出会ったと言う思い出の地だ。
「滝川太一さんですね」
と声を掛けてきた男が居た。
「僕に何か用かな」
先の浦賀の一件で僕の名前は知れ渡っていたので、その関係かと思って応じてしまったのが失敗だった。
一瞬の隙に姫佳を人質に取られてしまう。
「彼女さんの顔に傷を付けたくないでしょう」
これが他の女だったら。例えば妹の唯衣ならば、護身術を心得ているので簡単に逃げ出しただろう。桃華なら、そもそも捕まるようなへまはしない。沙羅さんが一緒なら、そもそもこんな作戦を仕掛けてはこなかっただろう。
「話があるなら場所を替えましょう」
と言い出したのは姫佳。
「ここで私が大声を出したら、困るのはそちらの方でしょう?」
姫佳がこんなに肝が据わっているとは意外だった。
人気のない裏路地へ移動。奥に三人。一人は姫佳にナイフを突きつけて拘束している。そして背後に二人、距離を取って逃げ道を塞いでいる。
さてどうしようかと思案していると、姫佳と目が合った。
姫佳はすこしの不安も見せず、むしろ悠然と微笑んでいる。
僕は目を閉じながら両手を顔の横までゆっくりと上げた。傍目には降伏の所作に見えたであろう。
目を開けると、姫佳は僕の意図を察したように目を閉じていた。
パン。
両手を打ち合わせる。いわゆる猫騙しだ。
敵が一瞬目を瞑る。その瞬間に一気に間合いを詰めて、左でのアッパーを顎にねじ込んだ。拘束が緩んだすきに姫佳を右手で引き寄せる。敵が取り落としたナイフは姫佳の手に収まっている。
奥に居た二人が駆け寄ってくるが、姫佳を庇いつつ左右の裏拳をぶち当てて撃退する。入口を塞いでいた二人は臨戦態勢で待ち構えているので、
「動くな」
と気勢を浴びせて動きを封じた。二階堂兵法に伝わる心の一方である。
制圧が完了したところで、ポケットから取り出したスマホで五人の顔写真を撮り、神林家のデータベースで検索を掛ける。
「関西風のイントネーションで話していましたね」
と姫佳が言うので、
「あの状況下でよくそんな冷静に」
と感心しつつ、西日本を市場にいる室町家の情報端末へも照会を掛けた。
一人がヒットすると、残りの四人も芋づる式に引っ掛かった。
五人の名を呼んで、その反応を見て本人確認を終えると、
「今から二十四時間の猶予をやる。直ちに箱根の関から西へ立ち去れ」
と指示を出す。
「彼女は箱根姫だ。彼女に危害を加えようとした事が知れたら、君たちは箱根の関を無事では超えられないよ」
と言い捨ててその場を離れた。
「彼らの話を聞かなくて良かったのですか?」
「彼らは明らかにやり方を間違えたね」
あのアプローチを認めたら、話の内容がどんなものであっても受け入れる訳には行かない。
「彼らの口を開かせなくても、情報収集は進んでいるからね」
あの五人を糸口にして相手の組織に対する追跡調査は既に動いている。
「取り敢えずしくじって逃げ帰る彼らがどうなるかに注目だね」
「逃げ帰らなかったら?」
と姫佳。
「失敗を誤魔化すために交渉決裂を報告して、後続部隊の発進を要請するかもしれない」
彼らの目的が外交だったのか斥候なのか。前者であればあの行動は常軌を逸しているし、斥候ならば僕の目の前で人質を取るのは軽率だ。
「君が何者かを知らずに手を出すなんて、間抜けとしか言いようがない」
念の為、箱根の四天王に連絡を取って西からの侵入に対する防御態勢を布かせた。この外縛陣が完成する前に例の五人組は西へ遁走した。
外縛陣と言うのは外からの侵入に対して発動するので、完成した後でも外へ抜ける相手には対応しない。彼ら五人には既にヒモが付けてあるので彼らが連絡を取った相手に連鎖的に感染していく。彼らの一味が箱根より東に居ない事は確定した。
「本当に無能な連中でした」
僕の報告を受けた希総兄さんは、
「太一は僕以上にヒモを使いこなしているな」
と笑った。
ヒモは神林が政府の諜報機関の為に開発したものだ。スマホに感染させて位置情報を発信する。そしてスマホからスマホへ感染して対象の人脈を炙り出す。時間制限で自然消滅するが、その間に敵組織の全貌が見えて来た。
「使ったのは二度目です。目の前にいる敵ならば殴り飛ばせば済みますが、敵が見えないのではどうにもならないので」
「ヒモを使うと敵があらわになるけれど、敵味方を明確にすることが必ずしも正しいとは限らないからな」
神林と言う企業体を継ぐ立場にある兄さんは常に相手とのディールを考えて、相手を完全に叩き潰す事はしない。
「僕も無理敵対する気はありませんよ。向こうがこれ以上仕掛けて来なければですが」
ヒモを使って手に入れた情報を元に室町警備保障に依頼して動きを監視してもらっている。室町家は御堂家と縁戚で、僕も御堂の一族として扱われているのでかなり融通が利く。
今回入手した情報はその一部が構築過程にある向こうのデータベースに提供されたらしい。
「幹部の中には関西政財界の大物の子弟が混じっていたよ」
「その情報も提供したんですか?」
「向こうの持っているデータを突き合わせて判明した事実だからね。向こうでも扱いに窮していたよ」
神林での公開基準を紹介してそれに準拠するように提案したと言う。
「調査の過程で入手した情報は私的な利益に結び付けて活用しない事。信用を失墜すると本業に差し支えるからね」
本業は警備で有って情報取集は二次的な作業である。神林も希代乃さんの代で情報管理の分野を強化して業績を伸ばしたが、あくまでも副産物である。
前回の千葉との抗争の過程で買い取って利用したホテルは看板を掛け変えて再開した。新しい名前はシーサイドホテルTT。初めは滝川の名前を付けよう言われたのだがイニシャルにした。Tを重ねたのは僕のフルネームを意味する。元々辺鄙な位置にあって流行っていなかったホテルであるが、その地理的条件を逆に利用して政財界の要人たちの密会の場所として利用してもらう事にした。このアイディアは矩総兄さんからのモノだが、その為に最上階だけは大幅に改装した。屋上にはヘリポートも完備している。
新たに支配人を務めるのはあの時僕の指示を正確に実行してくれたあの若いマネージャーだ。前の支配人は別のもっと大きなホテルを紹介しておいた。人員も半分は入れ替えた。あの日勤務していた人間はすべて残したが、あの日休みだった人間は厳選して一部を他所へ移した。
その日の泊り客は室町警備保障の情報統括部長。と言っても技術屋なのでそれほど年配ではない。神林家との業務提携に当たって立ち上げられた部署だ。
人材情報を収集するに当たって、室町が目を付けたのは京都の一見さんお断りの文化であった。その様な敷居の高い店を数多く知る通のメンバーと、その様な店に行きたい新参とを繋ぐマッチングサービスを展開したのである。
通人をマスターと呼び、新参をビギナーと呼ぶ。ビギナーは中間段階のベテランを経てマスターになる事が出来る。当然ながら登録は実名で、身分証明は絶対だ。紹介される店は一般のグルメサイトでは取り上げられない隠れた名店ばかりで、販路拡大を目指しながらも他との差別化を図りたい店側の要望にもマッチした。店に直接アクセスするのではなく、通人=マスター会員からの紹介でのみ予約が出来る。
初めは通人同士のネットワークが拡大していたが、次第に新参との交流も深まっていった、特に関東圏の財界人が挙って参加して京都の文化をリスペクトしていく。そして次には外国人の登録が進む。
神林家とは異なるアプローチで有り、神林家が扱うのが公的な人脈だとすれば、室町が形成したのは私的なモノと言える。このアイディアを室町に提案したのは春真兄さんだった。
さて部長は観光目的で来たのではもちろんない。僕の依頼している一件の報告書を持って来てくれたのだ。
政財界の要人も使う想定なので豪華で防諜対策も完璧だ。
「本当にここを使って良いんですか?」
出張に当たっては、交通費と滞在費をこちらで負担している。
「どうぞごゆっくり。周りには何もありませんけれど」
と言いながら受け取った報告書類に目を通す。ネット経由でも受け取れるのだけれど、対面で手渡しの方が雰囲気が出る。
報告書には敵の幹部たちの行動記録が詳細に記されている。
「その挙動を観察すると、二つの集団に大きく大別されることが判ります」
と部長。
「恐らくは主戦派と和戦派と見られます」
「その比率までは判りませんよね」
と聞いてみると、
「和戦七の主戦三と見ています」
と返って来た。
「その根拠は?」
盗聴を仕掛ければ直ぐに判るがまさかそこまではやっていまい。
「まず集団の挙動から大まかに大きな集団と小さな集団に分けられます。これが七対三の根拠ですが」
と説明を始める。
「この手の集団で主戦派が多数ならとっくに動いていますよ」
「しかしリーダーが和戦派で必死に止めている可能性は?」
と追加の説明を求める。
「リーダーが多数派に含まれている事は既に調べが付いています。厳密に言うと…」
多数派にも濃淡があって、恐らくは和戦派と中間派に分けられる。リーダーが和戦派に居て、中間派を引き寄せながら主戦派を宥めているのであればいずれ事態は収束に向かうだろうが、
「リーダーの立ち位置は恐らく中間派で、主戦派と和戦派の綱引きを模様眺めしているのだと思われます」
「つまりは予断を許さない状況だと」
「遺憾ながら、言葉が通じない、力しか信じない輩と言うのはいますからね」
とため息が返って来た。
「では僕はこれで失礼します」
と立ち上がって、
「近い内にそちらに出向きます」
スマホで予定をチェックして、
「一ケ月以内に」
だが事態は急変した。
その翌日の朝、
「動き出したと連絡が入りました」
と部長から急報を受けた。
「主戦派の中でも特に強硬な十名が進発しました」
少数で敵地に突入して、たとえやられても対立を煽って戦いに持ち込めると言う狙いらしい。
「それは既に一度やって失敗していると思うのだけれど」
と呆れる。
「十人の中に、前回貴方に殴り飛ばされた少年も居るようですね」
メンバーの名前とその中にいる幹部二名の顔写真を入手した。
「足は?」
「新幹線です」
乗った時間から到着時間も判る。
箱根の外縛陣も、大軍を迎え撃つなら有効だが、少数でしかも公共の乗り物で来られると機能しない。
「箱根の山より手前で迎え撃つ必要があるな」
箱根の四天王に連絡を付ける。捉まったのは一人だけ。箱根より東に入られた場合の対応策を伝えて、僕は単騎で先行する。
三島駅で先陣の乗った車両に乗り込んで車中で接敵を果たす。
「箱根の関は二度と越せない。と宣告しておいたはずだが」
と見知った顔に声を掛ける。
「何だ貴様は」
二メートルを超える巨躯の男、事前に教えられていた幹部の一人が近寄ってくる。
「僕の話を遮るな」
と言ってボディに拳を捩じり込むと、その場に膝を付く。不用意に僕に近付くからそう言う事に成る。どんなに鍛えた人間でも構えていない状態で打撃を喰らえば耐えられるものではない。増して僕の一撃は浸透性の高いモノなので、体の内部に衝撃が広がる。一時的に呼吸が出来なくなった筈だ。
「全員、次の熱海で降りてもらおうか」
連中は僕が一人だと見てこれに応じた。流石に車中で騒動を起こすほどあちらも愚かでは無かった。
近くに有った神林家の施設からマイクロバスを出してもらう。
「お手数をお掛けします」
希総兄さんまで出張って来ていた。
先発陣の中に関西系の企業の御曹司が居て、希総兄さんの顔を知っていた。
「僕は只の見届け人だよ」
と言われても同様の色が隠せない。
神林家の私有地に到着すると、
「改めて、僕が獅子王十代目滝川太一だ」
と名乗った上で、
「全員で来るか、一人づつ来るか。僕はどちらでも良いよ」
先程一撃を喰らった巨漢が僕の前に立つ。これは狙い通りの展開だ。最初に一発喰らわせてプライドを傷つけて置けば一対一に応じてくると思っていた。この巨漢を一撃で鎮めるのは難しいが、特に厄介なのは乱戦になった場合だ。
巨漢を倒すにはまず足を狙う。突っ込んできたところを右に交わして膝の裏に蹴りを叩き込む。体勢が崩れた所で左手で顔面を押さえてそのまま後ろへ倒す。その際に全体重を乗せて後頭部を地面に叩きつける。
起き上がろうとするところをみぞおちを左足で踏みつける。苦し紛れにその足を掴みに来るが、空いた顔面に左拳を叩き込む。両手が緩んだところで馬乗りになって左右の連打を浴びせる。
この間、一分も掛かっていない。文字通りの秒殺だ。
「次は誰かな」
と微笑み掛ける。
「何なら全員で来ても良いよ」
と右手で手招きすると、
「僕はその独活の大木とは違うよ」
と言って出てきたのはもう一人の幹部。でかいだけの一人目と違ってこちらは格闘技の経験者らしいが、こういう相手の方が読みやすいのである。
二人目は僕よりも若干小さい。ステップを踏み始めたので、宙に浮いた瞬間を狙ってジャブを打ち込む。
反射的にガードが上がったので一歩踏み込んで、前に出ていた相手の左足を踏みつけながら右の中段突きで脇腹を狙う。
それを受け止めた時には、左の一撃が敵の顔面に当たる。足を踏んでいるので後ろに跳んで威力を逃す事が出来ない。
「卑怯な」
「僕はボクシングをやるとは言っていないよ」
両手で相手の顔を捉まえて、右膝を顔面に叩き込む。ムエタイの首相撲だ。
二発目を打ち込むまでもなく、両腕が落ちてそのまま膝から崩れ落ちた。
念の為、手を離さずに右へ捻って地面に転がす。相撲で言う合掌捻りだ。
「さて、まだ続けるかな?」
誰も手を上げなかった。
二人の負傷者は医療の心得のある兄の護衛が応急処置を施した。
「見掛けは派手ですが、後々まで残るような深いダメージはありませんね」
僕はちゃんと手加減を心得ている。
意識を取り戻した二人は、
「もう一度やれば」
と言う巨漢・白河琥太郎に、
「君は体格に頼り過ぎだ。そしてその力に振り回されている」
僕は彼の体格を逆用して彼を倒した。いわゆる柔よく剛を制すと言うやつだ。
「自分は何が問題でしょうか」
と訓えを乞うてくる二番手の優男・青沼竜弥。この二人は西の四天王の中でも最強と言われる双璧であったのだが、
「君の場合は技が綺麗すぎるな。体格に恵まれていなのだから、もう少し狡さも覚えないと」
と助言したら、脇で見ていた希総兄さんも苦笑していた。
強硬派の二人が僕に膝を屈したので、西との和平が成立した。
会談は京都にある某料亭で行われた。一見さんお断りの名店で、紹介者は春真兄さんである。まあいくら金があっても高校生の名前では予約できない格式である。
僕が同行したのは箱根四天王の筆頭の多田久斗。相手のトップは奥田篤也。流通大手の祇園グループの御曹司だ。左右を固めるのはあちらの四天王の穏健派、玄葉武人と朱坂富政である。
「瀬尾総理が初代だと言うのは?」
手打ちが済んだ後、雑談的に聞かれた。
「地元では有名な話だし、当人も別に隠すつもりはないと思いますよ」
その心算があれば後援会を獅子王会とは名付けないだろう。その獅子王会も既に息子の矩総兄さんに引き継がれている。
「それで貴方は総理の息子なんだな」
「僕が十代目を引き受けた時には、大政奉還なんて言われたけれど、僕の先代も父の息子なのだけれどね」
春真兄さんが九代目を務めていた頃はまだ父親の素性は伏せられていた。
「僕の叔父は野党の代表も務めて貴方達の父上と対決していたが、代表選に敗れて政界を去った」
奥田家は長男が跡取り次男は政治家、を代々続けて来た。篤也の叔父は特に優秀で代議士にまで上り詰めたが、その早すぎる引退により予定が崩れた。本家の次男だった篤也への地盤継承が出来なくなったのだ。それが今回の騒動に至る間接的な引き金だったと言える。
「国会の議席は家の世襲財産では無いし、少なくとも政治に私怨を持ち込むべきでは無いな」
とぶった切る兄さん。
「ごもっともです」
と殊勝な篤也。
「大学で勉強して、将来について考えたいと思います」
最後に出て来た敵のトップは違う設定で登場させる予定でした。
創作ですので実在の人物・組織とは全く関係ありません。