獅子王伝 滝川太一篇 その壱 浦賀事変
箱根姫との邂逅を遂げて間もなくの頃。
その一報を僕にもたらしたのは兄だった。
「獅子王を探している連中が居る」
「またですか」
電話の主は先代の獅子王であった兄、御堂春真である。
「詳細はまだ不明だが、今回は県外からの侵入者だと思われる。今の県内に獅子王に逆らう手合がいる筈が無いからな」
それが逆に問題だったのだと後で気付く。
「取り敢えず神林に調査依頼を出しておいたから、後は希総とはかってくれ」
春真兄さんは「計る」の意味で言ったのかもしれないが、希総兄さんの対応は「謀る」に近かった。
「話は聞いているよ」
と切り出されて、
「ヒモが付け終わって、情報が入り始めた所だ」
ヒモと言うのは神林が開発したウィルスで、対象のスマホに侵入して位置情報を発信する。対象が連絡を取った相手に感染して行って敵の集団を把握できる。時間制限があって今回は最短の四十八時間型らしい。
「入ってきているのはおおよそ百名ほどだな」
県外の反応や一連の作戦に連動していないモノは除外して精査している段階なので概数になっている。
「つまりは余所者と言う事で良いんですね」
「追跡調査をさせているが、恐らくは千葉方面だろう」
「僕に何の用なのでしょうか?」
「それは判らないな。会話の内容までは調べられないから」
盗聴までやるとさすがに拙い。
「通信記録を調べて状況を遡ると事態の発生現場が特定できる」
「判りました。現場に行ってみます。ところで…」
相手の指揮形態を探ってトップの所在を見つけられないか頼んでみた。
「やってみよう」
出来ると安請け合いしないところが如何にもである。
現場はY市の繁華街。学生たちのたまり場になっている区画だ。ここで聞き込みを開始する。
「三日ほど前に、この辺りであったいざこざを知らないか?」
わざと目立つように動いたら、情報の方からやって来た。
「獅子王について嗅ぎまわっているのはお前か?」
僕は獅子王の名は出していない。
「お前は獅子王の顔を知っているのか?」
「俺たちは獅子王様の…」
「僕もお前たちの顔なんか知らない」
「え?」
「もう一度聞く。ここで余所者をいざこざを起こしたのはお前か。それともお前の知り合いか?」
連中のたまり場だと言う所へ案内された。
「貴方が本当の獅子王ですか?」
リーダー格の男が不審げに訊ねてくる。
「普段は付けていないんだけれどな」
僕は左袖をまくって獅子王の腕輪を見せる。
「こう言った派手派手しいモノは僕の趣味じゃないんだが」
金色をしているが、金ではなく五円玉にも使われる黄銅と言うやつだ。四代目が半分シャレで作ったものが今に至るまで伝わって来た。歴代の獅子王の所属した学校の校章が刻まれており、初代が南高、二代目は空白で三代目以降は西工が続き、九代目にして南高、そして僕の代に至って新たに中央高校の校章が刻まれた。
「さて何があったか説明してくれないか」
「この二人が」
中央で正座させられている二人。一人は僕に声を掛けてきた男だ。取り敢えず一発ずつぶん殴っておいたが、何故か嬉しそうな顔をされて釈然としない。
「余所者と喧嘩した際に、俺たちは獅子王の配下だぞと啖呵を切ったらしいです」
「それで?」
「近い内に挨拶に行く。と言われましたが」
と正座している当事者の一人。
「僕に連絡する手段が無かった訳だな」
獅子王の本来の縄張りは五校の通学圏内で、その範囲の情報なら自然に僕の耳にも届く。ただ箱根姫との手打ちが成った今は県内一帯が一応獅子王の勢力圏と言う事に成り、目が行き届かない。お陰でこんなバカも出て来る訳だが。
「俺たちはこれからどうすれば」
「何もするな」
僕は食い気味に指示を出した。
「君たちは獅子王とは何の関係も無い。以後それで押し通せ」
次に詐称があったらこんなモノでは済まさない。
「なるほどねえ」
僕は希総兄さんに状況を報告した。
「どうやら獅子王に喧嘩を売るために探りを入れていたんだな」
「恐らくは」
「調べてみたら、二十数年前にも同じ様な事があったらしい」
つまりは僕らの父親が現役で獅子王を名乗っていた、いや呼ばれていた頃だ。
「初代は県内だけでなく箱根の席を越えて伊豆の辺りまでを勢力下に置いていたからねえ」
兄さんは敢えて他人事のように解説する。
「隣県が警戒して、ちょっかいを出してきたらしいけれど、当時は組織がしっかりしていたから、トップが特に何もしないでも話が付いたらしい」
初代の獅子王は平和の象徴として君臨し、統治には関わらなかったのだろう。
「当時とは情報テクノロジーの面で大きく違うからねえ」
スマホはまだ存在せず、携帯電話の普及率も高くはなかった。
「なんか、ピンときませんね」
「同感だな」
前置きはさておいて、
「敵の総数が判明したよ」
正確には実際に動いている人数の合計だが、
「侵入してきているのは全部で百八人。その大部分は多摩川を越えて東から来ているが、ごく一部が浦賀方面から入り込んでいる。うちの調査ではこちらが本陣らしい」
「そちらの人数は?」
「多くて五名」
万事慎重派の兄が断言するならこの情報に間違いは無いだろう。
「お手数をお掛けしました」
僕は現地に向かった。
敵本陣が置かれたのは海沿いの小さなホテルだ。
「これは都合がいい」
まずはホテルのオーナーに連絡を付けて建物ごと買い取る。
そしてフロントに掛け合って宿泊名簿を調べる。
「この客を残して」
と目星をつけて、
「他の客を別のホテルに移動させろ」
幸いにも閑散期だったので、周囲のホテルにも空き室が多い。しかもここよりは格上のホテルなので、こちらで費用を出すと言えば喜んで移ってくれた。
「これが終わったら、全員に一ケ月の休暇と給料三か月分の特別賞与を出す」
と言ったら嬉々として働いてくれた。
「向こう一か月間は休業にするので、今日来ていない従業員にも連絡を入れて置いてくれ。休業期間中は二倍の給与を支給すると付け加えて置いてくれ」
「今日休みだった連中は儲け損ねましたね」
と軽口を叩くマネージャーだった。
マネージャーには人数分プラス五万円の現金を渡して、
「帰りの車台として一人に一枚ずつ渡してやってくれ。残りは君の分だ。誤魔化すなよ」
宿泊客も従業員もすべて引き揚げた後で、
「君には二か月分追加で五か月分の賞与を出す。ご苦労様」
とマネージャーを労って帰らせた。
「さて本陣を落とすか」
目標の部屋をノックして、
「ルームサービスです」
普通なら引っ掛からないと思う。少なくとも僕なら警戒して開けないと思うが、ドアは開いた。
「頼んでいないぞ」
ドアの隙間に足を突っ込むと、ドアを開けた馬鹿の顔を左手で掴んでそのまま中へ押し入る。
「何事だ」
と混乱している連中を尻目に、一人目の馬鹿の後頭部を壁に叩きつけて昏倒させた。
「君らがお探しの獅子王だ。こちらから出向いてきたよ」
と良いながら中へ突き進む。
「あんたが大将だな」
一人だけ椅子にふんぞり返っている男に目を向けた。
「ふざけるな」
と殴り掛かってきた男を殴り飛ばすと、
「二人だけで話がしたい。僕の縄張りに入り込んでいる連中を全員帰らせてもらおう」
「嫌だと言ったら?」
「此処に居る全員を再起不能にしてビルの瓦礫の下に埋める。それから侵入者を一人ずつ確実に叩き潰すさ」
と言って懐から取り出した爆破装置のスイッチを押す。
この部屋の真上に仕掛けた爆弾が起爆する。威力は大したことは無いが、音と衝撃は大きい。
「早く決めてくれ。僕はどちらでも良いんだ」
敵の大将はスマホを取り出して帰還命令を発する。
「なるほど。帰り始めたようだな」
僕はスマホで神林家の情報ネットにアクセスして、敵集団の位置情報の移動状況を確認する。
「下に救急車を呼んでおいたから、怪我人を乗せて立ち去ってくれ」
御堂病院へ運ぶように頼んである。
「あんた何者だ」
「十代目獅子王滝川太一だ。別に覚えなくても良いよ。話し合いが終わったら二度と会わなから」
と言って対面のソファーに腰を下ろす。
「状況は把握して居る。僕に喧嘩を売るために人を送り込んできたんだろう」
「それは…」
「こちらから喧嘩を売る気はないが、売って来るなら容赦はしない」
持って来たカバンから名簿を取り出した。
「今回内にやって来た連中の名簿一覧だ。もし欠けていたら教えてくれないかな」
名前と住所、携帯番号が紐付けされている。神林家の仕事の迅速さは恐るべきだ。神林家はこの手の人脈交遊データを蓄積している。官僚や大企業などの一般公開されている人事データから、個人的な行動記録まで、情報に段階を付けて整理されている。今回の記録も後々別の記録と突合されて利用されるだろう。
「どうやって調べたんだ?」
「それを聞いてどうするんだい?」
とはぐらかして、
「もしこの中に今回の手打ちに異議を唱えそうなやつが居たら教えてくれ。僕の方で片を付けるから」
「それはこちらでどうにかします」
と下手に出て来たので、
「それなら、任せよう。しかし一人でも問題を起こす人間が出たら、まずはあんたの首から貰うとしよう」
と言って立ち上がると、
「二度と僕の前に現れるなよ。次にその顔を見た時には、問答無用で叩き潰す」
ビルごと潰すと言うのはもちろんブラフだ。爆弾(に見せかけた細工)も初めの一発だけである。
このホテルについては後で語るとして、この戦いの結末について記しておこう。
千葉の連中は暴走サウザンズリーフ、略してBSSLと名乗っていた。十人衆と呼ばれる集団指導体制で、トップは半ばお飾りの存在だったが、あの時トップの指示で撤退に動いたのは幹部の意見が半分に割れていたためで、最終決定がトップの意志によるものだったからだ。つまりトップの翻意により多数派が逆転した訳である。実際に動いた兵力は三分の一程度だったのだが、その後の追跡調査で総員の名前と住所、携帯番号に加えて、家族構成までを網羅した完全な名簿が出来上がっている。幹部に至っては顔写真も入手済みで、再戦となれば如何様にも切り崩せる。
和睦を受け入れるかどうかで幹部の意見は割れていた。意外だが、侵攻に賛成した五名は全員が賛成に回った。現場を経験して無理を悟ったのだろうか。反対派の内二名は穏健派で和睦は歓迎していたが、残りの三名は徹底抗戦を主張した。この三名は何でも反対する不平不満派なのである。
七対三で和睦に合意するのであれば問題は無かったが、反対派は分離独立して抗戦を続けると主張しているらしい。
と言う情報をトップに付き従っていた参謀の一人から入手した。真っ先に僕にぶん殴られて治療を受けていた男だ。見舞いに行った時に、僕の顔を初めてまともに見て、僕の素性に気が付いたらしい。それ以後は繋ぎ役として積極的に協力してくれている。この詳細な情報も神林家のデータとして追加されている。
「それにしても独立してまでこちらと戦うと言っている連中の意図はなんだ?」
「後ろに黒幕が居ないか調べてみようか」
と希総兄さんは言った。
「取り敢えずぶっ飛ばした方が早くないか」
と春真兄さんらしい回答である。
「僕も答えるのか?」
「そもそも敵方の情報が駄々洩れな時点で勝ちは確定しているのだから、後はどんな決着をつけるの問題だろう」
と直接の回答を回避した矩総兄さん。
「太一は単独で強過ぎるんだよなあ」
と希総兄さん。
「一人で戦えると言う点では総志兄さんも同じだけれど、あの人は味方を使うのも上手いからなあ」
と春真兄さん。
「でも昔からそうだった訳でもなかったんだけれどね」
と矩総兄さん。
「一年の時にインターハイで負けてからかな。周りを利用するスタイルを覚えたのは」
悪く言えば手抜きが出来るようになった。と兄さんは笑う。
「兄さんと同じ所を目指す必要は全くないが、太一も守るべきものが出来れば変わるかもしれないな」
この時の僕にはその意味がまだ分からなかった。
「分裂は避けられませんでした」
と情報が入る。
「そうか。こちらで対処するよ」
性格の優しい向こうとトップには粛清と言う手段は取れないだろう。
独立派は幹部三人を含む五十名。その動きは既にこちらの手の中にある。
侵攻部隊は夕刻に人気のない海岸に集まっていた。
「海を渡る必要は無いよ」
と声を掛ける。
「こちらから出向いてきたからね」
虚を突かれた様子だが、こちらが一人だと見て取って直ぐに戦闘態勢を取る。
「流石に五十人を相手するのは骨が折れるから、こちらも道具を用意してきたよ」
と言って携えて来た日本刀を左手で鞘ごと抜いて掲げる。
「その辺に石ころでもないかな。投げて見てくれないか」
と持ち掛けると、一人が石を拾って思い切り投げつけてくる。これも想定内だ。
抜き打ちで石を切り飛ばすと鞘に戻して、
「この人数だと手加減は出来ないから、死んでも文句は言うなよ」
これで敵の士気はかなり削げた。
「一人ずつ順番に相手してくれるならば素手で相手するが、どちらを選ぶ?」
全員で一斉に掛からなくても、五十人を相手にすればいずれ倒せると判断したのだろう。
「では俺から相手しよう」
三人居た幹部の一人だ。部下を先に戦わせない点は評価出来る。
「初代が得意だったルールを採用させてもらう。つまり交互に一発ずつ殴り合う。殴られた方は十秒以内に殴り返さなければ負けだ。先攻はそちらからで良いよ」
このルールで僕から始めたら、一発も殴り返されずに完封する自信はあるが、それだと向こうが乗って来ないだろう。
敵の先制攻撃は僕の額に当たり、拳の方が砕けた。父も得意としたと言う額受けである。間髪を入れず顎へアッパーカットを打ち込むと、一瞬宙に浮いてそのまま後ろへ倒れ込む。顎が砕けて面相が変わっている。
「次は誰かな」
二人目は僕の腹を狙ってきたが、僕は筋肉に力を込めて打撃に耐えた。鍛えていない人間が固いモノを叩けば手首を痛める。苦痛に耐える相手に、右からのフックを顔面に叩き込むと顎が外れて失神した。
初めの二人をわざと派手な倒し方をしたので、三人目が出て来ない。
「まだ立っている人間は敵とみなすので、降参するならその場に座っていてくれ」
と言ったらほとんどがそれに従った。半分は自主的だが、残りは腰が抜けてしまっている。
唯一立っているのは三人目の幹部だが、
「一人だけ無傷なのは不公平かな」
と言いながら近付くと、
「勘弁してくれ。俺はあんたとは戦いたくなかったんだ」
と泣きを入れて来た。
二人を病院へ送り、兵卒については連絡先を登録して(事前の調べて知っていたけれど)解散させた。
幹部は病院へ同行させて、そこで事情聴取に入る。
黒幕は与党大物議員の孫だと言う。僕としては委細構わず成敗に動きたいところだが、取り敢えず兄たちに一報を入れる。
「思う存分にやってくれ。祖父さんの方はこちらで引導を渡しておくよ」
とお墨付きをもらった。
祖父の威光を笠に着て傍若無人だった黒幕の少年(まあ僕と同い年なのだが)は僕の先攻でボディーに一発入れたらあっさりと降参した。まあ僕の顔を見て戦意を喪失していたようだ。
話はこれで終わらず、北関東四県(茨城・栃木・群馬・埼玉)のボス十人が僕の所に来て臣従を申し入れて来た。四県なのに十人なのは、県単位でのトップが居なくて群雄割拠状態だったらしい。そこで獅子王をトップに担ぐことで関東の平和を確立したいと言う事だった。
斯くして関東連合獅子王会と言う些か中二病的な名称の組織が立ち上がった。
「会員同士の諍いを禁じる。トラブルがあったらまずは当事者同士で話し合い、駄目なら調停に入る」
相互安全条約だが、最終的な決定権はトップである獅子王に帰属する。
この会は後に新党立国済衆党の互助組織として組み込まれていく。その時には関東学生互助機構と言うもっともらしい名称になる。構成員は義務教育を終えた学生、すなわち高校生と大学生(学部履修生)に限定される。
機構では基金も創設して、主に不遇な環境下で学びの機会を失っていたモノに機会を与える活動を行う。基金の立ち上げに際しては御堂・神林両家にもご協力を戴いた。
これを見た父は、
「その当時に俺が学生だったら完全に対象になるな」
と笑った。
母から聞いていた瀬尾総一郎の境遇が頭にあった事は確かである。
一方、祖父の代議士は次の選挙に出馬せずに引退した。矩総兄さんが動いたのは間違いない。後継として立ったのは代議士の長男である県議会議員であったが、民自党の辞退して無所属で出馬した。当選後は政権を握った新党に参加する事に成る。つまり地盤ごと取り込んでしまったのである。
一連の騒動で最も利益を得たのは矩総兄さんと言う訳で、流石は(真の)二代目獅子王である。
書きそびれたエピソード。
太一の話を別立てで進行すればよかった。