第二ラウンド
シアターMスクエアが完成により、水瀬麻理奈率いる劇団シレーヌの知名度は一段上がった。劇場のキャパシティは二割増し。とは言っても百人が百二十人になっただけだが、採算性は格段に上がった。
「麻理奈ちゃん。僕の妻子を紹介するよ」
と元オーナー、現管理人。夫人は顔立ちの派手な美人で、十歳くらいの娘さんも愛らしい。
「あれ、離婚してなかったんですね」
「別居して、実家に帰ってただけだよ」
と頭を掻いた。
「ここの建て替えが報道されて、僕の生活が安定したことが分かったから、戻ってきてくれたんだ」
夫が仕事に戻って、
「現金だと思う?」
と聞いてくる夫人に、
「夢で腹は膨れませんから」
と理解を示す麻理奈。
「生活は大事ですよ、子供が居ればなおさら。喰えなくてやめて行った劇団員も多く居ましたし」
「貴女は見事にやっていますわ」
「私は女優を職業として選んだのですから」
と微笑む麻理奈。
「私の所為でご夫婦に亀裂を生じさせたのではと気に病んでいたのですが」
オーナー夫妻の別居は麻理奈の劇団が専属となった直後だ。
「貴女が来て、この箱はどうにか維持できる様になった。でもそれは際どい自転車操業で、家族三人食べていくのは難しくもあった」
「そうじゃ無くて、私に入れ込んでいる事が、奥さんには不満と言うか」
「貴女への嫉妬はあったけど、それは色恋では無くて才能について。私も元女優だから」
「そうでしたか」
「実際に貴女の舞台を見て、夫が入れ込むのも理解できたから。実家に戻ったのは夫の経済的負担を和らげるため。だったのだけど、まさかこんなことになるなんて」
とすっかり新しくなった劇場を見渡して、
「貴女、本物の魔女なのかしら」
「どちらかと言うと、魔女に呪いをかけられた口で」
と苦笑いだ。
「その魔女って私の事?」
とむくれる希代乃。
「シンデレラに魔法をかけた良い魔女の類よね」
とフォローを入れる矩華。
「魔女はきっかけを与えただけで、王子をゲットしたのはシンデレラ本人の魅力だものな」
と総一郎も乗っかる。
「どうせ私は魔女鼻ですよ」
ツンと尖がった鼻は希代乃のコンプレックスらしい。
「この鼻こそが希代乃を見分ける鍵なのに」
と鼻先に優しくキスをする総一郎。
「あれも、何だかんだ言って誘い受けですよね。矩華姉さまと同じ」
と真冬が笑う。
「一緒にしないで」
と矩華と希代乃が声をそろえた。
「ここまでがお約束ですね」
とクールに瞳が締めた。
劇団には毎月のように大量の台本が送られてくる。劇団には付属の脚本書きが二名いるが、それ以外に飛び込みで採用される本も毎年一本か二本ある。実を言えば、今の専属もそうして採用されて来たのであるが、公演は毎年六本。二か月に一回、二週間行われる。
「相撲と一緒だね」
とは劇場の実質的なオーナーの真冬。
「偶数月だから交互だけどね」
では奇数月は、麻理奈が出ない、若手だけの公演が行われる。此処で結果を出したものが、晴れて一軍の舞台に登ることが出来るのだ。
小さいながらもそこそこの実力と名声を備えているシレーヌであるが、三か月に一度、送られてくる台本が増える。テレビの改変期の直前、麻理奈への出演依頼のテレビドラマ台本だ。
テレビや映画を全て断っている麻理奈はそれらを見ることは無い。全て可奈多が弾いている。それがどんな有名な脚本家でも対応は同じだ。
「阿部玲児さん、ですか?」
「どうしても水瀬さんと直に交渉したいにですが」
「良いですけど、結果は変わらないと思いますよ」
野田可奈多は仕方なく男を通した。
「カナちゃん、阿部玲児っていま一番売れているテレビ脚本家だよ」
と管理人の松来氏。
「そうなんですか。私テレビドラマって昔からあまり見なくて」
その点は彼女の上司も同様だ。
「ちょっと待ってて下さいね」
と言いながら舞台の化粧を落としている。阿部の前に座った麻理奈は、
「すっぴんですか?」
恐ろしい事に、何も化粧していない状態の方が綺麗なのだ。
「私にとって化粧は別人に化ける為の手段ですから」
「一昨年でしたか、御堂化粧品のコマーシャルにお出になっていらっしゃって」
「ええ。此処を建て替えるときの条件の一つとして」
「何故半年でお辞めになったんですか? 言い方は悪いけど、割の良い稼ぎだったでしょうに」
「私個人は儲かるけど、劇団としては。口幅ったいですけど、ここに来ないと私を見られない。と言う希少価値が損なわれます」
とにこり。
「なるほど。例の噂は無関係と」
「某大手芸能プロが、私の妨害をしているというやつですか。有りえませんよ。現に三か月に一度、各局から出演依頼が殺到していますし。あなたもその口でしょう?」
「私の送った台本は読んでいただけていないようで」
「テレビドラマは、受付段階で全て弾いているので」
ちょうどタイミングよくノックがした。
「阿部さんの台本をお持ちしました」
と可奈多。
「ずいぶんと薄いわね」
「全十二話の中の最初の三話分だけですから」
麻理奈はパラパラとページをめくる。とても読めるようなスピードでは無いが、
「二人の女優の再会。何処かで見たような展開ね。一人は売れっ子になり、一人は華やかな表舞台から去った。私はどちらを振られたのかしら?」
「あなたには勝ち組の女優を。負けた女優を日浦杏南さんにお願いする予定です」
五年前に、麻理奈が一度だけ出演したドラマの主演。大手プロが大規模に売り出しを掛けた女優だ。すでに中堅の売れっ子女優になっているのだが、
「そんな役、受ける訳が」
「むしろ向こうから持ち込まれた企画なんですよ」
話を聞くと日浦嬢から直接ネタを持ち掛けられたという。
「事務所は納得しているのかしら?」
「いまの日浦嬢に事務所が文句を付けられないさ」
と阿部。
「気に入らないのは三話までしか無い事」
と麻理奈。
「私は舞台ではアドリブ女王なんて呼ばれているけど、あくまでも台本を踏まえてのアレンジで、ラストを見据えずに突っ走っている訳ではないから」
「オチは一応決まっているのだけど、最後まで書くと事務所に止められるからと言う日浦嬢との申し合わせで」
劇中でどちらが勝つかは問題ではない。水瀬麻理奈とガチで演技勝負したいのだというのだが、
「私も勝敗には興味ないけど、挑戦される立場なら条件はこちらで決めたいわ。やるならそちらの土俵で無く、こちらの土俵に上がってもらう」
「つまり共演を希望するならテレビドラマでなくて舞台でと言う事だね」
阿部は台本を取り上げて、
「舞台用に書き直してくるよ」
「意外に執念深いのね」
と苦笑する希代乃。
「テレビドラマだと、スポンサーの意向とか邪魔が入って公平な決着にはならないから」
と矩華が突っ込む。
「五年前みたいに?」
と志保美。
「私は内容に口を挟んではいないわよ」
とむくれる希代乃。
「私と神林希代乃を結ぶ糸はまだ気づかれていないようでした」
と麻理奈。
「二人を結び付けるには、瀬尾総一郎と言う王様を補助線として引かないといけないからね」
と言ったのは志保美。その王様は党首として初めての総選挙で全国遊説中だ。
「慎重に隠してきたからね」
と希代乃。彼が無名であればさしたる問題ではないが、彼女との関係が公然となった現状ではそれは致命傷になる。
「まりねえがテレビに出ないのはそれが理由ですか?」
と瞳。
「半分くらいは」
と麻理奈。
「テレビ女優だとスポンサーとの関係もあるし、場合によっては神林とライバル関係の企業との結びつきも出てくるから」
「御堂家みたいな?」
と茶化す真冬。
「阿部さんの脚本では勝った女優、つまり私の役ですけど、スポンサーに取り入って出番を増やしてもらったような雰囲気でした。ドラマの後すぐに化粧品のコマーシャルが決まって」
「あちらとしては御堂を想定しているのでしょうけど」
と希代乃、
「あの時のスポンサーは神林化粧品だったからね。コマーシャル出演は拒否られたけど」
と笑う。
「ごめんね。横入りで奪ったみたいで」
と真冬が苦笑する。
「お蔭で良い目隠しになったわ」
「希代乃お嬢様の後押しで女優になった水瀬麻理奈が、敵の御堂にもって行かれて黙っているのは不自然だものね」
と志保美に言われて、
「私、そんなに押しが強いイメージなのかしら」
と萎れる希代乃。恐らく部下には見せない顔だ。
「世間的にね」
と返された。こう言う直接的な突っ込みをしてくるのは彼女くらいだろう。矩華ならもっとやんわりと返す。
修正台本が上がってきたのは半年後。しかも、
「お久しぶりね、水瀬さん」
「と言うほど親しく話した記憶も有りませんけど」
台本を持ってきたのは日浦杏南本人であった。
「あの当時は。私もデビューして一年余りで、周囲に目を配る余裕も無くて。まさかモブがあんなに出番を掻っ攫うなんて普通は思わないでしょ」
と屈託の無い笑い。
「当時の監督やスタッフに聞いても、外からの圧力が有ったという事実は出てこないし。純粋にあなたの才能に引き込まれただけみたい」
圧力は厳密には有った。それは視聴者の声だ。それを裏からこっそりと煽っていたのは神林希代乃なのだが。希代乃本人はまだ一学生で神林を動かす権限は無かったし、有っても流石に自重しただろう。
「ごめんなさいね。まさかあんなことになるなんて」
年齢的には麻理奈の方が一つ上だ。
「水瀬さんが謝る事じゃないでしょ」
「そうなんだけどね」
麻理奈本人に責任は無いけど、希代乃の計画で迷惑を被ったことに違いはない。
「先に断っておくけど、うちの劇団のサイクルに組み込むなら稽古を含めて二カ月はきっちりスケジュール拘束させてもらうし、出演料もあんまり出ないわよ」
「私は構いませんけど」
事務所から文句が来た。
「売れっ子女優を二カ月も低賃金でこき使われては堪らないと言うのは理解できるわね」
と希代乃。
だがそれ以上に身内から苦情が来た。
「私たちですら本舞台の出演には高いハードルが課せられているんですから」
日浦杏南はテレビでは実績は有るが、舞台は全くの未経験だ。
「若手の舞台に参加させてください」
と根性を見せてくる杏南だが、
「本人には全く悪意が無いみたいね」
「事務所の方からは何か出たんですか?」
「何というか、圧力疑惑に悩まされているらしいわ」
と希代乃。
「水瀬麻理奈への出演依頼はひっきりなし。と言うのは関係者しか知らない話で、一般人はあなたがテレビに出ない事は事務所が嫌がっている所為だと思い込んでいるから」
「困った都市伝説ですね」
「そんなの簡単じゃないか」
と二人に挟まれている総一郎。
「噂の元を無くせば良い」
「無くせば良いと言っても」
と半信半疑の麻理奈に対して、
「そうか」
と閃いた希代乃。携帯を取り出して電話を始めた。
「あぁらら。仕事スイッチ入っちゃった」
麻理奈は笑いながら、
「じゃあ、先に頂きまぁす」
と言いながら総一郎の上に圧し掛かって総一郎を中に迎え入れる。
「判ったわ」
と言いながら麻理奈に抱きついてくる希代乃。
「きゃ」
「どっちが持ってた?」
「制作会社の方でした」
「なんの話ですか?」
「言ったろ、噂の大元。例の連続ドラマの映像の管理権だよ」
とニヤニヤ。
「あれが世に出ないことが全ての原因なのだから、それを出してしまえばいい。それとも、つたない演技が今更出て来ると恥ずかしいかな」
「舞台と映像は別と割り切っています」
と麻理奈。
「エアチェックはしてあるから、見ようと思えばいつでも見られるけどね」
と希代乃。
「テレビ局でなくて良かったわ。制作会社なら会社ごと囲い込めば済むし」
「それは一般人には不可能な手段だけどな」
「そろそろ逝かせてください」
と麻理奈。
「そうね。私も早く替わって欲しいし」
と言って右手でクリトリスを、左手をぐるりと回して右乳首をつまんで攻め始める。それに合わせて総一郎が下から突き上げたから、
「らめえ」
と果てる麻理奈。
麻理奈が横に退くと待ちわびたように後ろ向きで乗ってくる希代乃。重層的な希代乃の一段目まで入ったところで、
「で、話の続きだけど」
体を起こした総一郎の両手が入り込んで、それ以上の侵攻を阻む。
「まさか自分で回収に乗り出す訳じゃないよね」
困惑しながらも。
「傘下の出版社に任せるわ」
と答える希代乃。
「映文館か?」
「あれ、あそこって神林の系列でしたっけ?」
と麻理奈が話に加わってくる。
「あそこの筆頭株主は希代乃で、個人的な秘密情報工作機関なんだよ」
「そうなんですかぁ」
希代乃の足の間に割り込んで、クリトリスを攻めてくる麻理奈。
「そんな、人聞きの悪い」
と言いながらもぞもぞと腰をくねらせる希代乃。
「ああ、腕が疲れた」
総一郎の腕の力が緩んで、
「あんっ」
総一郎が一段階深く入り込む。
「替わりましょうか」
と言いながら麻理奈が希代乃の両足を肩に乗せて両手を回してくる。
「意地悪ぅ」
「そのまま支えててくれる?」
と言いながら立ち上がる総一郎。自由になった両手を希代乃の脇から回して揉みしだく。
「思った通り、ちょうど良い高さだ」
床に座る麻理奈に逆向きの肩車をされる形の希代乃をずんずんと突き攻める総一郎。
「後で私にもして下さい」
と麻理奈。
「希代乃様が了解してくれるならね」
確かに、このコンビ技は下になる人間にも負担がかかる。
「大丈夫よ、まりちゃんは軽いから」
と二つ返事の希代乃。
「だから、もっと激しくぅ」
麻理奈の肩の上で悶える希代乃様だった。
それから一週間ほどして、麻理奈は劇場控室に一人の来客を迎えた。
「八神浩樹と申します」
「聞き覚えのある名前なんだけど」
肩書きは映文館出版企画部長と有る。
「お目に掛るのは初めてですが。昔、水瀬さんの記事を書いて駄目だしされたモノです」
「あれ、思い描いていたイメージと違うわ」
「あの当時は、イメージ通りの雰囲気だったと思いますよ」
と苦笑する八神。
「この役職はいつから?」
「例の神林家の事件の後です。調べ上げたあなた方についての情報を買ってもらおうと乗り込んだんですが、引き換えに差し出されたのがこの写真」
と胸から取り出したのは、
「妻と二人の子供です」
「どういう事?」
「俺が皆さんを調べていたのと同時に、向こうも俺を調べ上げていたという事ですよ」
神林の乱のときには、様々なフリーのジャーナリストが希代乃の身辺を嗅ぎまわっていた。希代乃は逆に彼らを調査してその弱みを握り返して、
「半分はやりすぎて塀の中に落ちた。残りの半分は俺みたいに希代乃さまに雇われる身となりました。企画部もその時に立ち上げたものでして」
「あなたがまとめ役に抜擢されたのね」
「毒を以て毒を制す、というやつですよ」
「きよねえは、敵には容赦ないけど。身内には手厚いからね」
「ええ。我が次男坊なぞは、御曹司に拝謁賜って、生来の側近にとまで嘱望されていますよ」
と嬉しそうである。
「ところで、企画部って具体的に何をする部署なの?」
と麻理奈。
「瀬尾総一郎氏の言う処の、秘密場情報工作機関。ですが、それは非常勤務で、日常業務としては、そんなの通り新規事業の立ち上げですね。今回の任務も表の仕事の一環でして」
既に制作会社の買収は済んで、映像の改修作業に入っているという。
「いわゆるHDリマスターってやつですよ」
と言ってデータの入ったメモリを差し出してくる。
「もらって良いの?」
「今日はそれをお渡しするのと引き換えに、出演交渉に来たんです」
「出演?」
「初回特典映像として、対談映像を撮りたいんですよ」
「なるほど。日常業務ね。でも対談って、誰と?」
「主演の日浦杏南さんと」
全十二話を四話ずつ収録して全三巻。それぞれの巻末に五分程度の特典映像を付けるのだという。
「あちらが承知しているなら、こちらに異存はないわ」
「話が早くて助かります」
対談にはかなりラフな格好で臨んだ麻理奈。
「それって、普段着ですか?」
「稽古着よ」
と言うところから和やかに会談は始まった。
スタッフが引き揚げた後、
「舞台の件なんだけど」
と麻理奈。
「二つほど問題が有って」
一つは予算の問題。低予算で作られているシレーヌの舞台において、売れっ子女優日浦杏南のギャラは問題となった。
「公演は二週間でも、稽古を含めるとまるまる二カ月は拘束されるからね」
「それは事務所と折衝します。もう一つは?」
「あなたに舞台経験がない事。正規の劇団員はまだしも、若手の研修生たちから文句が出ているの」
「じゃあ、黙らせれば良いんですね」
「簡単じゃないわよ」
「やってみます」
と言うわけで、若手中心の舞台に飛び入り参加することになったのだが。
若手と言っても二十歳そこそこから三十代半ばまで幅広い。アマチュアではなくプロとしてやっていこうという意気込みのある面々ばかりなのだが、如何せん内容が伴っていない。麻理奈がこの挑戦を承諾したのは、この際だから見込みの無い連中は一掃してしまおうと言う意図も有ったのだが、
「出てないわね」
当日の舞台に日浦杏南はキャスティングされていなかった。脚本家らキャスティングまで、全て彼らだけでやるようになってはいるが、
「どうしますか?」
と可奈多。
「このまま行くしかないでしょ」
日浦杏南が参加するという事は既に知られていた。当然にして期待を裏切られた観客からの評価はそれだけでダダ下がりだ。
「全員をここに集めてちょうだい」
舞台後のアンケートを集めて来た可奈多に、麻理奈はそう指示した。
「まさか。今日の舞台が成功した。と思っている人はいないでしょうね」
舞台の上から、アンケート用紙の束をちらつかせながら麻理奈は言った。
「キャスティングの責任者は?」
一人が手を挙げて、
「投票で決めました」
「なんとも民主的ね」
麻理奈は鼻で笑った。
「この世で最も民主的でないのが芸術の分野ではないかしら」
全員言葉も無い。
「では民主的に連帯責任にします。全員首よ。明日から来なくて良いわ」
とばっさり。
「アマチュアなら全員で仲良くも良いでしょう。しかし、プロに求められるのは観客を満足させること。言わんとすることは判るわね?」
半分はこれで消えた。
「だいたい、他人を押しのけてでも舞台に立ちないのが役者の本能。他人に投票するなんて、それだけで失格だわ」
「だけど、役には男も女も有って」
「宝塚は女性だけ、逆に歌舞伎役者は男しかいない。男役を男優が、女役を女優がやる、と決めつけている時点で、うちでは使えないわ。私は両方やっているし」
と言われては反論の余地もない。
それでも食い下がるものが数名残った。
「論より証拠。貴女たちと日浦さんの違いを実証しましょう。上がってきて」
と舞台上に招きあげる。
「何をすれば?」
と聞く杏南に、
「舞台中央に立っているだけでいいから」
即興で演技を始める麻理奈。杏南をかぐや姫に見立てての一人芝居だ。
かぐや姫を見つける竹取の翁から、五人の求婚者、果ては帝まで完璧に演じ分けるその演技力は圧巻だが、それ以上にただ突っ立っているだけの杏南の存在感は際立っていた。
「ただ立っているだけなら、私にだって」
「一歩も動かずに存在感を出せる? あなたが同じことをやったら、背景の木だと思われるわよ」
「どうして何もしなかったんですか?」
と別の役者。
「演出の要求通りにしただけよ」
と杏南。
「自分の演技プランを説明するのは、恥ずかしいのだけど」
と断ったうえで、
「そもかぐや姫とはいかなる女性か。月の世界からの追放者ね。いつか帰れることを待ち望んでいるかぐや姫は、地上界には何ら興味を持てなかったはず。と言う解釈なのだけど」
と麻理奈をちらり、
「判っていても、何もせずに突っ立っているのは大した度胸だと思うわ」
そして誰もいなくなった。
「本当は、間近で見る水瀬さんの演技が凄すぎて、介入できなかっただけなのだけど」
と笑う杏南。
「現時点での明確な差を感じると同時に、目的を達成してしまったという満足感が半分」
「あら、共演はあきらめる?」
「いいえ、修行して実力をつけてそちらから申し込まれるくらいになって見せるわ」
日浦杏南は舞台を中心とした仕事にシフトして事務所を困惑させた。
数年後、共演した年下男優と結婚してしまった時には、
「すっかり趣旨が代わっているわね」
と突っ込まれることになるが、それはまた別の話。
余談
舞台版の脚本もお蔵入りとなってしまった阿部玲児は、換骨奪胎して全く新たな脚本を書いて世に出した。
一人の男を巡って争った二人の女。一人は男と結婚し、一人は失意の中でキャリアウーマンとして成功する。そして運命の第二ラウンドが、
「全然違う話になっているわね」
と矩華。テレビドラマなんかめったに見ない女性なのだが、
「前回は夫がキャリアウーマンとよろめいちゃって、それが妻にばれてしまったのよ」
と希代乃。
「よくある話ね」
現職の弁護士としては、耳慣れた話なのだろうが、妻が持ち出したのは夫との離婚ではなく多重婚姻の要求だったことに絶句した総一郎。姦通罪で告訴されるかの二択を迫られて困惑する二人。
「これも逆ケースで扱ったことあるわ」
「逆?」
「妻が浮気して、夫が二択を突き付けたの。相手の男性は社会的地位のある人物で、裁判沙汰は拙いとなったのだけど、実は夫婦が仕掛けた罠だったみたい」
「それって、形を変えた美人局じゃないの」
と希代乃。
「ええ。そこを暴いて示談に持ち込んだんだけどね」
矩華は仕掛けられた側の担当だったらしい。
「身につまされる話ね」
「希代乃は明らかにこのキャリア女の立ち位置だものな」
「止めてね」
と本気で涙目の希代乃。
「私にその気はないし、その場合には総一郎も離婚を選ぶでしょ」
「そうならない様に善処しますよ」
と苦笑した。
ネタとしてはかなり前から有ったけど、主人公の出番が少ないし、時系列的にどの辺へ入れるかで迷っていました。
引っ張った結果あのオチが生まれました。