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ようやく生徒が全員集まり、授業が始まった。
まず、クラス分けがされる。
これは習熟度によるものではなく、単に人数が多いから分けるものだ。
なんといっても、アカデミーは全学年の生徒数を合わせると4000人にもなるのだ。
アカデミーは巨大な学習施設だが、それでも一つの講義室には100人も入らない。
よって、五十人をひとつのクラスとして20クラスに分ける。
その割り振りは部屋毎なので、部屋が同じであるツバキとフラウは自動的に同じクラスになる。
そして、それぞれのクラスに担任教師が付き、多くのことはその教師から教わることになる。
初めての授業は、錬金術の心構えなど、基礎的なことのみであった。
フラウにとっては、既に自主学習によって大体の事は分かっていたので、退屈極まりなかった。
横を見ると、ツバキは真剣に黒板に向かっているように見えた。
自分もこんなことではいけない、と前を向くフラウ。
しかし、フラウは勘違いをしていた。
ツバキは、真剣に黒板に向かうフリをしながら、居眠りをしていたのだった。
授業が終わり、ツバキに声をかけるまで、フラウはそれに気づかなかった。
「貴女、意外とテキトーなところがありますのね」
「まあ、休める所では休むべきですよ」
「それにしたって、なんという大胆さかしら。わたくし、完全に騙されましたわ」
「究極の居眠りは、相手のみならず自分も騙すのです。起きている状態と寝ている状態を両立させれば、体の疲れを癒しながら人の話を聞くこともできます」
「そんな出鱈目、信じませんわよ」
「それは残念」
話題は、今日の授業内容に移った。
とはいえ本日はオリエンテーションのようなもので、本格的な講義は明日からということになる。
「空き時間の自己学習こそアカデミーの基本。授業では最低限しか教えないから、わからないところがあったら誰でもいいから教師に聞く。場合によっては、授業になど出なくてもいいので経験を積め、ね。驚きでしたわ。アカデミーが実力主義なのは知っていましたが、まさかここまで実践的でしたなんて」
「生徒数が多いのでそれぞれに十分な時間が割けないのも問題なのでしょうね」
「入学試験の厳しさにも納得がいったわ。つまり、自分のことは自分でやれる生徒以外をアカデミーは欲していないわけね」
「平民がアカデミーに入学できないのも当然の様子ですね」
「そうね。錬金術を学ぶ為の学校なのに、試験に錬金術学があるのも納得ですわ」
アカデミーは徹底した能力主義だ。
それは貴族の格に依存することなく、世においてどれだけの有用性を示せるかの生存競争の場であった。
それゆえ、マイペースな人間が一番強い。
心理的に競争相手に落とされる、ということがないからだ。
ただ自分の感性の赴くままに学ぶ者こそが偉い。
それは、校長の教育方針であった。
「さて、それでは教員に今までの学習成果を見せに行きましょうか」
「え、それはどういったことですの?」
「思うに、アカデミーの教師はそれぞれが非常に高い能力を持った研究者です。ですから、その技を教えてもらうために、自分の存在をアピールしておくのもいいかと思いまして」
「なかなかしたたかなことを考えていますのね」
「私は自作の傷薬と爆弾を持って行きます。今後の売れ行きにも関わりますし、採点して欲しいところですからね」
「そうね。ではわたくしは、この疲労回復ポーションでも持って行きますわ」
二人が選んだそれは、一年生としては破格の出来のものであった。
爆弾にいたっては、二年生でもここまでの物はそうそう作れないであろうものだ。
それを教員に見せに行った二人の天才。
その行為が、他の一年生にとってどんな結果を及ぼすことになるのか、二人はまだ知らない。
扉をノックする。
出てきたのは、若い女性の先生である。
ゆるくウェーブの掛かった髪の毛は見るものを惑わせるようで、魅力的な艶を放っていた。
「どうかしたのかしら。あら、フラウお姫様じゃないですか」
「お姫様はやめてください。わたくしたち、生徒が集まるまで自習していまして、完成品をチェックしていただきたいのです」
「あら、そうなの。何を作ったのかしら?」
「わたくしは疲労回復ポーションです」
「私は傷薬と、爆弾です」
「爆弾? 一年生の作れるものじゃないけれど……凄い出来だわ、これ。貴女の名前は?」
「天才ツバキ・ベルベットです」
「傷薬も完璧だわ。粉末状にして患部に塗るのね。これなら、余程の怪我でない限り治るでしょう。疲労回復ポーションは……うん。かけだしの一年生にしてはなかなかよくできてるじゃない」
傷薬は【初等錬金術講座】にはポーション状の物しか書いてなかったが、ツバキはアレンジして粉末状のものを作ったのだった。
液体は入れ物が割れるしかさばるので、必要なときに不便だと考えたものだった。
「わかってはいましたけれど、わたくしとツバキの間の実力差にはため息が出るばかりですわね……」
「天才ですから。1000位ですけど」
「それは採点基準がおかしかっただけですわ」
「ところでこの傷薬と爆弾、一つ300シリングと700シリングで売ったのですが、値段としてはどうでしょうか。原価の十倍以上の値段なのですが」
「はあ!? 馬鹿言っちゃいけないわ。これらはひとつ5000シリングから10000シリングが相場でしょう。市場を破壊するつもり?」
「いえ、卸してる量が少ないので市場は大丈夫ですが……やはり、それほどまでに値がつくものなのですね」
ツバキは、それを知っていて安く売ったのだった。
ツバキは商家の娘だ。物の値段くらいはよくわかっている。
それでも安く売るのがツバキの狙いだった。
貴族中心のこの世界で、平民は怪我や病気になっても必要な薬が買えない。
薬草などをすりつぶして薬としているが、効果は錬金術で作られたそれに大きく劣る。
まず安く錬金術製の製品を流通に乗せるのが、ツバキの計画の第一歩だった。
「ツバキさん。貴女は確か、唯一、貴族の後ろ盾も何もない平民でしたね。貴女はいったい、何を企んでいるの?」
「今はまだ秘密です。ご無礼をお許しください」
「企んでいることは否定しないのね」
「ええ、まあ。色々と考えていますから」
「ツバキさん、よろしかったのですの?」
部屋に戻ってから、フラウが言う。薬と爆弾を安く売ったことについて言っているのではない。
なにか秘密を持っていることを相手に悟られたことについて言っているのだ。
「ええ、フラウ様。今のところは」
「ツバキさん、貴女がいったい何を企んでいるのか、わたくしにも教えてくださらないの?」
「そうですね。いずれ、話すことになりますが、今はまだその時ではありません」
胸のうちに秘めた野望とも言える感情。
ツバキは、現状の貴族支配社会に不満を持っていた。
貴族相手に悪感情があるわけではないが、流通規制や貴族特権などで平民が十全に生きられない社会を不平等だと思っている。
「……その時になったら、貴女はわたくしを利用するおつもり?」
「聞きにくいことをいいますね。フラウ様は、第一王女でしたよね? そのような口ぶりで、敵を作ったりしなかったのですか?」
「宮廷はもう敵だらけの味方だらけで、大変な状態でしたわ。今ここにわたくしがいるのは、実は雌伏の時なんですの」
「おや、そんなことを私に話してしまってもよろしいので?」
「ええ。いずれわたくしは、貴女を利用するつもりだもの。今のところ、わたくし、貴女に出会えてとってもラッキーだったと思っているのですよ。本来なら、魔法も錬金術も、自分一人で納めて武器にするつもりでした。ですが、貴女が現れた。魔法でも錬金術でも、わたくしでは太刀打ち出来ない貴女が」
「フラウ様、それはもう、何をするか言ったも同然です。穏やかではありませんね」
革命。
フラウ・カッサンドラ・ルージュは、第一王女の立場でいながら、その立場に満足することなく野心を持っていた。
とはいえ、家族を――王族を弑すつもりはない。標的は貴族だ。
王権を復古させ、盤石な王国を築き上げること。それが、フラウの目標だった。
「あら、可能な限り穏やかにやりたいとは思っていましてよ。貴女こそ、物騒な考えをお持ちなのではなくて? あの傷薬と爆弾の値段も、その布石なんでしょう?」
騎士団は王族直属の武力である。
普段は魔物を退治したり、治安維持活動をしている。だが、それは武力を鈍らせないための演習だ。
貴族が反乱を起こした時の討伐などには、その力が揮われる。
「私とて、穏やかにいけるのならそうしたいですよ」
「まあ、すべてはアカデミーを卒業してからのことですわ。それまで貴女が天才で居続けることを期待していますわ。天才ツバキ・ベルベット」
「期待に答えてみせましょう。フラウ・カッサンドラ・ルージュ王女殿下。貴女が望むなら、私は貴女に勝利を授けるジョーカーにでもなりましょう」
「裏切られないよう気をつけていますわ、私のジョーカーさん」